第三十三話:命無き世界
門が開いた。
それは、一人の少女による犠牲で起こった奇跡だった。
禍々しい霧が森へ流れ込み、境界の向こうが歪んで見える。入らないという選択肢はなかった。今更怖気づく者は、ここには居ない。
「…いつかはこうなるって、分かってた。」
「ボクは、また戻ることになるなんて思わなかったよ。」
「この先は何が起こるか分かりません、気を付けて行きましょう。」
魔界に向かう全員が境界の先を見ている。アルノーは開いた門の側に寄りかかり、クロアケ達を眺めていた。
「気張れよ。」
アルノーの短い応援を受け、クロアケは歩き出す。
「よし。行くぞ!」
続いて歩き出すチェディー、アドペロ、リュクナ。
門の先へ。境界の先へ。
そして未知の世界に飛び込んだ。
___。
たどり着いたのは、薄暗い森の中。そこは、赤黒い雲が空を支配していた。
魔界の空は、昼でも夜でもない。川は、生命の気配を一切感じさせなかった。遠くには古びた城が見える。近くに見える街は酷く荒れていて、この世界がもう“終わっている”ということが分かる。
「とりあえず、街まで行こう。何か分かるかも知れない。」
クロアケが進もうとする。足取りは何故か軽やかだった。
「待って、ここはもう魔界だよ。そのまま進むのは命知らず過ぎる。」
アドペロがクロアケの袖を掴む。
「…でも…...。」
道が分かる。その言葉を飲み込んだ。知らないはずなのに、体がこの道を通ったのを覚えている。クロアケは頭痛に襲われ、顔をしかめる。
その時、遠くから足音が聞こえた。落ち葉を踏みつける音。魔族か、魔物か、魔人か。何れにせよ、魔界という未知の世界で、友好的な人物に会える可能性は低い。全員が警戒態勢に入る。
「おいおい、そんな警戒すんなよ。取って食ったりしないぜ。」
姿が見える。それは高めの声をしていた。整えられていないオレンジ色の長髪と、どこか時代にそぐわない衣装を纏った、整った顔立ちの中性的な青年だった。その目は炎のような色をしている。
「オレはシュナ。人界で言うところの魔人に近い存在だ。よろしくな。」
そう言ってシュナはクロアケに左手を差し出してくる。
その手は直前まで袖で隠れていたが、機械でできた作り物の手だった。
「…ああ。よろしく。」
クロアケはその手を取ることを一瞬躊躇ったが、シュナの屈託のない笑顔を見て手を取った。特別なことは何も無い、ただの握手だった。それを見て、リュクナ以外のメンバーは警戒を解く。
「何者ですか、貴方。」
リュクナは短剣の柄に手を伸ばす。
「だぁから、さっき言ったろ?魔人に近い存在。もっと詳しく言うなら、魔界で便利屋をしてる。これでいいか?」
「じゃあチェディー達が敵に見つからないように、道案内とかしてくれる?」
チェディーは手を一つ、パンと叩いて言った。
「いいけどアンタ…ああ、訳ありね…。」
シュナはチェディーの姿を見て何かを言いかけたが、察して口を閉ざした。
「…ええと、道案内だよな。いいぜ、なんなら魔界がどうなってるかも教えてやる。ついてきな。」
シュナは段差を飛び越え、ぬかるんだ森を歩く。
「なぁ、なんでお前はそんな親切なんだ?」
クロアケはシュナについていきながら話しかける。
「オレはこのどうしようもない世界をなんとかしたいだけだ。三十年前まで居た先代魔王の時代はまだ平和だったらしいけどな、オレはその時代を知らん。時を超えてきたからな。」
「待って、今時を超えたって言った?時渡りの術者ってこと!?」
アドペロは驚き、シュナを見る。
「いやまぁ、実はそんなに覚えてないんだよな。多分、時を渡ったショックで記憶が薄れてんだよ。今の時代に合った偽名を名乗り続けたら、今じゃ本名が何だったかすらおぼろげになっちまった。」
「随分、過酷な人生を歩んできたみたいだね。」
チェディーはぬかるみに足を入れず、軽く羽ばたいて移動していた。
…。
「ついたぜ、人が寄り付かない街の隅、元は泥沼の街と呼ばれてた場所の一部だ。」
その区画にある煉瓦の壁は、建物としてはとうに役目を終えていた。屋根も、床もない。それでも、崩れきらなかった壁だけが、かつて人がここに住んでいたことを、無言で示している。
クロアケは包帯越しに左目を押さえる。魔界に来てから、クロアケはずっと痛みに襲われていた。それが何なのか分からない。ただ、チェディーだけが異変を感じ取り、クロアケの側に居続けた。
「…ここで少し、休もっか。」
シュナは頷き、瓦礫の一部を持ち出して座る場所を作った。




