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カムサリガタリ  作者: 夢物語草子


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26/29

運命の章 26話

血と硝煙の余韻が未だ消えぬ海竈門岬に、新たな緊張が走った。それは潮風に乗って運ばれる不吉な予感のようなものであり、あるいは――運命の歯車が、さらに別の方向へと回り始めた音であった。

東雲の心は、今まさに崩壊の危機に瀕していた。

理想と現実の乖離。それは時として、人の心を深く傷つける。幼き日より憧れた英雄の姿が、目の前で粉々に砕け散る様を目撃することほど、残酷なことがあるだろうか。

蛮夷大将軍――その名は、東雲にとって、武人の頂点を示す輝かしい称号であった。市井で語られる物語の中で、蛮夷大将軍は常に勇猛果敢で、誇り高く、弱きを助け強きを挫く人格者として描かれていた。東雲は、そのような物語を聞きながら育った。いつか自分も、師で父である阿久刀を助けるために、蛮夷大将軍のような立派な武人になりたい――そんな純粋な夢を、心の片隅に秘めていた。

しかし、現実は――あまりにも残酷であった。

目の前にいる男。震駭と名乗るこの巨漢は、確かに圧倒的な力を持っている。その威圧感は、東雲がこれまで出会ったどの武人をも凌駕するものだ。しかし――その人格は、東雲が夢見ていた英雄像とは、あまりにもかけ離れていた。

破廉恥。下劣。蛆虫の極み。

東雲の脳裏に浮かんだ言葉は、どれも侮蔑に満ちたものであった。しかし、それ以外に、この男を形容する言葉が見つからなかったのだ。

東雲は、袖で目元の涙を拭った。そして――その瞳に、怒りの炎が燃え上がり始めた。

悲しみは、やがて怒りへと変わる。失望は、やがて憤怒へと昇華される。東雲の心の中で、そのような変化が起きつつあった。

一方――

震駭は、そのような東雲の様子など、まるで意に介していなかった。いや、そもそも気づいてすらいないのかもしれない。この男にとって、他者の感情など、さしたる意味を持たないのだから。

震駭の視線が、ゆっくりと移動した。

そして――白帝を捉えた。

その瞬間、震駭の表情が一変した。

先ほどまでの豪快な笑みが消え、代わりに――深い畏敬の念が、その顔に浮かんだ。それは、震駭という男が、生涯において唯一示す感情であった。

震駭は、白帝の前に進み出た。

その足取りは、先ほどまでの乱暴なものではない。慎重に、しかし確実に、白帝へと近づいていく。まるで、聖域に足を踏み入れる信徒のような、厳かさすら感じさせる歩みだ。

そして――

震駭は、白帝の前で、深く平伏した。

その巨体が、地面に額をつける。両手を広げ、全身で敬意を表する。その姿は――先ほどまでの破天荒な振る舞いが嘘のように、真摯である。

「白帝聖上に御挨拶申し上げる!」

震駭の声は、大きかった。しかし、そこには確かな敬意が込められている。

「我が生涯の主よ!」

その言葉には、絶対の忠誠が宿っていた。

震駭という男は、確かに破天荒である。常識など欠片も持ち合わせていない。しかし――ただ一つ、この男が決して裏切らぬものがある。

それは、テンへの忠誠であった。

震駭にとって、テンは唯一絶対の存在である。金枝王にも、朝廷にも、この男は従わない。しかし、テンにだけは――無条件に、絶対に従うのだ。それが、蛮夷大将軍という存在の本質であった。

白帝は、平伏する震駭を見下ろした。

その表情には、僅かな戸惑いが浮かんでいる。白帝――いや、今は器の方が表に出ている。ハクは、この巨漢の突然の変貌に、驚いているのだ。

ハクの身体が、僅かに震えた。それは恐怖ではなく――震駭の放つ圧倒的な存在感に、気圧されているのだ。この男の威圧感は、たとえ平伏していようとも、決して消えることがない。

「おお! 器のお方であったか!」

震駭は、顔を上げた。そして、ハクの姿を認めると、さらに深く頭を下げた。

「誠に失礼した! この震駭! 不徳の至り!」

その声には、心からの謝罪が込められていた。

震駭にとって、テンと器は――どちらも変わらぬ主である。テンは神そのもの。器は、その神を宿す聖なる依代。どちらも、震駭が命を賭して守るべき存在なのだ。

「……蛮夷大将軍様」

ハクの声は、震えていた。しかし、その声には――確かな気丈さが宿っている。

ハクは、震駭の威圧感に気圧されながらも、決して屈することなく、真っ直ぐに立っていた。その姿は、まさに――十年もの間、神を宿し続けてきた少女の、強靭な精神を体現していた。

震駭は、そんなハクの姿を見て、満足そうに頷いた。

「ふむ」

短い言葉であったが、その奥には、ハクへの敬意が込められていた。

震駭は、立ち上がった。そして、振り返って――

「天蓋の娘よ!」

その声が、向日葵に向けられた。

「お主の申した通りであったな! 聖上様に御会いできた!」

震駭の声には、喜びが満ちている。それは、まるで子供が欲しかった玩具を手に入れたかのような、純粋な歓喜であった。

向日葵は、優雅に微笑んだ。

「わたし嘘はつきませんよ」

その声は、柔らかく、甘い。しかし――その奥には、何か計り知れない狂気が潜んでいることを、阿久刀は感じ取っていた。

「がははははは!! すまん!」

震駭は、豪快に笑った。疑ったことを詫びているのだろう。しかし、その笑い声には、一片の悪気もない。ただ、純粋に――再会の喜びを表現しているだけなのだ。

そして――

「向日葵!」

アティヤの叫び声が、岬に響き渡った。

その声には、様々な感情が混じり合っていた。驚き、喜び、そして――僅かな不安。

アティヤは、向日葵の肩を掴んだ。その手には、力が込められている。

「今までどこにいたの!? あのとき何があったの!? ねぇ答えて!!」

アティヤの問いかけは、矢継ぎ早であった。それは、幻夢郷宮を脱出してから今まで、ずっと心の中に溜め込んでいた疑問が、一気に溢れ出したのだ。

向日葵は、アティヤの手を優しく握った。

「恵み野ちゃん。あぁ、えーっとお……本当はアティヤちゃんと言うんですよねぇ」

その言葉に、アティヤは僅かに眉を寄せた。

「え? う、うん。そうよ」

アティヤの声には、困惑が滲んでいる。

「ごめんなさぁい……愛してる人の名前を間違えるなんて、わたし愛の人、失格です…」

向日葵の声は、悲しげであった。しかし――その悲しみは、どこか演技めいている。まるで、舞台で台詞を述べる役者のような、作られた悲哀であった。

"愛の人"――それは、界外では"恋人"を意味する、島の言葉である。

アティヤの心臓が、激しく鼓動し始めた。

その言葉の意味を、アティヤは理解している。しかし――それを受け入れることが、怖かった。なぜなら、アティヤは気づき始めていたのだ。向日葵という存在の、恐ろしさに。

「本当はアティヤちゃんのそばを離れたくなかったんですよ……でも…」

向日葵の視線が、ちらりと震駭に向けられた。

その視線には――何か、計算されたものが宿っていた。

「どうしても震駭様の手を貸して頂きたくて、あの方を探してたんです」

向日葵の声は、相変わらず柔らかい。しかし、その言葉が意味することは――恐ろしいものであった。

つまり、向日葵は――最初から、震駭を利用するつもりだった。そのために、アティヤとの逃避行の最中に、震駭を探し出し、そして――

「あの方って……あの熊男?」

アティヤの声は、掠れていた。

「ふふ。大きい熊さんです。この島でとっても強い熊さん」

向日葵の笑みが、妖しげな光を帯びた。

その瞬間――

アティヤは、おぞましさに似たものを感じて、血の気が引く思いであった。

向日葵の目。

それは、人間の目ではなかった。

もっと深く、もっと暗く、そして――もっと狂気に満ちた、何かの目であった。

「アティヤちゃん、話してくれたでしょう? 船のこと」

向日葵の言葉に、アティヤは首を横に振った。

「……え?……」

そんなの知らない。アティヤは、向日葵に船のことなど、何も話していない。

「ずうっと一緒にいたんだもん。お話を聞く機会はいくらでもあったわ。アティヤちゃんは覚えてないだろうけど」

向日葵の声は、優しかった。しかし、その優しさが――かえってアティヤの心を凍らせた。

アティヤの知らないうちに、向日葵はアティヤ自身から、色々と聞き出していたのだ。

方法は分からない。

しかし、アティヤは確信した。

この女は、恐ろしい人だと。

アティヤの脳裏に、幻夢郷宮での日々が蘇った。

向日葵と過ごした、あの甘い日々。

愛を囁かれ、抱き締められ、そして――

もしかして、あの時も?

薬を飲まされた時も?

意識が朦朧としていた時も?

向日葵は、アティヤから情報を引き出していたのではないか?

その可能性に思い至った時、アティヤの全身が震えた。

「教えて……向日葵……」

アティヤの声は、震えていた。しかし、それでも――聞かねばならなかった。

「なぁに? アティヤちゃん?」

向日葵の声は、相変わらず優しい。しかし、その優しさが――もはやアティヤには、恐怖でしかなかった。

「あの……震駭って人、何をさせるつもり?」

アティヤの問いかけに、向日葵は――

にっこりと、微笑んだ。

「お掃除ですよぉ」

その言葉は、あまりにも軽やかであった。まるで、日常の雑事を語るかのような、呑気な調子である。

向日葵は、アティヤの手を握った。

その手は、温かかった。しかし――その温もりが、今のアティヤには、氷よりも冷たく感じられた。

「だって、震駭様なら二千人ぐらい殺して頂けると思ったの」

向日葵の言葉が――

アティヤの思考を、完全に停止させた。

「……………え…………?」

アティヤの声は、もはや声とも呼べぬほど、掠れていた。

二千人。

殺す。

その二つの言葉が、アティヤの脳内で反芻される。

しかし、理解できない。

いや、理解したくない。

「あ、もちろん必要な人は残しますよ。船を動かす人がいないと大変でしょう? でも必要ない人はいらないでしょう?」

向日葵の声は、相変わらず優しい。

しかし、その内容は――狂気そのものであった。

向日葵は、にっこりと微笑んだ。

そして――

アティヤを、ふんわりと抱き締めた。

その抱擁は、優しく、温かい。しかし――アティヤには、その温もりを感じることができなかった。全身が、恐怖で凍りついていたのだ。

「準備は大変でしたけどぉ。でもうまくいきました。これもアティヤちゃんのおかげですよぉ」

向日葵の囁きが、アティヤの耳元で響く。

その言葉が――

アティヤの心を、完全に砕いた。

利用されていた。

アティヤは、向日葵に利用されていたのだ。

愛されていると思っていた。

必要とされていると信じていた。

しかし――

それは全て、向日葵の計画の一部に過ぎなかったのだ。

アティヤの胃が、激しく痙攣した。吐き気が、込み上げてくる。それは、肉体的なものではない。精神的な、魂の奥底から湧き上がる、自己嫌悪であった。

向日葵が欲しかったのは、アティヤではなかった。

本当は――

船であり、そして――白帝だったのだ。

アティヤは、ただの道具だった。

使い捨ての、駒に過ぎなかった。

その事実が、アティヤの心を、深く抉った。

阿久刀は、そのやり取りを黙って見ていた。

しかし――もう十分であった。

「お前の狙いは船か」

阿久刀の声が、静かに響いた。

その声には、怒りはない。しかし――深い理解が込められていた。

阿久刀は、全てを理解した。

向日葵の真の目的を。

この少女が、どれほどの準備をし、どれほどの計画を立て、そして――どれだけの人々を利用してきたのかを。

「誰が造ったのか不明だが」

阿久刀は、遠くに見える巨大な船を一瞥した。

「あの船は侵入不可能の魔の海峡"八岐大蛇"を越えた船だ」

その言葉には、驚嘆があった。

八岐大蛇――この島を完全に隔絶している、絶対の障壁。神話の時代より語り継がれる、魔の海域。

その海域を、あの船は越えてきたのだ。

それは、常識では考えられないことである。

しかし――事実なのだ。

「天蓋向日葵はそれを手に入れたかった」

阿久刀の声には、確信が込められた。

向日葵は、計画を立てた。

そして、実行した。

多くの誤算が起き、過程こそ違ったものの――

結果として、目的は果たした。

聖上を連れ出し、震駭を味方につけ、そして――船を手に入れる寸前まで来たのだ。

そして、船以上に向日葵が本当に手に入れたいものは。

それは――白帝だ。

阿久刀の視線が、向日葵へと向けられた。

向日葵は、アティヤを優しく引き離した。

そして――

白帝へと歩み寄った。

その足取りは、優雅であった。まるで、舞踏会で愛する人のもとへ向かう令嬢のような、華やかさを帯びている。

向日葵は、白帝の前で、うやうやしく頭を下げた。

「聖上様。お迎えに上がりました」

その声は、恭しい。しかし――その奥には、抑えきれない情熱が燃えている。

「あぁ……やっぱりとてもお美しいですぅ……」

向日葵の声が、陶酔に震えた。

今の白帝は、器の方である。ハクが、表に出ている。

しかし、向日葵は――気圧されることなく、堂々と白帝を見つめていた。

「こんなに素敵な器の方は初めてです」

向日葵の声が、さらに熱を帯びた。

「歴代の方は皆々様、弱い方ばかりで、テンにふさわしい方達じゃありませんでした。わたしそんなの嫌でした」

向日葵は、涙を拭う仕草をした。

しかし――その涙は、嘘である。

向日葵の目には、涙など浮かんでいない。ただ、狂気の炎だけが、燃え盛っているのだ。

「そんなの……テンに失礼です。でも、やっとテンに相応しい方が現れた……わたしが愛してやまない方が」

向日葵の声が、最高潮に達した。

そして――

向日葵は、両手を広げた。

まるで、愛する者を抱き締めるかのように。

「さあ二人とも。一緒に愛の逃避行に出かけましょう。わたしたちの愛の世界へ」

その言葉は――

まるで、陶酔した狂人のものであった。

しかし、振る舞いは優雅で、お淑やかである。その二面性が、かえって向日葵の狂気を際立たせていた。

阿久刀は、うなだれているアティヤを、慰めるように抱擁した。かける言葉はない。

そして――彼女を東雲に任せた。

東雲は、無言でアティヤを受け止めた。その腕には、確かな優しさがある。言葉はない。しかし、その温もりが――アティヤの心を、僅かに慰めていた。

白帝は、向日葵の差し出した手を取ることなく、ただ見つめていた。

その瞳には――何の感情も浮かんでいない。しかし、変化が起きた。

阿久刀、震駭、そして向日葵――三人は、その変化に気づいた。

器が、眠りについたのだ。

つまり、今の白帝は――

テンだ。

空気が、一変した。

先ほどまでとは、明らかに違う。

それは、圧倒的な神性であった。

白帝の纏う雰囲気が、変わった。人間的な儚さが消え、代わりに――絶対的な神の威厳が、その身体から発せられている。

「やっぱりかんたんには手に入らないんですね」

向日葵の声は、相変わらず柔らかかった。しかし――その奥には、諦めない執念が宿っている。

「でも、それがとっても魅力的です。聖上様」

向日葵は、白帝に触れようとした。

その手が、白帝の頬に伸びる。

しかし――

キィン!

阿久刀の咒刀が、向日葵の手を阻止した。

刃が、向日葵の指先の寸前で止まる。あと数ミリ進めば、向日葵の指は切断されていただろう。

「それ以上は許さん」

阿久刀の声は、低く、静かであった。しかし――その奥には、絶対の拒絶が込められている。

向日葵は、阿久刀を見上げた。

そして――微笑んだ。

「阿久刀様。怒った顔も素敵です」

その言葉には、何の恐れもない。むしろ――楽しんでいるかのような、妖しい響きがあった。

向日葵は、笑顔を振り撒きながら、震駭に寄り添った。

その動作は、まるで猫が飼い主に甘えるような、柔らかさを帯びている。

「震駭様」

向日葵の声が、甘く囁く。

「聖上様が欲しくてたまりませんの。阿久刀たちを殺して手に入れて下さいませ」

その言葉は――あまりにも軽やかであった。

まるで、日常の些事を頼むかのような、呑気な調子である。

しかし――

震駭は、即座に答えた。

「うむ。無理だ」

その返答は、あっけらかんとしたものであった。

震駭は、大笑いした。

「がははははは!!」

その笑い声が、岬全体に響き渡る。

「俺様の無類の忠義故だ。許せ!」

震駭の言葉には、一片の躊躇いもなかった。

この男にとって、テンへの忠誠は絶対である。たとえ、床を共にした女の願いであろうとも――テンを害することだけは、決してできないのだ。

それが、蛮夷大将軍という存在の、本質であった。

「あらあら困りましたぁ」

向日葵は、涙を拭う仕草を見せた。

しかし――その顔には、失望の色など浮かんでいない。むしろ、予想通りだったとでも言いたげな、落ち着いた表情である。

「なあに案ずるな!」

震駭の声が、再び響いた。

「聖上を拐かす手伝いはできんが、床入りで満足させてくれた礼だ!」

震駭は、胸を叩いた。その音は、太鼓を叩いたかのように大きく響く。

「明保能の小僧の相手はしてやろう!」

震駭の視線が、阿久刀へと向けられた。

その目には――純粋な戦闘への渇望が燃えている。

「なにより!」

そして――

震駭の視線が、東雲とアティヤへと向けられた。

その瞬間――

震駭の目が、輝いた。

まるで、宝物を見つけた子供のような、無邪気な輝きである。

「そこの娘ら! 俺様と床入りしたいだろう! その願い叶えてやろう!」

震駭は、ビシッと言い放った。

その瞬間――

強烈な悪寒が、東雲とアティヤの背中を走った。

二人は、思わず――

一度は離れた阿久刀の背中に、再び隠れた。

「嫌です!」

東雲の叫びは、魂の底から絞り出されたものであった。

「願い下げよ!」

アティヤもまた、全身全霊で拒絶した。

しかし――

震駭は、全く気にしなかった。

「がはは! 照れるな! 照れるな! 愛い奴よ! 遠慮無用ぞ!!」

震駭の顔は、満面の笑みである。

その表情には、一片の悪意もない。ただ、純粋に――二人を気に入ったのだ。だから、床を共にしたい。それだけの、単純な思考であった。

「(言葉が通じない…)」

東雲の心の中で、絶望的な呟きが響いた。

「(話を聞かない…)」

アティヤもまた、同様の思いを抱いていた。

二人は、げんなりとした表情で、顔をしかめた。

阿久刀は――

深く、深く、溜息をついた。

この男を相手にすることの困難さを、阿久刀は誰よりもよく知っている。

震駭という存在は――

常識が通じない。

理屈が通じない。

そして、何よりも――

人の話を聞かない。

それが、この男の本質なのだ。

「がははは! さっさと始めようぞ! 明保能の!」

震駭の叫びが、岬に響き渡った。

その声には――純粋な戦闘への渇望が込められている。

この男にとって、戦いは――

遊びであり、娯楽であり、そして――

生きる意味そのものなのだ。

阿久刀は、咒刀の柄に手を添えた。

覚悟を決めた。

もはや、逃れることはできない。

ならば――

戦うしかない。

しかし、阿久刀の心の中には――

深い徒労感だけが、渦巻いていた。

なぜ、自分は――

この男と、再び相まみえなければならないのか。

その問いに、答えはない。

ただ――

運命が、そう定めたのだろう。

阿久刀は、深く息を吸い込んだ。

そして――

咒刀を、抜き放った。

刃が、陽光を反射して、銀色に輝く。

その輝きは――

これから始まる戦いの、幕開けを告げるものであった。

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