独白‐8
三題噺もどき―ななひゃくろくじゅう。
ガサ―
「……」
小さな葉擦れの音に、耳が動く。
音と気配を消したまま、そちらに視界を動かす。
音の正体は小さな生き物だった。
「……」
大きな耳を立て、体を起こして周りの音を聞こうとしている。
小さく耳を動かしながら、小さな鼻もひくひくと揺れている。
しかし、こちらに気づくこともなく、視界の下を通り過ぎていく。
「……」
ついでに、周りの気配を探ってみる。
少し離れた所から馬の走るような音が聞こえた。
おそらく、この森を走る人間が居るのだろう。
同じような逃亡者だろうか。
「……」
こちらを追っている方は、どうやらここまでは来ていないようだが……それも時間の問題だろう。
当然、痕跡という痕跡を消してきたが……それだってしっかりと探ってしまえば気付いてしまえそうな、雑と言えば雑な消し方をしてきた。
「……」
何せ時間がなかったもので。
「……ん」
小さく声が上がったのは。
腕に抱いている小柄な子供から。
隠れるために窮屈な姿勢になっているのが苦しかったのか、単にこの辺りは空気が薄いから苦しいのもあるのだろう。
「……」
何せ潜んでいるのは、かなり高い木の上だ。
そこでもさらに葉が生い茂っているような狭い場所だ。
鳥でもこんな所に巣は作らない。
「……」
あぁでも、この人はあの塔の上に住んでいたから、空気の薄さなんて関係ないか。
やはり姿勢が苦しいのだろう。どうにか寛げてあげたいが、今は状況が許さない。
隠れているのだから当然だ。
逃げているのだから当たり前だ。
「……」
腕に抱くこの人は、一応自分の主人にあたる。
人間が見ればまだまだ小さな子供だが、生まれてからそれなりに年月が立っている。
どれくらいの年齢かは、この世界ではあまり関係がない。
「……」
それでも、同族から見ても、明らかに小さく細い。
殆ど骨だけのような腕と足に、所々に残る火傷のような跡。
本来は綺麗さっぱり治るはずなのだけど、あまりの負荷の重さと毒の副作用のようなもので、治りが悪い。
「……」
それでも、死んでいるように眠っているこの顔は、誰もが嫉妬するほどに美しい。
だから、母親にも妬みを与えられ、都合のいい玩具のように扱われ。
あの女は妬んでなどいないと言う。ただこの人がいつまでも生きていられるように、心を鬼にして訓練をしているのだと……そんなことを言い張る。
自分の愛した夫が、何よりも美しいと言ったこの顔を、狂おしいほどにその夫を愛しているその女が、妬ましく思えないわけがない。
そもそも、吸血鬼にそんな訓練は必要ないと言うのに。
「……」
まぁ、その夫も……この人の父親もたいがいなのだけど。
その昔に、瀕死の自分を拾ってくれたことには感謝している。
この人の、従者として居続ける選択肢をくれたことにも。
「……」
けれど、あの女がこの人を、あの塔に閉じ込めたことにも何も言わず。
むしろ都合がいいとでも言うように、自分まで手を出そうとしていたことは。
あの女の嫉妬にも拍車をかけた上に、更に苦しめるようなことをしたことは。
―どうにも。
「……」
怒りという感情を覚えたのはあの時が初めてだった。
あの男に逆らったのも、あの時が初めてだった。
―ここからこの人を連れ出そうと、決めたのも、あの時だった。
「……」
想像以上に時間が掛かってしまったけれど。
こうして。
あの塔から連れ出して。
隠れながら逃げながら。
「……」
それでも、あの塔にいた頃よりは。
あの二人の下にいた頃よりは。
確かな幸せと、充実を。
この人に。
「……今朝、変な夢を見たんです」
「ん、珍しいな」
「えぇ……でも、忘れました」
「そうか。まぁたいしたものでもなかったんだろう」
「……そうかもしれませんね」
お題:馬・嫉妬・夢




