第10話 光る化粧水と商人の野望
風が吹くたび、うなじで揺れるリボンの感触が、レオンハルト様の手の温もりを思い出させる。
私は畑の畝にしゃがみ込み、収穫したばかりのハーブを籠に入れていた。
指先が少し泥で汚れるけれど、もう気にならない。
昨日マリンの小屋で洗った肌は、一晩経っても驚くほどスベスベで、泥汚れさえすぐに落ちそうな気がするからだ。
「フィオナ様、少々お時間をいただけますか?」
背後からかけられた声に、私はビクリと肩を跳ねさせた。
振り返ると、ベルナルド様が日傘を差して立っていた。
この荒野で日傘。
相変わらず、どこまでも優雅で場違いな人だ。
「はい、何でしょうか?」
私は立ち上がり、エプロンで手を拭いた。
籠いっぱいのハーブを見て、ベルナルド様の糸目がキラリと光る。
「実は、ご相談がありまして。……昨日の『お風呂』の件です」
「バスタブですか? 不具合でも?」
「いいえ。ハードウェアではなく、ソフトウェア……つまり、水の方です」
彼は意味深に眼鏡の位置を直し、一歩近づいてきた。
そして、失礼にならないギリギリの距離で私の顔を覗き込んだ。
「やはり。……昨日に比べて、肌の輝きが違いますね」
「えっ?」
突然の指摘に、私は思わず頬を押さえた。
「くすみがない。毛穴が見えない。そして何より、内側から発光するような透明感。……王都の貴婦人たちが大金金を叩いて求めている『美』そのものです」
「そ、そうですか? マリンの水で洗っただけですけど……」
「それです!」
ベルナルド様がパチンと指を鳴らした。
「その『ただの水』こそが、次の商機です。フィオナ様、この領地の特産品を作りませんか?」
「特産品……?」
「ええ。マリン嬢の浄化水と、ドン君が育てた魔力ハーブ。これを掛け合わせれば、史上最強の化粧水ができるはずです」
化粧水。
その単語に、私の胸が高鳴った。
果物を売るだけじゃない。
私たちが手を加えて、新しい価値を作る。
それは本当の意味での「生産」だ。
「……やってみます。ドンのハーブ、ちょうど収穫したところなんです」
私は籠を抱え直し、力強く頷いた。
ベルナルド様の口元が、商人の形に歪んだ。
「では、実験と参りましょうか」
場所を仮設テントの作業台に移し、私たちは即席の研究所を開設した。
テーブルの上には、マリンが入った水瓶と、ドンが選別した数種類のハーブ、そしてベルナルド様が提供してくれた空のガラス瓶が並んでいる。
『……なんで私が、こんな泥臭い草と混ざらなきゃいけないのよ』
水瓶から顔を出したマリンが、不満げに頬を膨らませている。
『……あぁ!? 泥臭いだと? こいつは俺様が丹精込めて育てた最高級ローズマリーだぞ! 香りだけでもありがたく思え!』
テーブルの土から生えたドンが、葉っぱを振り回して抗議する。
「まあまあ、二人とも。これが上手くいけば、マリンには可愛い香水瓶を、ドンには新しい腐葉土を買ってあげるから」
私が仲裁に入ると、二人はピタリと口を閉ざした。
現金な子たちだ。
「では、始めましょうか。まずはハーブを抽出して……」
私はすり鉢でハーブを丁寧に潰し、エキスを抽出した。
緑色の濃厚な液体ができる。
そこに、マリンの水を一滴ずつ垂らしていく。
ポチャン。
波紋が広がる。
緑と透明が混ざり合い、渦を巻く。
『……仕上げよ。私の純度、最大出力!』
マリンが指先から青い光を放った。
水が輝きを増し、ハーブの成分を包み込んでいく。
カッ!
ビーカーの中身が、一瞬強烈な光を放った。
私たちは思わず目を覆う。
光が収まると、そこには透き通るようなエメラルドグリーンの液体が完成していた。
キラキラと微粒子が舞い、嗅いだだけで心が安らぐような芳醇な香りが漂ってくる。
「……綺麗」
私は小瓶を手に取り、光にかざした。
宝石を溶かしたような液体だ。
「試してみましょう。……失礼」
ベルナルド様が私の手を取り、甲に一滴垂らした。
スゥッ。
液体は瞬く間に肌に吸い込まれていった。
ベタつきはない。
それどころか、塗った部分だけ時間が巻き戻ったように、キメが整い、白く輝き始めたのだ。
「……!!」
ベルナルド様が目を見開き、ルーペを取り出して私の手を凝視した。
「保湿効果、美白効果、そして魔力による細胞活性化……。完璧だ。いや、完璧すぎて怖い」
彼は震える声で呟き、汗を拭った。
「これ、王都で売れば一本で金貨一枚……いや、三枚はいける。貴族の奥様方が殺到しますよ」
金貨三枚。
たった数滴の水と草が、平民の年収数年分に化ける。
錬金術だ。
「すごい……。これなら、領地の運営費が賄えます!」
私は興奮して、小瓶を握りしめた。
騎士たちへの給料も、屋敷の修繕費も、これがあれば心配ない。
自立できる。
誰かの支援に頼らなくても、自分たちの力で。
「ええ。これこそが『特産品』です。……フィオナ様、あなたは商売の才能もおありのようだ」
ベルナルド様は満足げに頷き、素早く手帳にメモを取り始めた。
『商品名:聖女の雫(仮)』
『販売ルート:王室御用達ブランドとして展開』
『初回ロット:100本』
「あの、聖女の雫って名前はちょっと……」
「インパクトが大事なんです。それに、あながち嘘でもないでしょう?」
彼はウィンクをして、手帳を閉じた。
「さて、商品も決まりましたし、私はそろそろおいとましましょうか」
「えっ、もう帰られるんですか?」
「長居は無用です。それに、このサンプルを早く王都へ持ち帰って、宣伝を仕掛けないと。……鉄は熱いうちに打て、ですからね」
彼は立ち上がり、コートの埃を払った。
その動作には、次なる戦場へ向かう戦士のような覇気があった。
「フィオナ様。……良い報告ができそうです。この領地は、化けますよ」
「……はい!」
私は力強く返事をした。
不安はない。
ここには、生み出せる価値がある。
テントを出ると、夕日が大地を赤く染めていた。
その向こうに、レオンハルト様が騎士たちと歩いているのが見えた。
彼もまた、この領地を守るために戦ってくれている。
私も戦おう。
剣ではなく、この小さな小瓶と、仲間たちの力を武器にして。
自分の足で立つために。
私はリボンに触れ、その感触を確かめた。
守られるだけの令嬢は、もう卒業だ。
次は私が、この場所に恩返しをする番なのだから。
ベルナルド様の馬車を見送る準備をしながら、私は胸の奥で静かに、けれど熱い決意を固めた。




