第十九話:衰弱と予感
春が訪れ、暖かい日差しが街を照らしていた。
クロアケがチェディーと出会ってから、一年が経った。
…。
夜の街角魔法店。
アルケイの咳は激しく、酷い時は血が混じることもあった。隠そうとはしていたが、リュクナの前でも耐えきれず吐血してしまい、アルケイの余裕はなくなっていった。
「ゴホ…ヒュゥ…はぁ、クソ…これだけは…まとめておかないと…。」
アルケイは魔導書や歴史書などを読みながら、日記に何かを書いていた。その様子を、リュクナは心配しながら見ている。これまで何度も気遣って、様々な病気に効く薬を錬金術で作ってきたが、どれもアルケイには効かなかった。自分の無力さに、心が折れかける。
「…ご主人、貴方は何を必死になっているのですか?」
何かを書き終えたアルケイは、筆を置いて笑顔を見せる。顔色は青かった。
「……もう、これ以上無理はしないよ…それより…ほらこれ。」
アルケイは書いていた日記の束と、宝石でできた耳飾りをリュクナに手渡した。耳飾りは、アルケイの帽子の先についている宝石と同じ素材でできており、綺麗な水色をしていた。
「日記はこの先、行き詰まった時に見ると良い。きっと役に立つ。耳飾りは一人前の錬金術師の証だ…ゲホ、ゴホッ!」
「あ、ありがとうございます…でも、まず体調が心配です!今薬を作りますから…!あ…。」
リュクナは日記と耳飾りを抱えたまま、走って店の奥の薬草入れを覗く。しかし、一つも薬草はなかった。
「そんな、前まであったのに…!ご主人、安静にしててくださいね!今薬草取りに行ってきます!」
冷静さを欠いたリュクナは、店の扉を勢いよく開け、外に出ていく。その後姿を、アルケイは目に焼き付けていた。
しばらくして、チェディーが店に静かに入ってきた。
「…さっきリュクナが走っていったのを空から見てたよ。ねぇ、理由を当ててあげようか?」
チェディーがゆっくりとアルケイの元へ近づく。アルケイは返事を返そうとして、その口から真っ赤な血を机の上に吐き出した。
「アルケイ、薬草を全部捨てたでしょ。店の裏に薬草が捨ててあった。リュクナならアルケイを心配して、新鮮な薬草を取りに行ってまで薬を作ろうとする。あってるよね。」
チェディーは真剣な顔でアルケイに告げる。アルケイは頷いた。
「…全部、お見通しってことかな。」
「本当…兄妹揃ってどうしようもない…アルケイ、もう限界だよね。そんな予感がする。」
勘定台の机に肘を立て、前かがみになる。チェディーはアルケイの顔をよく見つめた。
「無理、しすぎだよ。薬の材料のこと…昔から、魔術の代償は何度も見てきた。龍の血の代わりに、魔術で自分の命削ってたんでしょ…代償さえ払えば、貴重な物の代わりを、生み出せるもんね。」
「ゲホ…僕にできる罪滅ぼしは、これくらいだから…。」
アルケイは吐いた血を布で拭いてから、自分の後ろにある本棚の奥へ手を伸ばす。そこに隠していた小瓶を取り出すと、震える手でチェディーに渡した。
「この中に、完成した、キメラ化を解く薬が入っている…これでアドペロは…妹は、普通の獣人として幸せになれるだろう……母さん、最期に…頼んだよ…。」
震える手をしっかり握り、薬を受け取ったチェディーの顔は、悲しみを帯びている。
アルケイは小瓶を渡した後、それ以上言葉を続けることなく、プツンと糸が切れたように、意識を失った。
「…馬鹿な子。」
チェディーはそれだけ言い残し、静かに店を後にした。
向かう先はアドペロが住む小屋。翼を広げ、音もなく飛び立つ。
…。
扉を叩く。
警戒した瞳をしたアドペロが、扉の隙間から覗く。
「なに、薬ならまだ大丈夫だと思うけど。」
チェディーは黙って、小瓶を差し出す。
「…これ、アルケイが…最期にって。」
「最期…?」
アドペロの指が震える。その小瓶の中身が、いつもと違う。それだけで、完全な薬が完成したことが、アドペロには分かった。それは双子だからだろうか。全てを悟ったアドペロの目に、涙が溢れる。
「なんで…もっと、後だと思ってたのに……。」
雫が落ちる。流れる涙は、止まらない。
「…人界に行くとき…ボクの足が遅いせいで…ボクだけ、研究者に捕まって…逃げ出して…。」
嗚咽混じりに、アドペロは小瓶を握りしめる。
「ボク、ずっと…助けてくれなかった兄さんを…許せなかったの…こんな、こんなすぐにいなくなるなんて…やだよお…!」
チェディーはぎゅっとアドペロを抱きしめた。アドペロの尻尾が、悲しげに揺れる。
「今更、遅いんだよぉ、母さんが優しくするのも、兄さんの罪滅ぼしも…!ボクも…!」
夜の闇の中、アドペロの拳の中で、小瓶の中の液体が揺れていた。




