名前を呼んでくれた人。
「ルーカス。今日はかくれんぼしましょ!」
少女の澄んだ声が、屋敷内に響き渡る。
昼下がり――
石畳は陽に温められ、庭の木々はゆるやかに風に揺れている。
穏やかな午後だった。
「いいよ。せっかくだし、僕の友人も呼んで、皆で遊ぼうか?」
その提案に、少女はぱっと顔を輝かせた。
「それはいいわね。人数が多い方が楽しいし」
小さな手をパンッと叩くと、満面の笑みで頷いた。
「わかった。じゃあ呼んでくるから待ってて」
ルーカスは走り出し、屋敷内へと消えていった。
少女は小さくなる背中を見ながら、足元にあった小石を蹴る。
コロコロコロ……
(ルーカスのお友達って、どんな人たちなのかな)
待っている間、退屈はしなかった。
(なんて話しかけたらいいかな。「初めまして?」とかでいいかしら)
ルーカスの友達を想像していれば、
遠くから聞こえてくる声が、ひとつ、またひとつと増えていく。
呼ばれている名前は、全部ルーカスのものだった。
(いーち、にーぃ……)
指を折りながら数える。
(……すごい。十人もいる……)
皆は屋敷に来ると、ルーカスへと話しかけた。
「久しぶりだな」
「元気だったか?」
同じ年代の少年や少女たちが、連れ立って屋敷の前に集まってきた。
皆、楽しそうに話しながら、迷いなくルーカスのもとへ向かう。
「で、今日は何して遊ぶんだ?」
「皆でかくれんぼでもしようと思ってさ」
「また鬼はルーカスか?」
肩をポンと叩いたり、軽く小突いたり。
遠慮のない距離感に、少女は思わず目を細めた。
(皆、仲がいいのね)
少しだけ、胸の奥がくすぐったくなる。
羨ましい、という感情に名前をつけるほど大きなものではない。
けれど――。
(私も……仲良くなれるかしら)
かくれんぼなら、すぐに混ざれる。
鬼になってもいいし、隠す側でもいい。
見つけてもらえたら、きっと楽しい。
そんなことを考えていると、ルーカスがふと振り返った。
「ヘルミーナ。君のことを、皆に紹介したいからこっちに来て!」
呼ばれた名前に、ヘルミーナはぱっと顔を上げた。
「うん! いまいく~」
小さな足で、勢いよく駆け出した。
石畳を踏みしめる音が、軽やかに響く。
近づくにつれ、皆の視線が集まってくる。
(こんなにたくさんの人に見られたの、初めてだわ)
しかし――
ヘルミーナが笑顔で近づいてくるのとは裏腹に、友人たちは不思議そうな顔をしてルーカスを見た。
「ルーカス……? そっちには誰もいないけど?」
一人が、戸惑ったように言った。
「うん……僕にも、誰かがいるようには見えないな」
続く言葉に、空気がすっと冷える。
それを合図にしたように、皆が揃って首を傾げた。
「え!? どういうこと?」
「目の前にいるじゃないか」
ルーカスの声は、少しだけ上ずっていた。
しかし返ってくるのは、困惑ばかりだ。
「……ルーカス、変なこと言うね」
「かわいらしい女の子って、誰の話?」
「私には、ルーカスしか見えないけど……」
「俺もだ」
言葉が、重なっていく。
それはまるで、ルーカスだけを残して、世界が彼女を素通りしていくようだった。
「……え……? うそ、でしょ?」
ルーカスは、ゆっくりとヘルミーナを見た。
確かに、そこにいるはずの少女。
けれどヘルミーナは、何も気にしていない様子で、ただ前を見ていた。
(こんなにたくさんの友達がいるって、すごいわね!)
心からの感想だった。
驚きも、不安も、そこにはない。
(早く私も遊びたいわ)
今はただただ、皆と遊べることが楽しみだったのだ。
(お兄様とルーカス以外と遊ぶなんて……初めてだもの)
(かくれんぼなら負けなしだし、きっと皆驚いて、友達になってくれるわ!)
一人かくれんぼに闘志を燃やしていれば、ルーカスがヘルミーナの方を見ていた。
先ほどまでの笑顔はなくなり、真っ青な顔をしている。
ヘルミーナは心配になり、一歩、また一歩とルーカスへと近付いた。
「顔色、悪いみたいだけど……」
その声を聞いた瞬間、ルーカスの表情から血の気が引いた。
息が浅く、指先が小刻みに震えていた。
「……ち、ちが……」
彼女が、そこにいる。
それだけは、確かだった。
他の子どもたちも、異変に気づいて近づいてくる。
「だ、だいじょ……」
ヘルミーナがルーカスの頬を触ろうとした、その瞬間――
「さ、さ、さ、さわるなぁぁぁぁ~~~!!」
叫び声が、屋敷中に響き渡った。
その叫びは、ルーカスが世界を疑った最初の音だった。
***
「あの二人は仲が良いですなぁ~」
ルーカスの叫び声が響き渡る少し前――
「そうですね……。ルーカスの声を聞いていれば、ヘルミーナちゃんを大事にしているのがよくわかります」
紅茶を飲みながら、窓の外を眺める二人の大人の姿があった。
「そうですね……では、あの話も」
「ええ。二人なら大丈夫でしょう」
(――もっとも、私にはヘルミーナちゃんの姿は見えていないのだが)
ルーカスの父、カイルは、目の前に座るヘルミーナの父に、にこりと笑顔を向けた。
そしてヘルミーナの父、ヴァリオンも笑顔を向ける。
((こいつ……裏が全く見えないんだよな……))
二人は笑顔を崩すことなく、持っていた紅茶を口に入れた。
その紅茶は、すでに冷え切っている。
「では……」
「はい。このまま何事もなければ……」
「子ども同士のことですからな。大人が口を出す話でもない」
「ええ……見守るのが一番でしょう」
二人のこれからについて話をしていると――
「さ、さ、さ、さわるなぁぁぁぁ~~~!!」
ルーカスの声が、再び響き渡った。




