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黒緋色の翽  作者: 瑞ノ星
第五章
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第四十二話:父さん

路地の水が増える。壁の隙間から滲むように、地面から湧くように、水が集まる。メロウの魔法で、ありとあらゆる場所から、水が集まっていた。


「…まずいです、ここ、メロウの領域にされますよ。」

リュクナが短く言う。


「分かってる。でも…多分大丈夫。」

チェディーは大鎌を虚空に仕舞う。


メロウはチェディーの行動を見て、呆れた。

「おいおい、戦いはこれからだってのに、もう戦意喪失かよ。」


水膜に足を捕らわれ、動けなくなっているチェディーとクロアケ。そして、魔力はあるが魔法の才がないリュクナ。三人を見て、メロウは違和感に気づく。


「そういや、侵入者は四人だったって噂だが…おい、何か隠してないか?」

メロウはチェディーに問いかける。が、チェディーはニヤついた笑顔のまま、喋らない。


「…まぁいい。誰か殺せば出てくるだろう。」


メロウの言葉と共に、路地を満たした水が一斉にうねった。上空に水が集まっていく。この質量の水が水針となって降り注げば、今度こそ命に関わるだろう。


「ほら、守れよ。守ってみろよ!守りたいものがあるんだろ、魔王チェディー!」


水針が、来る。



その時___。


「……父さん…!」


震える声が、戦場の空気を裂いた。


瓦礫の隙間から、小さなキメラ、アドペロが姿を現した。

姿が変わっていても、育ての父であるメロウには、アドペロの瞳と声だけで、全てが分かった。


メロウの顔から、表情が消えた。


「アドペロ…お前、生きて……。」

メロウの魔法が止まった。動揺は魔力を歪ませる。


上空の水の塊は、意志を失ってほどけ、無力な雨となって降り注いだ。

クロアケとチェディーを捕らえていた水膜も、ただの水溜まりとなった。


「隙だ!」

クロアケは一気に走り出す。滑るように距離を詰め、槍を持つメロウの手に対し、回し蹴りを放った。


メロウは目を見開き、後退りをする。

「…!」


靴底が槍の柄を払った。

金属が乾いた音を立てて、槍は路地の端へ弧を描いて転がった。


「今が好機です!」

リュクナも走り始める。


だがメロウは咄嗟に手で払う動作をした。武器がなくとも、メロウには卓越した魔力がある。地面に溜まった水分が引き寄せられ、一つの塊になる。圧縮され、水針になる。先ほどより荒い。けれど威力は十分だ。


「舐めるなよ…!」

水針が、リュクナの胸元へ放たれる。


「させない!」

その針が届く直前__闇の膜が広がった。

チェディーが魔法で、メロウの攻撃を相殺したのだ。


リュクナの勢いは止まらない。

短剣を構え、見据える先はメロウの胸元。


「ぁあああああ!」


雄叫びを上げて、リュクナはメロウの胸に短剣を突き刺した。

そのまま二人は、濡れた地面に転がる。


アドペロは悲鳴を押し殺して、口元に手を添えた。ゆっくりと、父の下へ歩み寄る。



短剣の刃が、更に深く沈む。

メロウは抵抗しなかった。


メロウの目が捉えていたのは、リュクナの耳飾り。


それは、かつてメロウが、アルケイに渡した耳飾りと、同じものだった。


メロウの指が、震えながら伸びる。

口元を血で汚しながら、リュクナの耳飾りに触れる寸前で止まった。


「……この耳飾り…どこで……。」


リュクナの表情が固まる。短剣を引くべきか、引かないべきか、迷う。どちらにせよ、人を刺したことには変わりない。もう、手遅れだった。


メロウは息を吐き、絞り出すように言う。

「…アルケイも……生きてるのか…?お前は…アルケイの何だ…。」


リュクナは喉を鳴らした。

「………僕は、ご主人…アルケイ様の弟子です…。貴方が育てた息子に、僕は救われたんです。でも、もう…ご主人は亡くなりました。アドペロさんを…妹を助けようとして、魔術の代償で…。」


メロウの顔から、力が抜ける。行き場のない感情が、ほどけていく。残ったのは、取り返しのつかない喪失だけだった。


「……そうか………。」


かすれた声が、路地に落ちた。


アドペロが、メロウの下にたどり着く。膝から崩れ落ち、何もできずにいた。


メロウは、薄く笑う。

「アドペロ……。」


呼ばれた瞬間、アドペロの肩が跳ねた。


「……(アルケイ)の分まで……生きろ……。」


息が、途切れ途切れになる。


「俺は…何も知らないまま…虚無を……生きた…。」

その言葉は重かった。


最後にもう一度だけ、メロウはリュクナの耳飾りを見た。そこに息子の面影を重ねるように。


「…アルケイ……俺も…そっちに………。」


そして、力が抜ける。


メロウの瞳から生気が消え、体から魔力の圧が抜けていった。路地に残った水は、ただの水になり、静かに地面へ染み込んでいく。


リュクナは短剣を握ったまま、唇を噛みしめる。アドペロはメロウの手を握る。クロアケは自分の頬を拭い、チェディーは空を見上げた。


「…雨、まだ止まないね。」


メロウの魔法によって上空に浮かんでいた水は、

ずっと、雨になって降り注いでいた。

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