第8話 騒動と誤解
「……フィオナ。話がある」
朝の冷たい空気が、さらに温度を下げた気がした。
目の前に立つレオンハルト様は、腕を組み、私を見下ろしている。
その表情は硬い。
何か、言いにくいことを告げようとしている顔だ。
私は背筋を伸ばし、震える手を後ろで組んだ。
テントの中には、怪我をした幼いドラゴンがいる。
絶対にバレてはいけない。
私の挙動不審さが、彼に伝わっていませんように。
「は、はい。何でしょうか」
レオンハルト様は一度視線を外し、崩れ落ちた屋敷の残骸を見た。
そして、重い口を開く。
「屋敷の再建には時間がかかる。一階部分の補修だけでも一ヶ月。居住スペースの確保となれば、さらに先になるだろう」
「……はい」
当然だ。
あんな瓦礫の山、魔法でも使わない限りすぐには直らない。
「その間、君をこの環境に置いておくわけにはいかない」
彼の目が、再び私を射抜く。
「隣の領都にある宿を手配する。馬車も出す。……屋敷が直るまで、そこで待機してくれ」
「え……?」
避難、勧告。
それは予想外の言葉だった。
普通に考えれば、ありがたい提案だ。
雨風を凌げる宿。
温かい食事。
お風呂だってあるかもしれない。
瓦礫とテントでの生活に比べれば、天国のような待遇だ。
でも。
(ダメよ)
心の中で即座に否定する。
私一人なら、喜んで受けただろう。
けれど今、私には守らなければならない子がいる。
テントの中で眠る、小さなドラゴン。
もし私が宿に行けば、ポチはどうなる?
連れて行くなんて不可能だ。
街中でドラゴンなんて見つかれば、大騒ぎになる。
かといって、ここに置いていけば、飢え死にするか、騎士たちに見つかって殺される。
「……お断りします」
私は拳を握りしめ、はっきりと言った。
レオンハルト様の眉がピクリと動く。
「断る? 理由はなんだ」
「こ、ここは私の領地……いえ、預かっている場所ですから。領主代行として、離れるわけにはいきません」
苦しい言い訳だ。
領主代行といっても、名ばかりの追放者。
私がいなくても、復旧作業に何の影響もないことは彼も知っているはずだ。
「フィオナ。意地を張っている場合か」
レオンハルト様が一歩近づく。
威圧感が肌を刺す。
「ここは魔物の領域に近い。屋根もない、壁もない場所で、君を守りきれる保証はないんだ」
「でも……!」
「それに、騎士たちにとっても負担だ。君一人を守るために、夜警の人員を割かなければならない」
うっ。
正論だった。
私の存在は、彼らにとってただの「お荷物」なのだ。
足手まといだから、安全な場所に引っ込んでいろと言われている。
悔しさで唇を噛む。
でも、引けない。
「ご迷惑はおかけしません。自分のことは自分でやります。テントだってありますし、ドン……い、いえ、土いじりだってしたいんです!」
「土いじり?」
「そうです! 畑を……放っておけませんから!」
レオンハルト様は深く息を吐き、額に手を当てた。
呆れている。
完全に、聞き分けのない子供を見る目だ。
「……畑か。あの異常な成長速度の」
彼は独り言のように呟くと、鋭い視線を私の背後――テントへと向けた。
心臓が跳ねる。
見ないで。
そこには、あなたの敵がいるの。
「……フィオナ。君は、何か隠しているな?」
「ッ!?」
バレた?
どうして?
挙動不審すぎた?
「か、隠し事なんて……何も……」
「先ほどから、テントの方ばかり気にしている。それに……」
彼は鼻を少し動かした。
「血の匂いがする」
血の気が引く音がした。
私の服には、ポチの手当てをした時の血がついている。
そしてテントの中からは、もっと濃い血の匂いが漂っているはずだ。
戦場を生き抜いてきた彼の嗅覚を、誤魔化せるはずがなかった。
「怪我をしているのか? 見せろ」
レオンハルト様の手が伸びてくる。
「ち、違います! 私じゃなくて……!」
その時だった。
『……ハクションッ!』
テントの中から、くしゃみのような音が響いた。
同時に。
ボッ!
テントの入り口の隙間から、赤い炎が吹き出した。
布に引火する。
煙が上がる。
「なっ……!?」
私は悲鳴を上げそうになるのを手で押さえた。
ポチ!
くしゃみで火を吐いちゃったの!?
「下がれッ!」
レオンハルト様の表情が一変した。
困惑の色が消え、戦士の顔になる。
ジャキッ!
金属音。
腰の剣が抜かれた。
白銀の刃が、朝日に反射してギラリと光る。
「魔物か! テントの中に潜んでいるな!」
殺気。
空気がビリビリと震えるほどの、濃厚な殺意。
それが真っ直ぐに、私のテントへ向けられる。
「待ってください!」
私は叫んだ。
しかし、彼は止まらない。
私を背後に突き飛ばし、剣を構えてテントへ踏み込もうとする。
「フィオナ、離れていろ! すぐに片付ける!」
片付ける。
処理する。
殺す。
その言葉が、私の頭の中で反響する。
嫌だ。
あの子は、怪我をして怯えているだけの子供なのに。
私と同じ、居場所をなくして迷い込んだだけなのに。
「ダメぇぇぇっ!!」
私は自分でも信じられない速さで駆け出した。
レオンハルト様の前に回り込む。
両手を広げ、立ち塞がる。
「フィオナ!?」
レオンハルト様が驚愕に目を見開き、寸前で剣を止めた。
切っ先が、私の鼻先数センチのところで静止する。
「どけ! 襲われているんだろう!?」
「違います! 襲われてなんていません!」
「ならなんだ! 火を吐く魔物が中にいるんだろうが!」
「います! でも、悪い子じゃありません!」
「はぁ!?」
レオンハルト様が素っ頓狂な声を上げた。
理解不能、といった顔だ。
当然だ。
魔物がいるのに「悪い子じゃない」なんて、狂人の台詞にしか聞こえないだろう。
でも、私は引かなかった。
震える足で踏ん張り、彼を睨み返す。
涙が滲んで視界が歪む。
「お願いです、殺さないで……! この子は怪我をしているんです。私が手当てをしたんです!」
「手当て……だと?」
「はい。まだ子供なんです。翼が折れて、飛べなくて……」
必死に訴える。
後ろで、テントの火がチロチロと燃え広がっているのがわかる。
熱い。
でも、ここを動いたら、ポチが殺される。
「フィオナ、そこをどくんだ。魔物は魔物だ。今は大人しくても、すぐに凶暴化して君を食い殺す」
レオンハルト様の声は冷静だった。
冷酷なまでの事実を告げる声。
「違います! 私の声が聞こえるんです! 言葉が通じるんです!」
「……言葉?」
「そうです! 私の能力です! 気持ち悪いって言われてもいい、でも、この子は私を食べてなんて言いませんでした! 『痛い』って、『助けて』って言ってたんです!」
叫びながら、涙が溢れ出した。
ずっと隠していたこと。
元婚約者に否定され、自分でも忌み嫌っていた能力。
それを、こんな形で叫ぶことになるなんて。
レオンハルト様が、わずかに剣を下ろした。
その瞳が揺れている。
その時。
ビリリッ!
燃えかけていたテントの幕が、内側から引き裂かれた。
「グルルルゥ……ッ!」
低い唸り声と共に、赤い影が飛び出してきた。
ポチだ。
全身に包帯を巻いた小さなドラゴン。
翼を引きずりながら、私の足元に滑り込んでくる。
そして、私とレオンハルト様の間に割って入り、小さな牙を剥き出しにして吠えた。
『……いじめるな!』
キャウッ! と甲高い声。
でも私には、はっきりと聞こえた。
『……フィオナを、いじめるな!』
ポチはガタガタと震える足で踏ん張り、私を守ろうとしていた。
自分の方がずっと小さくて、弱くて、死にそうなのに。
最強の騎士に向かって、必死に威嚇している。
「ポチ……」
私はポチの背中を抱きしめた。
温かい。
この温もりを、斬らせたりなんかしない。
「……殺すなら、私を先に斬ってください」
私はレオンハルト様を見据えて言った。
もう、迷いはなかった。
沈黙。
永遠のように長い数秒間。
レオンハルト様は、剣を構えたまま動かなかった。
その視線が、私と、私を守ろうとする小さなドラゴンを行き来する。
やがて。
カチャン。
剣が鞘に納められる音が響いた。
「……はぁ」
深く、重い溜息。
レオンハルト様が頭をガシガシと掻いた。
殺気が霧散していく。
「……おい」
彼は呆れたような、それでいてどこか疲れ切った声で言った。
「そいつの名前、ポチなのか?」
「……へ?」
予想外の質問に、私は拍子抜けした声を漏らした。
「は、はい……ポチですけど……」
「……ドラゴンの幼体に、ポチか」
レオンハルト様はしゃがみ込み、目線をポチに合わせた。
ポチが「ウゥーッ」と唸る。
レオンハルト様は怖がる様子もなく、ただじっとその金色の瞳を覗き込んだ。
「……敵意はないようだな。少なくとも、君に対しては」
彼は立ち上がり、近くにあった水桶を掴むと、燃えかけているテントにバシャリと水をかけた。
ジュウウウッ、と音を立てて火が消える。
「ボヤ騒ぎだ。……敵襲ではない」
彼は騎士たちの方を振り向き、大声で告げた。
遠巻きに見ていた騎士たちが、安堵の息を漏らして持ち場へ戻っていく。
私は呆然とそれを見ていた。
殺されないの?
許されたの?
レオンハルト様が、再び私に向き直る。
その顔には、もう先ほどまでの冷たさはなかった。
代わりにあったのは、どう扱っていいのかわからないという困惑と、ほんの少しの……優しさ?
「手当てが必要だな。……そいつの翼、変な方向に曲がっている」
「え……あ、はい!」
「俺が見よう。……魔物の治療も、召喚士の仕事のうちだ」
彼は不器用にそう言うと、そっぽを向いてしまった。
耳が、少しだけ赤くなっているように見えた。
私はへなへなとその場に座り込んだ。
ポチが私の頬を心配そうに舐める。
「よかった……」
全身の力が抜けていく。
助かったんだ。
「ありがとう……ございます」
小さな声で礼を言うと、レオンハルト様は「フン」と鼻を鳴らし、乱暴に私の頭に手を置いた。
「……無茶をするな、馬鹿」
その手は大きくて、ゴツゴツしていて。
やっぱり、すごく温かかった。




