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婚約破棄された令嬢は、召喚獣たちとほのぼの領地改革します  作者: 九葉(くずは)


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第7話 唸る土管と奇跡の蛇口

昨晩、月明かりの下で交わした握手の冷たさが、まだ掌の皮一枚下に残っている気がした。


朝の光が差し込む仮設テントの中で、私は重いまぶたを擦りながら身を起こした。

筋肉痛で身体が軋む。

でも、その痛みさえも今日は心地よい予感に変わっていた。


「……今日こそ、水を引くんだわ」


私は枕元に置いてあったカタログを手に取った。

表紙の『銀の天秤』の金文字が、朝日でキラリと光る。

ページをめくる指先に、今日という一日の重みが乗る。

これが成功すれば、私たちの生活は劇的に変わる。

重い樽を背負って川へ往復する騎士たちの背中も、もう見なくて済むのだ。


私は勢いよくテントを出て、朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「よし、行こう!」


屋敷の裏庭にある古びた井戸の前には、すでにレオンハルト様と数名の騎士たちが集まっていた。

みんな、期待と不安が入り混じった顔をしている。


「おはようございます、フィオナ」


レオンハルト様が私に気づき、腕組みを解いた。


「おはようございます。……準備はいいですか?」


「ああ。ドンも待機している」


彼の足元で、地面がモコモコと盛り上がった。

土の中からドンの茶色い顔が現れる。


『……へいへい。いつでもいいぞ、嬢ちゃん』


ドンは眠そうに欠伸をしながら、それでもやる気十分といった様子で土の手を動かしている。


私は井戸の縁に手をかけた。

石組みはボロボロで、底を覗き込んでも暗闇しか見えない。

この乾いた穴が、本当に蘇るのだろうか。

喉の奥がカラリと乾く音がした。


「お願いします、マリン」


私は胸の前で手を組み、心の中で呼びかけた。

契約のパスを通じて、青い波紋が広がるイメージを描く。


『……はいはい、お呼びかしら?』


鈴を転がすような声と共に、井戸の底から青い光が溢れ出した。

次の瞬間、水しぶきと共に水の精霊マリンが飛び出してきた。

朝日に透ける水色のドレスが、虹色の光を撒き散らす。


『あぁ〜、狭かった! なにこの井戸、カビ臭いし暗いし、最悪の環境ね!』


開口一番、彼女は不満を炸裂させた。

腕を組み、プイと顔を背ける。


「ごめんね、マリン。でも、ここを通らないと屋敷に水が届かないの」


私はなだめるように微笑みかけた。

この気難し屋のお姫様を動かすには、根気が必要だ。


『ふん。わかってるわよ。……約束通り、あそこまで水を運べばいいんでしょ?』


彼女が指差したのは、屋敷の横に新しく建てられた小さな木造の小屋だった。

昨日、騎士たちが廃材を組み合わせて突貫工事で作ってくれた「仮設浴場」だ。

中にはまだバスタブはないけれど、給水システムを受け入れる準備は整っている。


『でも、ただ流すだけじゃ地面に吸われて終わりよ? ちゃんと道を作ってくれないと』


『……へっ、そいつは俺様の出番だな』


ドンが地面から飛び出し、胸を張った。


『おい水女、俺についてきな。最高の通り道を作ってやる』


『誰が水女よ! ……まあいいわ、お手並み拝見ね』


二人の視線がバチバチと火花を散らす。

相性は最悪に見えるけれど、不思議と息は合っている気がした。


「始めましょう! 上下水道計画、スタートです!」


私の号令と共に、前代未聞の土木工事が始まった。


ズズズズズ……。


低い地響きが鳴り響く。

ドンが地面に両手を突き刺すと、土が生き物のようにうねり始めた。

井戸から小屋までの地面が一直線に割れ、そこから赤茶色の土が盛り上がってくる。


『……パイプ生成! 焼き固めろ!』


ドンの掛け声と共に、盛り上がった土が筒状に変形していく。

ただの土管じゃない。

高密度に圧縮され、陶器のように滑らかな表面を持つ特製の土管だ。

これが地中に埋設され、即席の水道管となる。


『あら、意外とやるじゃない。……でも、中がザラザラだと水の流れが悪くなるわよ?』


マリンが土管の中を覗き込み、意地悪そうに指摘する。


『……うるせぇ! 今仕上げるとこだ!』


ドンがさらに魔力を込めると、土管の内側がガラス質のように艶やかに変化した。

完璧だ。


『よし、通水だ!』


マリンが指を鳴らす。

井戸から溢れ出した水が、生き物のように土管の中へと吸い込まれていく。

ゴウウウッ、という水流の音が足元の地面から伝わってきた。


「すごい……」


私は思わず口元を押さえた。

現代知識にある「水道」を、精霊魔法で再現している。

これならポンプも電気もいらない。


「フィオナ嬢! 小屋の方、水が来てます!」


小屋の中で待機していた騎士が、窓から顔を出して叫んだ。

歓声が上がる。

成功だ。


私はレオンハルト様と顔を見合わせ、走り出した。

小屋へ。

私たちの文明開化の最前線へ。


小屋の中に入ると、ムッとする木の香りと、そして圧倒的な「水の匂い」が充満していた。

壁から突き出た土管の先には、ベルナルド様から買った真鍮製の蛇口(魔道具)が取り付けられている。


騎士たちが固唾を飲んで見守る中、私は震える手で蛇口のハンドルを握った。


ひねる。

キュッ、という金属音。


次の瞬間。


ジャーーーッ!!


勢いよく、透明な水が噴き出した。

桶の中に叩きつけられ、美しい飛沫を上げる。


「出た……!」


「水だ! 本当に水が出たぞ!」

「すげぇ! 川に行かなくてもいいんだ!」


騎士たちが抱き合って喜んでいる。

その光景を見て、私の目頭が熱くなった。

当たり前のことなのに。

蛇口をひねれば水が出るなんて、王都では誰も気に留めないことなのに。

ここでは、それが奇跡のように尊い。


私は桶に溜まった水を、手で掬った。

冷たい。

そして、驚くほど澄んでいる。


『……ふふん。どう? 私の水は』


小屋の空中に、小さな姿のマリンが現れた。

得意げに鼻を鳴らしている。


『そんじょそこらの泥水とはわけが違うわ。私の魔力で濾過してあるから、そのまま飲めるし、何より……』


彼女は意味深にウィンクをした。


『浄化作用が最強よ』


「浄化?」


私は不思議に思いながら、濡れた手をエプロンで拭こうとした。

その時、気づいた。


「……え?」


さっきまで泥と油で黒ずんでいた私の指先が、真っ白になっていた。

爪の間の頑固な汚れも、まるで最初からなかったかのように消え失せている。

それどころか、肌がワントーン明るくなり、カサつきも消えてモチモチとしている。


「これ……すごい」


ただ洗っただけじゃない。

汚れそのものを分解して、肌を再生させているみたいだ。


「フィオナ、どうした?」


レオンハルト様が私の手元を覗き込む。

彼もまた、私の手の白さに目を見開いた。


「汚れが……落ちているな。魔法薬を使ったのか?」


「いいえ、ただの水です。マリンの水……」


私は近くにあった雑巾――掃除に使って真っ黒になっていたボロ布――を手に取り、桶の水に浸してみた。


ジャブジャブと揺らす。

たったそれだけで、インクを落としたように水が黒く濁り、引き上げた雑巾は新品のように白くなっていた。


「うそ……」


周囲の騎士たちも絶句している。

洗濯板でゴシゴシこすっても落ちなかった汚れが、一瞬で。


『だから言ったでしょ? 私は綺麗好きなの。私の水に触れて、汚いままでいられるものなんてないわ』


マリンが誇らしげに胸を張る。


これは、革命だ。

ただの水以上の価値がある。

掃除、洗濯、そして衛生管理。

この過酷な辺境生活において、清潔を保てることは何よりの武器になる。


「マリン、ありがとう! あなたは最高の精霊よ!」


私は思わず空中のマリンに抱きつこうとして、すり抜けてよろけた。


『キャッ、触らないでよ! まだ全身洗ってないでしょ!』


マリンはキャッキャと笑いながら逃げ回る。


「フィオナ」


レオンハルト様が、私の肩に手を置いた。

その手は大きく、そして温かかった。


「……よくやった。これで、ここでの暮らしが変わる」


彼の言葉には、心からの安堵が滲んでいた。

部下を守る長としての責任感。

それが少しでも軽くなったのなら、私の泥だらけの苦労も報われるというものだ。


「はい。……でも、まだ終わりじゃありません」


私は蛇口から流れ続ける水を見つめ、拳を握り直した。


水は来た。

小屋も立った。

あとは、主役を待つだけだ。


「ベルナルド様からの荷物が届けば……本当の『お風呂』が完成します」


想像する。

猫足のバスタブに、この魔法のようなお湯が満たされる光景を。

湯気に包まれて、一日の疲れを溶かす至福の時間。


それはもう、夢物語じゃない。

すぐそこに迫った現実だ。


「待ち遠しいですね」


私が言うと、レオンハルト様は優しく目を細めた。


「ああ。……一番風呂は、お前が入るといい」


その言葉は、どんな勲章よりも嬉しいご褒美だった。


小屋の外では、ドンと騎士たちが歓声を上げながら水路の埋め戻し作業を進めている。

乾いた荒野に、水の流れる音が加わった。

それは、この領地が呼吸を始めた音のように聞こえた。


私は蛇口をキュッと閉めた。

水が止まる。

でも、その管の中には、無限の可能性が詰まっている。


あとは、あの商人の馬車を待つだけだ。

私は小屋を出て、王都へと続く街道の方角を見据えた。

早く来て。

私の真っ白なバスタブを乗せて。

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