第十五話:キメラ
その日の夜、クロアケはいつものように目を覚ます。
両親を探しに、自分の記憶を確かめに。
この日はもう一度自分が目覚めた場所、境界と呼ばれる付近に近づこうと考えていた。この付近は魔族が出るからと、チェディーに強く止められていたことを思い出したが、クロアケはそれを無視して森の奥へと歩みを進めた。
しばらく歩くと、小屋が見えてきた。いつかの日に見た、質素な小屋。
(あそこには、アドペロっていうアルケイの妹が住んでるんだったかな…。境界近くに住んでるってことは、私の両親のことも知ってるかも…。)
クロアケは質素な小屋の扉を叩く。その音に驚いたのか、物を落とす音や、水を溢すような音が続けて聞こえる。小屋の中から、慌てる声が響く。
「あっ、あわわ、水こぼしちゃった…あーあ、台無しだよ…。」
クロアケは既視感を覚えた。最初にアルケイと出会ったときも、こんな感じだったと思い出すと、この兄妹は似ていると感じ、少し笑いが込み上げてくる。
「ふふ…お前、面白いな。やっぱりアルケイに似てる。」
扉越しに声を掛けると、音はピタリと止んだ。やがて片付ける音が聞こえたかと思うと、扉が開いた。
「…ええと、クロアケ、だったっけ…チェディーから聞いてる…入っていいよ。」
「ああ、失礼する…。」
中に入ると、湿った土と油が混ざった、独特の匂いがこもっていた。
生乾きの布と、小皿に盛られた青や赤の粉が目を引く。
画家の部屋だとすぐに分かった。
「…絵を描くのが好きなんだってな、チェディーから聞いてるよ。」
「ふーん…アイツ、ボクのことほとんど知らないくせに…まぁ座りなよ、話があるから来たんでしょ?」
アドペロは背を向けて、尻尾の先で座る場所を指す。
そこには丸太を切っただけの、椅子と呼べないものが転がっていた。
クロアケは丸太を切っただけの椅子に腰掛け、他愛もない雑談から話し始めた。
「ここにはずっと一人で暮らしていたのか?」
アドペロは立ったまま、尻尾を揺らしてそっぽを向いている。
「…うん。こんな見た目じゃ、人間に怖がられちゃう。人のいるところじゃ、住めないよ。」
「お兄さんとは暮らさないのか?」
それを聞いて、アドペロは一瞬クロアケを見たが、すぐにそっぽを向いてしまった。
「兄さんとは…暮らせない。人間の助手と暮らしてるでしょ。きっと嫌われる。」
「そんな小さいのに、よく頑張れるな。」
クロアケは温かい目をした。
「…成長が止まってるだけ。兄さんとは双子だよ。」
アドペロは申し訳なさそうに答えた。
「えぇ!?でも、だって、見た目が子供過ぎるぞ…なんで成長が止まったんだ?それにデカい尻尾…明らかに魔族だ。アルケイと同じ獣人というには、見た目が離れすぎてると思うんだが…。」
「それにはちょっと…深い事情があって…まぁ、色々あったのさ、昔にね。」
「…最初に会ったときに逃げたのも、その事情のせいか?」
「そうだね、ボクを捕らえに来た…研究者かと思って…。」
その言葉の続きは喋らなかった。アドペロの心には、深い傷があるようだった。
「悪い。なんか、無神経なことを言ったみたいだな。」
クロアケは謝罪する。話を切り替えようと、本来聞きたかった情報を聞くことにした。
「…あの、私の両親を知らないか?探してるんだ。」
それを聞いて、アドペロは小さく、喉を引きつらせたような悲鳴を上げる。
「っひ…し、知らないよ…。」
「…?どうしてそんなに怯えているんだ?」
クロアケは立ち上がって、小さく丸まったアドペロの肩を叩く。アドペロは怯えながら、その手を軽くはらった。
「クロアケは、何も知らずに過ごしてるんでしょ…なんで思い出そうとするの?」
「そりゃあ、行方知れずの両親のことは、知りたいだろう。」
「じゃあ今、両親の顔は分かる?声は?雰囲気は?」
アドペロは袖の隙間から顔を覗かせ、クロアケに問い詰めるように聞いた。
「え…えっと、優しかった…?気がする…。」
クロアケは、自分が探しているはずの両親の記憶が、まったくないことに気づいた。初めてチェディーと出会った時は、かろうじて残っていたはずなのに、何も思い出せなくなっていた。
「そんな…半年と少し、過ぎただけだぞ…育ててくれた両親を忘れるなんて、おかしい…いや、ずっと一緒にいたかと言われれば、そうでもなかった気が…。」
クロアケは自分が何を知りたかったのか、分からなくなっていた。
アドペロは錯乱しているクロアケを見て、独り言のように言葉を零した。
「…人間の記憶なんて、そんな物。君の両親がろくでもない人間だったってことは、忘れたほうが良い。」
小屋の隙間から吹く夜風は、恐ろしいほど冷たかった。




