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黒緋色の翽  作者: 瑞ノ星
第四章
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第三十六話:拒絶

道は無かった。ただ街の外側の地面を歩いていた。


舗装された名残はなく、瓦礫と土が混ざった不安定な足場が続く。かつて人が通った痕跡だけが、壁の崩れ方や、踏み固められた地面に残っていた。誰も整備しないまま、長い時間が経ったのだと分かる。


「この辺りから入るぞ。」


シュナが立ち止まり、朽ちた建物の壁を指差した。壁の一部が崩れ、ぽっかりと穴が空いている。その向こうは、街の内側へと繋がっていた。


クロアケは無意識に歩調を緩めていた。理由はわからない。ただ、胸の奥がひどくざわつく。


足元に、錆びた金属片が転がっていた。

鎖の輪のようにも見えたそれを、クロアケは避けるように歩く。触れてはいけない気がした。


「…?」


左目が、じくりと痛んだ。


包帯の下で、嫌な感覚が広がる。痛みと、引き戻されるような感覚。

思い出したくない何かが、ここにあると、体が知っている。


「アケちゃん、平気?」


チェディーの声に、クロアケは小さく頷く。

「…大丈夫だ。」


そう答えながらも、視線は自然と壁の穴へ向けていた。

暗い。けれど、その闇は知らないものではなかった。


「ここから先は街の中だ、気を引き締めろよ。」


…。


穴の空いた壁を抜けると、空気が変わった。錆びた鉄の檻が、規則正しく並んでいる。床には鎖の擦れた跡だけが残り、誰のものだったかを示すものは何一つ無かった。


クロアケはここに足を踏み入れた瞬間、息が止まった。

鉄の匂い、足首の重さ、冷たい床。


ここで、確かに生きていた。


___。


泣き声が重なる。足枷の鎖が鳴る。看守の怒号と、叩きつけられる音。これが、クロアケの覚えている限りで一番古い、幼少期の記憶だった。


ある日、血と泥に塗れた自分の手を、誰かが握ってくれた。それが、あの異形の女神だった。

「やっと見つけた。」という言葉が、頭の中で響いた。


戦争が激化した。隙を見て、他の奴隷達が逃げ出す。自分も両親とともに外へ逃げた。


走った。


境界を超えたと思った瞬間、背後で声がした。

振り返った時、もう両親は立っていなかった。


食われていた。


気が狂った。叫ぼうとして、声が出なかった。

目の前に、翼を持った魔族が降り立つ。

「もう苦しまなくていいよ。」という、優しい声。


左目がじわりと暖かくなり、視力が戻る。

そこで思い出した。


森で目覚めた日。

記憶が途切れていた理由、思い出せなかった理由。


記憶を、誰が消したか。


___。


現実の鉄臭さが、肺の奥に戻ってきた。


「……チェディー。」


チェディーに掴みかかり、錆びた鉄の檻に叩きつけた。

ガシャン、という音が響く。


クロアケの包帯が、掴みかかった勢いでほどけた。


「全部…思い出した…。お前、今までどんな気持ちで私と過ごしてたんだよ!」

掴みかかった手に力が入る。


「あ、アケちゃん、何のこと?ねぇ、怒らないでよ…。」


「私が両親を探して森の中を歩き続けていたこと…両親はもう死んでたこと、全部知ってて影で笑ってたんだろ!?」


クロアケはこの時初めて、人間的な感情を抱いた。

怒りだけではない。悲しみと、裏切られた痛みが混ざり合っていた。


チェディーは檻に背を打ちつけられたまま、抵抗せず、ただクロアケを見つめていた。

その目には、いつもの軽さはなかった。


「…影で笑うなんて、そんなこと、するわけないでしょ……。」

声はかすれていた。


「アケちゃんが思い出したら、壊れるって思った。あんな記憶を抱えたまま生きるなんて、人間には無理だって思って…。魔術で消したんだ…アケちゃんの左目が代償になるとは、思ってなかったけど…。」


クロアケの手が、僅かに揺れた。


「じゃあ…優しくしたのは、全部、罪悪感か?」


「違う!」


チェディーが声を荒げた。


「全部、守りたかったから…!普通の人間みたいに、正気のまま生きててほしかった!!」


鉄の檻が軋む。チェディーは掴まれたまま、続けた。


「勝手に消したのは…悪いと思ってるよ。でも、アケちゃんが生きるためには、必要なことだと思った。」


沈黙が落ちた。


クロアケの中で、何かが決定的に壊れた。


「……じゃあ、私の人生は何だ?」


低い声だった。手が、ゆっくりと離れる。


「…私は、忘れたかった訳じゃない。」


クロアケは一歩下がる。

その距離が、拒絶そのものだった。


チェディーの喉が鳴る。

何か言おうとして、言葉にならなかった。


「今は…お前の顔を見たくない。」


アドペロは歯を食いしばり、リュクナは何も言えず立ち尽くしていた。


シュナだけが、少し離れた場所で周囲を見ている。

「最悪の場所で、最悪のタイミングだな。」


騒ぎの中、魔物が現れた。

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