第四十二話:父さん
路地の水が増える。壁の隙間から滲むように、地面から湧くように、水が集まる。メロウの魔法で、ありとあらゆる場所から、水が集まっていた。
「…まずいです、ここ、メロウの領域にされますよ。」
リュクナが短く言う。
「分かってる。でも…多分大丈夫。」
チェディーは大鎌を虚空に仕舞う。
メロウはチェディーの行動を見て、呆れた。
「おいおい、戦いはこれからだってのに、もう戦意喪失かよ。」
水膜に足を捕らわれ、動けなくなっているチェディーとクロアケ。そして、魔力はあるが魔法の才がないリュクナ。三人を見て、メロウは違和感に気づく。
「そういや、侵入者は四人だったって噂だが…おい、何か隠してないか?」
メロウはチェディーに問いかける。が、チェディーはニヤついた笑顔のまま、喋らない。
「…まぁいい。誰か殺せば出てくるだろう。」
メロウの言葉と共に、路地を満たした水が一斉にうねった。上空に水が集まっていく。この質量の水が水針となって降り注げば、今度こそ命に関わるだろう。
「ほら、守れよ。守ってみろよ!守りたいものがあるんだろ、魔王チェディー!」
水針が、来る。
その時___。
「……父さん…!」
震える声が、戦場の空気を裂いた。
瓦礫の隙間から、小さなキメラ、アドペロが姿を現した。
姿が変わっていても、育ての父であるメロウには、アドペロの瞳と声だけで、全てが分かった。
メロウの顔から、表情が消えた。
「アドペロ…お前、生きて……。」
メロウの魔法が止まった。動揺は魔力を歪ませる。
上空の水の塊は、意志を失ってほどけ、無力な雨となって降り注いだ。
クロアケとチェディーを捕らえていた水膜も、ただの水溜まりとなった。
「隙だ!」
クロアケは一気に走り出す。滑るように距離を詰め、槍を持つメロウの手に対し、回し蹴りを放った。
メロウは目を見開き、後退りをする。
「…!」
靴底が槍の柄を払った。
金属が乾いた音を立てて、槍は路地の端へ弧を描いて転がった。
「今が好機です!」
リュクナも走り始める。
だがメロウは咄嗟に手で払う動作をした。武器がなくとも、メロウには卓越した魔力がある。地面に溜まった水分が引き寄せられ、一つの塊になる。圧縮され、水針になる。先ほどより荒い。けれど威力は十分だ。
「舐めるなよ…!」
水針が、リュクナの胸元へ放たれる。
「させない!」
その針が届く直前__闇の膜が広がった。
チェディーが魔法で、メロウの攻撃を相殺したのだ。
リュクナの勢いは止まらない。
短剣を構え、見据える先はメロウの胸元。
「ぁあああああ!」
雄叫びを上げて、リュクナはメロウの胸に短剣を突き刺した。
そのまま二人は、濡れた地面に転がる。
アドペロは悲鳴を押し殺して、口元に手を添えた。ゆっくりと、父の下へ歩み寄る。
短剣の刃が、更に深く沈む。
メロウは抵抗しなかった。
メロウの目が捉えていたのは、リュクナの耳飾り。
それは、かつてメロウが、アルケイに渡した耳飾りと、同じものだった。
メロウの指が、震えながら伸びる。
口元を血で汚しながら、リュクナの耳飾りに触れる寸前で止まった。
「……この耳飾り…どこで……。」
リュクナの表情が固まる。短剣を引くべきか、引かないべきか、迷う。どちらにせよ、人を刺したことには変わりない。もう、手遅れだった。
メロウは息を吐き、絞り出すように言う。
「…アルケイも……生きてるのか…?お前は…アルケイの何だ…。」
リュクナは喉を鳴らした。
「………僕は、ご主人…アルケイ様の弟子です…。貴方が育てた息子に、僕は救われたんです。でも、もう…ご主人は亡くなりました。アドペロさんを…妹を助けようとして、魔術の代償で…。」
メロウの顔から、力が抜ける。行き場のない感情が、ほどけていく。残ったのは、取り返しのつかない喪失だけだった。
「……そうか………。」
かすれた声が、路地に落ちた。
アドペロが、メロウの下にたどり着く。膝から崩れ落ち、何もできずにいた。
メロウは、薄く笑う。
「アドペロ……。」
呼ばれた瞬間、アドペロの肩が跳ねた。
「……兄の分まで……生きろ……。」
息が、途切れ途切れになる。
「俺は…何も知らないまま…虚無を……生きた…。」
その言葉は重かった。
最後にもう一度だけ、メロウはリュクナの耳飾りを見た。そこに息子の面影を重ねるように。
「…アルケイ……俺も…そっちに………。」
そして、力が抜ける。
メロウの瞳から生気が消え、体から魔力の圧が抜けていった。路地に残った水は、ただの水になり、静かに地面へ染み込んでいく。
リュクナは短剣を握ったまま、唇を噛みしめる。アドペロはメロウの手を握る。クロアケは自分の頬を拭い、チェディーは空を見上げた。
「…雨、まだ止まないね。」
メロウの魔法によって上空に浮かんでいた水は、
ずっと、雨になって降り注いでいた。




