第三十二話:門番
血の匂いが、境界の森に漂っていた。
アルノーは膝をつき、杭を地面に突き立てたまま、動かなかった。
「私達は今からクエラを使って魔界に行く。境界の門番として、街を守ってくれないか?」
クロアケは手負いのアルノーに頼んだ。アルノーは手当された傷口を押さえながら笑う。しかし、その笑みはどこか投げやりだった。
「…はは、いいだろう。引き受ける。」
「いいのか?」
「どうせこの傷じゃ、未知の世界に飛び込むのは自殺行為だ。大人しく門番をしよう。ただし、こちらにも条件がある。」
アルノーは立ち上がり、一つ咳をして言った。
「…エデフィって幼馴染が、居たんだ…アイツは魔族との混血児。できれば見つけて、連れ戻してほしい。昔、喧嘩したきりで、そのまま…魔界に消えた。できれば、もう一度…会って話がしたいんだ。」
クロアケはそれを聞くと、チェディーを見た。チェディーは頷き、質問する。
「その子、獣人だった?混じってる血が何系か知りたい。顔はどんな感じ?」
「獣人ではないな、見た目は普通の人間だ。顔は…凄く綺麗で、昔から力が強かった。」
チェディーはじっと考え込むと、アルノーの目を見て言った。
「その子ならきっと生きてるよ。多分、魔人だ。魔人は決まって見た目が良くて、幼少期から並外れた力を持ってるのが特徴なんだよね。」
視線を境界の門へ移したチェディーは、言葉を続ける。
「…魔人なら魔族と同じくらいの強さだと思う。でも思考も魔族寄りだから、戻ってくるかは分からない。見かけたら説得はしてみるけど、期待はしないで。」
「……だってさ。私達も力になる。そうだろ?リュクナ、アドペロ。」
クロアケは後ろを振り返り、問いかける。
「うん。借りとはいえ怪我させたし、否定はできないかな。」
「そうですね、大切な人ともう一度話をしたい気持ちは痛いほど分かります。」
全員、肯定した。その事実に、クロアケは笑みを浮かべる。
「決まりだな。安心して門番してくれ。」
「そこまで言われちゃ、やるしかないね。」
アルノーは神父らしい所作を取り繕い、礼をした。
…。
「さて、困ったな…問題は、鍵は一度使うと人の形に戻れないことだ。グレンシック家のお嬢様が消えたら、一大事じゃないか?」
クロアケは頭を掻く。しかし、クエラは気にせず境界に近づきながら言った。
「いいの。おうちのひとは、あたしが居たことなんて忘れてしまうから。女神さまが、記憶を消すって言ってた。あたしのことを覚えている人は、少ないほうがいいんだって。」
クエラは境界の閉じた門に触れる。
誰もがその瞬間、クエラが戻れなくなることに気づいた。
「あたしは、この時代のひとじゃ、ないから…。」
指先が光りながら糸のように解けていく。
境界の門は強く光り始め、鈍い音を立てながら開く。
黒い霧が、森に吹き込む。
「本当に…クエラが、鍵だったのか。」
呟いたのは、アルノー。
目を見開き、クエラが消えていくのを眺めることしかできない。
それは、クロアケ達も同じだった。
「ああ…クエラ…ッ!クエラ…。」
クロアケはクエラを失いたくない気持ちで満たされる。それでも無情にクエラは消えていく。手を伸ばそうとして、左目に激痛が走り、動けなくなる。
「アケちゃん…。」
チェディーすらも、動けずにいた。
光がクエラを包む。解けるように、体がなくなっていく。
門に吸い込まれるように、クエラの体が門と一つになっていった。
門が、開く。




