第四十話:人魚の末裔
チェディーの眠りは浅かった。
魔界に昼夜がないせいだけではない。チェディーは元々、眠りに落ちるという行為が苦手だった。暗い魔族社会で生きてきた者は、眠りに身を預けるより先に、周囲の気配を拾ってしまう。
チェディーは瞼を開けた。懐かしい気配を察知したからだ。
「…あいつ、随分雰囲気が変わったね。」
一人呟く。
隣で横になっていたクロアケは、いつものように悪夢を見ているようで、表情が険しい。リュクナは寝苦しそうに寝返りをうち、耳飾りを揺らしていた。アドペロは丸まって眠っているが、獣耳を動かしている。
そんな中、シュナも遅れて目を覚ました。
静かに身を起こし、頭を掻きながら喋る。
「…魔王様も、やっぱり感じるか。」
「やれやれ、一人で対処しようと思ったのに…。君こそ、あいつのこと知ってるの?」
チェディーは余裕の表情で伸びをする。
「オレの“お得意様”の一人だ。ちなみに、ハースティアの幹部だぜ。今までみたいなことは通じない。戦闘は避けられないだろうな。」
シュナは紙切れとペンを取り出すと、軽く何かを書き込み、リュクナの側に置いた。続いて、身支度を整える。
「…その様子だと、一緒に戦ってはくれないよね。」
チェディーは静かに立ち上がって言った。
シュナは鼻で笑う。
「…客人に手を出す店主がいるかよ。オレは元々便利屋、戦場は肌に合わん。それとも、オレが戦いに慣れてるように思うか?」
他の三人が寝静まる中、シュナとチェディーは抜け出す。
「じゃあ、後はアンタらで頑張ってくれ。健闘を祈る。」
シュナは来た道を引き返す。チェディーはそれを見送ると、シュナとは反対側の路地に歩いた。開けた場所で待ち構えると、“それ”は建物の上から降ってきた。
槍を持つ姿は、溢れる魔力を帯びている。耳の位置にはヒレがあるが、確かに二本の脚で立っている。青い飾り布の先端や服の裾には、水色に輝く宝石の装飾がついている。灰色の髪と、光のない海の底のような瞳を持った、人魚の末裔だった。
「…チッ。誰が侵入者かも分からず突っ込んでみりゃ…。」
人魚は低く笑う。
「今更戻ってきやがって。もうどうにもならねぇんだよ、魔王サマ。」
地面に槍を突き立て、手袋をはめ直す。
「夜中に起きる癖が抜けなくてさ…真っ先に気付いちゃったよ。アルケイとアドペロを一緒に育てた時を思い出すね、メロウ。」
メロウと呼ばれた人魚は、地面から槍を引き抜いた。
「うるせぇな…ほら、他にもいるだろ?侵入者。そいつらの居場所を吐け。そしたらお前だけは見逃してやる。」
溢れる魔力は魔法となり、メロウの周りに水の玉が浮かぶ。
路地は神秘的な世界に包まれた。
「…その性格の変化、レヴィとかいう奴のせい?チェディーが帰ってきて嬉しくないの?」
チェディーの手に、大鎌が現れる。闇を裂くような刃。
周囲の温度が落ちた。
「君を戦闘不能にして、昔のパパに戻ってもらうよ。」
「それは無理な話だなァ!」
メロウは槍を握り、チェディーは大鎌を構えた。
戦いの火蓋は切られた。
刹那。衝撃が地面に走る。
瓦礫が鳴り、粉塵が舞った。
振動が、クロアケ達の下へ届く。
「…ッなんだ!」
クロアケは飛び起きた。状況がわからず、周囲を見渡す。
アドペロもリュクナも起きていた。そして気づく。
チェディーと、シュナがいない。
「見て下さい、これ…。」
リュクナは側に置かれていた紙切れを見ていた。シュナのメモだ。
『アンタらがこのメモを見ている頃は、チェディーはハースティアの幹部の一人、メロウと戦っている最中だ。メロウは人魚だが、下級魔族として扱われてる。オレは顔を見られると面倒になるから、この先は同行できない。後は頑張ってくれ。』
それを見たクロアケ達は、思わず外に飛び出す。
チェディーとメロウの戦闘は、収容所で戦った魔物との戦闘より激しかった。
槍と大鎌がぶつかり合い、時にはメロウが、周囲の水の玉を針状にして飛ばす。それをチェディーはひらりと回避し、合間に大鎌から衝撃波を飛ばす。
「シュナも勝手だな…こんな敵を知ってて逃げるのか…。」
クロアケは眉を寄せる。
「いや、シュナはあいつのことお得意様って言ってたよ。戦闘はしたくないって…ボク、耳はいいんだよね。」
尻尾を揺らしながら、アドペロは言った。
「あの人はアドペロさんの育ての父だという話でしたよね、でもハースティアの幹部です。この様子だと大人しく見逃してくれるとは思いません…。」
リュクナは短剣を引き抜く。
「待ってよ、話せばきっと分かってくれる…!」
アドペロは懇願するように言った。
「…相手は下級魔族…。もしかしたら、僕の故郷を襲った魔族かも…!」
リュクナは駆け出す。
「それは…っ!違う…!」
アドペロは否定しようと言葉を選ぶ。
その考えが間違っていることは、アドペロが一番よく分かっていた。
「私も行く。リュクナの背中くらいは守れるだろ!」
リュクナの後を追いかけて、クロアケも走った。
アドペロは去り行く二人を止めようとして、足が震える。
それは仲間を守りたい気持ちと、父と戦いたくない気持ちが混ざりあった、複雑な気持ちからくるものだった。




