第二十話:戻らない
朝の日差しが、寝室の窓から入ってくる。
クロアケはベッドの中で、涙を流していた。それは、一年が過ぎても、何一つ現状が変わらないことへの涙だった。両親を見つけられない。自分の記憶も戻らない。月日を重ねるごとに、昔を忘れ、今という時間に記憶が塗り重なっていくことが、クロアケには耐えられなかった。
「…こんな感情、どうしたらいいか分からないな…。」
クロアケは一人呟いた。チェディーは最近様子がおかしく、昨日は深夜に魔法店へ行き、それから帰ってこなかった。朝になっても、チェディーの姿は見えない。
自分で水桶を用意し、顔を洗い、慣れた手つきで左目に包帯を巻く。朝食を作る。この暮らしが、当たり前になってしまった。以前どんな暮らしをしていたかなんて、今のクロアケにはもう思い出せない。それほどの月日が経ってしまった。クロアケはふと、アドペロの言葉を思い出す。
(人間の記憶なんて、そんな物…か…。)
…。
クロアケが朝食を食べ終えた頃、扉が開く。
顔を腫らしたチェディーが、そこに立っていた。
「…ただいま。」
その一言で、クロアケは何かが起きたことを悟った。声色と佇まいが物語っていた。
「チェディー…正直に話してくれ。魔法店で…何があったんだ。」
チェディーの元へ歩き、手を握った。
クロアケはチェディーの話を聞き、目を見開いた。
___。
同時刻。
両手いっぱいに様々な薬草を抱えたリュクナが、魔法店に戻ってきた。寝る間も惜しんで、月の明かりだけを頼りに薬草を見分け、摘んできたリュクナの服は、土で汚れていた。
(これだけあれば、ご主人の体はきっと良くなる。一人前の証に耳飾りも貰ったし、僕ならきっとできる!)
上機嫌で店の扉を開ける。
異様に静かな店内。リュクナは、アルケイがまた徹夜をして寝てしまったのだと思い、辺りを見渡す。しかしアルケイの姿は見えない。
(ご主人、今日は珍しくベッドで寝たのかな。)
リュクナは、薬草を軽く洗い、種類ごとに薬草箱へ分け入れた。その拍子に、懐に入れっぱなしだった日記と耳飾りに気づき、日記だけを本棚に入れる。耳飾りを握りながら、ゆっくりと二階へ上がった。
アルケイの部屋の前に来た時、初めて言いようのない違和感を覚えた。
リュクナは扉を開ける。そこには、ベッドで眠るアルケイの姿があった。
安らかな寝顔を見て、ほっとする。ただ、眠っているだけだろう。そう思って声を掛ける。
「ご主人、もう朝ですよ。薬草摘んできたので、薬を用意します。起きて下さい、ご主人!」
何度呼んでも、目覚めない。
「…ご主人?」
手を握る。
「………そんな。」
頬に触れる。
既に、冷たい。リュクナはアルケイの胸に耳を当てる。鼓動は聞こえない。
ただ、陶器のように白い肌が、現状を残酷に表していた。
「嘘ですよね、だって、夜、あんなに話して…。いや、僕は焦って飛び出したんだ…ご主人は最初から分かってて……なんで…僕は…ッ!」
リュクナは膝から崩れ落ちる。もう冷たくなったアルケイの手を握って、涙を流した。
アルケイはリュクナにとって、二度目の家族のようなものだった。故郷を失い、慕っていた師匠まで失った。十五歳の少年が抱えるには、重すぎる現実だった。
…。
夕方、店の扉を叩く音が聞こえた。リュクナは何も食事を口にしないまま、ずっとアルケイの側にいた。客人が来ている。対応しなければ、と脳は信号を出しているが、心が折れたリュクナの体は動かない。
しばらく経ち、扉が開く音がした。リュクナは重い体を起こして、階段を降りる。
そこにいたのは、チェディーと、クロアケ。
「…今日はお引き取り下さい。ご主人は…不在なので。」
絞り出すような声。チェディーは何も言わない。
最初に声を発したのは、クロアケだった。
「…アルケイ、死んだんだろ。」
全てを聞いたクロアケは、無感情に言い放った。チェディーは咄嗟にクロアケを叱る。
「ちょっと、それはあまりにも…無慈悲すぎるよ…!」
リュクナは涙の跡を隠さずに、クロアケの前まで歩く。そして、力を込めてクロアケの頬を叩いた。
バチンッ…という音が響く。
リュクナは再び涙を流して言った。
「…本当に……人の気持ちが分からないんですね、貴方は。」
クロアケは頬を擦りながら、リュクナの目を見つめた。
「…悪かった。でも、人はいつかは死ぬんだ。受け入れて、前に進むしかない。」
「そんなこと、分かってますよ!!」
リュクナは声を荒げる。耳飾りを握る手に、力が加わる。
「記憶と一緒に、心まで失ってるんですか?」
「…残念ながら、自分のことで手一杯みたいだ。」
チェディーは二人の会話を、黙って聞いていた。
この日、一人の命が失われた。




