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婚約破棄された令嬢は、召喚獣たちとほのぼの領地改革します  作者: 九葉(くずは)


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第4話 乾いた水筒と幻の泉

注文書のインクが乾くのを待つ間も、私の指先はカタログの「猫足バスタブ」のページを何度もなぞっていた。


夢にまで見たお風呂。

でも、今の私にあるのは、契約書という紙切れと、どこまでも広がる乾いた大地だけだ。


「……では、商品は手配しておきます」


ベルナルド様が注文書を鞄に仕舞いながら、眼鏡の奥で楽しげに目を細めた。


「ですがフィオナ様。バスタブは重いですよ。水がなければ、ただの巨大な鉄屑です」


「わかっています。……だから、探しに行くんです」


私は椅子から立ち上がり、足元の土を軍靴のつま先で踏みしめた。

ジャリッ、と乾いた音がする。

この音が、今の私たちの生活そのものだ。


「レオンハルト様、少し出歩いてもいいですか? すぐ裏です」


「……あいつの言っていた泉か」


レオンハルト様は腕を組み、屋敷の裏手に広がる雑木林を見上げた。

夕闇が迫り、木々の影が長く伸びている。


「俺も行く。ポチ、護衛だ」


『……あいよ!』


ポチが私の足元で元気に跳ねた。

頼もしい仲間たちだ。

私はカタログをベルナルド様に預け、歩き出した。


屋敷の裏手へ回ると、ちょうど水汲み班の騎士たちが戻ってきたところだった。

彼らは背中に巨大な木の樽を背負い、荒い息を吐きながら歩いている。


「うおっ……きっつ……」

「あと二往復か……腰が割れるぞ」


汗だくの顔。

泥にまみれたブーツ。

川までは往復で一時間以上かかる。

それを彼らは、毎日何往復もして私たちの飲み水や生活用水を運んでくれているのだ。


胸が痛んだ。

彼らは剣を振るうためにここにいるのに、今はただの水運び人夫のようだ。


「……フィオナ嬢、お疲れ様です!」


私に気づいた若い騎士が、無理やり笑顔を作って敬礼してくれた。

その唇は乾いて白くカサついていた。


「お疲れ様です。……いつも、ありがとうございます」


私は頭を下げることしかできなかった。

無力感が、胃のあたりに重く溜まる。


私が「お風呂に入りたい」なんて贅沢を言えるのは、彼らの労働の上で成り立っている。

もし泉が復活すれば、飲み水だって確保できる。

彼らの負担を減らせる。


(やらなきゃ)


ただのワガママじゃない。

これは、領主代行としての責務だ。

私は拳を握りしめ、その痛みを決意に変えて歩みを進めた。


「こっちだ、嬢ちゃん」


ドンの案内で、私たちは雑木林の中へと入っていった。


手入れのされていない森は、歩くだけで一苦労だ。

枯れ枝が服に引っかかり、足元の茨がブーツに絡みつく。

レオンハルト様が腰の剣で小枝を払い、道を作ってくれる。


「……昔はここも、綺麗な遊歩道だったんだがな」


ドンが私の肩の上で、寂しそうに呟いた。


「遊歩道?」


「ああ。前の主……ずっと昔の領主様は、ここを庭園にしてたんだ。水が湧いて、花が咲いて……精霊たちも集まってた」


「へぇ……素敵ね」


想像してみる。

花が咲き乱れる庭園。

小川のせせらぎ。

今の荒れ果てた姿からは程遠いけれど、この土地にはそれだけのポテンシャルが眠っているのかもしれない。


十分ほど歩くと、木々が開けた場所に出た。


「……ここだ」


ドンの声に、私は足を止めた。


そこは、すり鉢状の大きな窪地だった。

直径は十メートルほどだろうか。

周囲には、かつて美しかったであろう白亜の石柱が、折れたり傾いたりして残っている。

古代の神殿の跡のようだ。


けれど、肝心の中身は空っぽだった。


水なんて一滴もない。

あるのは、ひび割れた赤茶色の土と、風に吹かれて転がる枯れ葉だけ。

夕日が差し込み、その荒涼とした風景を赤く染め上げている。


「……完全に、枯れてるわね」


声に出すと、失望がよりリアルにのしかかってきた。


私は水筒を手に取った。

振ってみる。

チャプ、と軽い音がした。

残り一口分。

この泉も、私の水筒と同じだ。


「ドン、本当にここに水があったの?」


「……あったさ。間違いねぇ」


ドンが地面に飛び降り、窪地のふちに立った。


「だが、ここを守ってた『水野郎』がいなくなっちまった。……主がいなくなって、へそを曲げちまったんだな」


「へそを曲げた……」


精霊にも感情がある。

ドンがお腹を空かせていたように、その水の精霊も、何か理由があって姿を消したのだろうか。


「……降りてみる」


私は窪地に向かって一歩踏み出した。


「おい、危ないぞ」


レオンハルト様が私の腕を掴もうとしたが、私は首を振った。


「見てみたいんです。底の状態を」


彼の制止を振り切り、私は斜面を滑り降りた。

ズザザッと土煙が上がる。

靴の中に砂が入る不快感。

でも、気にしている場合じゃない。


窪地の底に立つ。

上から見るよりも深く、壁のように切り立った斜面に囲まれているせいか、空気がひんやりとしていた。


私はしゃがみ込み、ひび割れた地面に手を触れた。


硬い。

石のようにカチカチだ。


「……これじゃ、掘るのも無理そうね」


指先で土をカリカリと引っ掻いてみる。

爪の間に泥が詰まるだけだ。

泥汚れ。

私の手はいつだって汚れている。

王都では恥ずべきことだったこの汚れが、今は手がかりを探すためのセンサーだ。


ん?


違和感があった。

表面は乾いているけれど、その奥。

ほんの数センチ下に、微妙な温度差を感じる。

冷たさ。

そして、微かな振動。


『……ん?』


ポチが私の隣に滑り降りてきた。

鼻を地面に押し付け、フンフンと匂いを嗅いでいる。


『……フィオナ、なんか匂うぞ』


「匂う?」


『……雨の日の匂いだ!』


雨の匂い。

それはつまり、湿気の匂いだ。


私は懐から、ドンに買ってもらったばかりの園芸用スコップを取り出した。

小さなシャベルだ。

これで岩盤を掘るのは無謀かもしれない。


でも、確かめずにはいられなかった。


カツン。

スコップを突き立てる。

硬い手応え。


「ふんっ!」


体重を乗せて押し込む。

ガリッ、という音と共に、乾いた表層が剥がれた。


その下から現れたのは、赤茶色ではなく、黒っぽい土だった。


「……湿ってる」


指で摘んでみる。

しっとりとしている。

冷たい。

これは、間違いなく水分を含んだ土だ。


「レオンハルト様! ドン!」


私は立ち上がり、上に向かって叫んだ。

声が窪地に反響する。


「水です! まだ、水は死んでません!」


レオンハルト様が目を見開き、ドンが「ほう!」と声を上げた。


水はある。

でも、深い。

あるいは、何かに抑え込まれている。

スコップで掘れる深さじゃないかもしれない。


けれど、希望の種は見つかった。

私は黒い土を握りしめ、その冷たさを掌に刻み込んだ。


この下に、私のバスタブを満たすお湯が眠っている。

そして、騎士たちを重労働から解放する未来も。


「……出てきなさいよ、水野郎」


私は土に向かって、小さく呟いた。


「意地悪してないで、顔を見せて。……私、しつこいんだから」


返事はない。

ただ、夕闇に沈む窪地の底で、風がヒュウと鳴いただけだった。


それでも、私は諦めない。

この泥だらけの手で、必ず水を引きずり出してみせる。

乾いた水筒を握り直し、私は本格的な発掘への覚悟を決めた。

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