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カムサリガタリ  作者: 夢物語草子


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23/28

運命の章 23話

投稿する本文を間違えました。ごめんなさい。

血と硝煙の匂いが、海竈門岬の蒼穹を重く覆い尽くしていた。

明保能阿久刀は、咒刀を手に戦場の只中に立っていた。その刀身には、幾筋もの鮮血が滴り落ちている。陽光を受けて、その紅い雫が宝石のように輝き、そして地面に吸い込まれていった。

周囲には、倒れた兵士たちの姿があった。

ある者は絶命し、ある者は瀕死の重傷を負い、そしてある者は意識を失って地に伏していた。彼らは皆、祖国の名誉のため、使命のため、誇りのために戦った。しかし、その勇気は――咒刀という、時代を超越した武器の前には、あまりにも無力であった。

栗林勇二中尉は、三八式歩兵銃を両手で握り締めながら、その光景を目の当たりにしていた。

部下たちが、次々と倒れていく。

刀一本で。

たった一本の、古めかしい刀で。

近代兵器を手にした訓練された兵士たちが、まるで稲を刈るように斬り倒されていく。

「僕たちは――」

栗林の唇から、掠れた声が漏れた。

「足を踏み入れるべきじゃなかった」

その言葉には、深い後悔が滲んでいた。しかし、後悔したところで、もう遅い。時を巻き戻すことはできない。為してしまったことは、取り消すことができないのだ。

栗林は、三八式歩兵銃の銃口を、咒刀を振るう阿久刀へと向けた。その手は、僅かに震えている。恐怖ではない――いや、恐怖もある。しかし、それ以上に、この状況への怒りと、そして執念が、栗林の心を支配していた。

「ここは魔境だ」

栗林は、自分に言い聞かせるように呟いた。

「怪物の住む島だ」

その言葉と共に、栗林は引き金を引いた。

轟音が響き、銃口から火花が散った。三八式歩兵銃から放たれた銃弾が、空気を裂いて阿久刀へと飛翔する。その速度は、音速に迫るものであった。常人であれば、目で追うことすら叶わない。

しかし――

阿久刀は、その銃弾を躱した。

いや、「躱した」という表現すら、正確ではない。まるで、銃弾がどこに飛んでくるのかを事前に知っていたかのように、阿久刀は身体を僅かに傾けた。銃弾は、阿久刀の頬を掠めることすらなく、虚空を切り裂いて遠くへと飛んでいった。

「くそ――」

栗林は舌打ちしながら、素早く再装填した。その動作は訓練されたもので、無駄がない。ボルトを引き、薬莢を排出し、新たな弾丸を装填する。一連の動作に要した時間は、わずか数秒。

そして、再び引き金を引く。

パン!

二発目の銃弾が放たれる。しかし、それもまた阿久刀には命中しなかった。

栗林は、阿久刀の心臓と頭を集中的に狙い撃つことに決めた。そうでなければ、この化け物が死ぬとは思えなくなっていた。腕や足を撃ったところで、おそらくは何の意味もない。この男を止めるには、即死させるしかないのだ。

「隊長!」

背後から、部下の悲痛な叫び声が聞こえた。

栗林が一瞬だけ振り返ると、そこには阿久刀の咒刀に斬られた兵士が倒れていた。彼は胸を深く切り裂かれており、口から血を吐いている。もう、助からないだろう。

栗林の心が、激しく痛んだ。

部下を守れなかった。

上官として、指揮官として、最も為すべきことを為せなかった。

その自責の念が、栗林の胸を締め付ける。しかし、今はそれを嘆いている時ではない。せめて、残された部下を――いや、もう部下は残っていないのか。

栗林の周囲を見渡すと、もう立っている兵士はいなかった。全員が、地に倒れている。

つまり――

もう、阿久刀を阻む壁は無くなったのだ。

栗林と阿久刀の間には、もう何もない。ただ、二十メートルほどの距離があるだけ。その距離は、あの化け物にとっては、ほんの一瞬で詰められる距離であろう。

阿久刀は、一直線に走り始めた。

その速度は、人間のそれとは思えないほど速い。地面を蹴る足音が、規則正しく、しかし驚異的な速さで響く。まるで、疾風が形を成して走っているかのようだ。

栗林は、三八式歩兵銃で迎え撃った。

三八式歩兵銃の装弾数は五発。。ならばと、この三発を一気に撃ち終えると、すぐに再装填をする。これが最後の再装填となるだろう。――何としてでも、阿久刀を倒さねばならない。

極限の集中状態に入る。

栗林の視界が、狭まっていく。周囲の音が、遠くなる。世界が、ゆっくりと動き始めたかのような感覚。それは、死線を何度も潜り抜けてきた者だけが到達できる、特殊な精神状態であった。

狙いを定める。

阿久刀の心臓。

いや、心臓で死ぬのか?。確実に死に至るとすれば。ならば――頭だ。

栗林は、阿久刀の頭部に照準を合わせた。そして、引き金を引く。

パン!

銃弾が放たれた。

しかし――

阿久刀は、走りながら咒刀で銃弾を弾き返した。

「――!」

栗林は、息を呑んだ。

今、何が起きたのか。

阿久刀の咒刀が、一閃した。その刀身が、飛来する銃弾を捉えた。そして、弾き飛ばした。銃弾は、軌道を逸らされて地面に突き刺さった。

全ては、一瞬の出来事であった。

「(なんなんだ――)」

栗林の脳裏に、戦慄が走った。

銃弾を、刀で弾く。

何度も何度も。これだけ近い距離ですらそんなことが、可能なのか?

いや、可能も何も、今この目で見たのだ。信じられないが、事実なのだ。

「(あの銃の特徴は、もう掴んだ)」

阿久刀は、心の中で冷静に分析していた。

三八式歩兵銃の銃弾は、真っ直ぐ飛んでくる。これまで島で見た火縄銃の類いは、軌道が直線から少しズレるものだった。風の影響を受けやすく、命中精度に欠けていた。

しかし、この三八式歩兵銃は違う。おそらくは、性能が向上したのだろう。その分、軌道が読みやすい。そして――切りやすい。

二発。

三発。

阿久刀は、走りながら咒刀で銃弾を次々と弾き返していった。

その光景を目の当たりにして、栗林は戦慄した。

三八式歩兵銃――それは、旧皇国では新型の部類に当たる小銃だ。発射速度は、これまでの小銃の1.5倍になる。命中精度も格段に向上している。軍の誇る、最新鋭の武器なのだ。

そんな小銃で撃った銃弾を、阿久刀はこともなげに防ぐのだ。

まるで、物語に出てくる英雄のように。

いや――英雄どころではない。これは、もはや神話の領域だ。

「うおおおおっ!」

栗林は、叫びながら銃弾が尽きるまで引き金を引き続けた。

四発目。

五発目。

全ての銃弾が、阿久刀の咒刀によって弾き返される。

もう、弾は残っていない。

三八式歩兵銃は、ただの鉄の棒と化した。

栗林の心の中で、何かが壊れた。

阿久刀が――目の前にいる人間が、人間に見えなくなった。

「アレは――」

栗林の唇が、震えながら言葉を紡ぐ。

「怪物だ」

その認識が、栗林の心を真に支配した瞬間であった。

阿久刀は、栗林の焦りを見逃さなかった。

獲物が、追い詰められている。

もう、逃げ場はない。

しかし――阿久刀の心には、勝利の喜びはなかった。むしろ、深い虚無が宿っている。この男を殺すことに、何の喜びも感じていない。ただ、必要だから殺す。それだけのことだ。

距離が、ゼロになる。

栗林は、三八式歩兵銃を槍のように振りかざした。

銃剣術――それは、軍隊における基本的な白兵戦技術である。銃剣を装着した小銃を、槍として扱う戦闘法。栗林もまた、その訓練を受けていた。

「せめて――」

栗林は、歯を食いしばりながら叫んだ。

「一太刀でも――!」

三八式歩兵銃の銃剣が、阿久刀の胸を狙って突き出される。その動きは、訓練されたものだ。しかし――

阿久刀の咒刀が、一閃した。

金属が激突する音が響く。

しかし、それは一瞬のこと。

次の瞬間――三八式歩兵銃が、真っ二つに両断された。

銃身と銃床が、別々に地面に転がり落ちる。

栗林は、呆然とそれを見つめた。

切られた。

鉄の銃が、まるで竹のように切られた。

「くっ――」

栗林は、舌打ちしながら、両断された銃を投げ捨てた。そして、右手で腰からサーベルを抜き、同時に左手で拳銃を抜いた。

拳銃の引き金を連続して引く。

パン! パン! パン!

三発の銃弾が、阿久刀に向かって飛ぶ。

しかし――阿久刀は、空を飛び回る燕のように自在に咒刀を操って、銃弾を全て切り払った。

その動きは、もはや芸術の域に達していた。

「本当に――」

栗林は、怒りと畏怖が入り混じった声で叫んだ。

「この島の奴らは――!」

栗林は、果敢にサーベルで斬りかかった。

サーベルと咒刀が激突する。

キィン!

堅い刃同士が激突する音が、戦場に響き渡った。

最初こそ、栗林が押し込んだように見えた。しかし、それは錯覚に過ぎなかった。

その実力の差は、歴然としたものであった。

まるで、大人と子供のようだ。

いや、それ以上だ。

栗林は、元より白兵戦は不慣れである。彼は本来、戦術家として全体を指揮することに優れた人物なのだ。剣を振るうことは、栗林の本領ではない。

対して、阿久刀は――剣の道を極めた武人である。

幼き頃より剣を学び、戦場で磨き、数え切れぬほどの敵を斬り伏せてきた。その技術は、既に達人の域を超えている。

二人の間には、越えられない壁があった。

しかし――

阿久刀は、栗林を即座に切り殺すことはしなかった。

なぜか。

それは、阿久刀自身にも、明確には分からなかった。ただ――この男を、あまりにも簡単に殺すことに、何か違和感があったのだ。

栗林勇二という男は、確かに敵であった。しかし、彼は卑怯な手段を使ったわけではない。正面から、正々堂々と戦いを挑んできた。そして、部下を想い、国を想い、家族を想って戦っている。

その姿勢に――阿久刀は、僅かな敬意を抱いていた。

だからこそ、阿久刀は――栗林に、最後の一撃を放つ機会を与えることにした。

剣戟が続く。

栗林のサーベルが、阿久刀の首を狙って横一文字に薙ぎ払われる。

しかし、阿久刀の咒刀がそれを受け止める。

栗林のサーベルが、阿久刀の胸を狙って突き出される。

しかし、阿久刀は身体を僅かに捻ることで、それを躱す。

攻防が続く。

しかし――栗林の動きが、次第に鈍くなっていく。

疲労が、栗林の全身を支配し始めていた。

呼吸が乱れる。

汗が、額から滴り落ちる。

腕が、重くなる。

一方、阿久刀は――呼吸一つ乱していない。

その差が、戦況を決定づけていた。

阿久刀は、栗林の疲労による隙を見逃さなかった。

栗林のサーベルが、大きく振りかぶられる。その隙――

阿久刀の咒刀が、一閃した。

その刃が、栗林の腹を刺す。

「――ぐっ!」

栗林の口から、短い呻き声が漏れた。

鋭い痛みが、全身を駆け巡る。しかし――栗林は、まだ倒れなかった。

阿久刀は、急所を外していた。

応急手当をすれば、助かる傷だ。

なぜ、阿久刀は致命傷を与えなかったのか。

それは――栗林に、最後の言葉を告げる機会を与えるためであった。

「もう一度言う」

阿久刀の声が、静かに響いた。

「あの娘を連れて、去れ」

その言葉には、最後の慈悲が込められていた。

しかし――

「……ため……に……」

栗林の声が、掠れながら響いた。

「なに?」

阿久刀は、聞き返した。

「国の……ため……家族の……ため……誇りの……ため……」

栗林の声は、震えていた。しかし、そこには揺るぎない決意が込められている。

「退くわけには……いかない……」

栗林は、腹の傷を押さえながらも、サーベルを握り直した。

最後の力を振り絞り、栗林は阿久刀に向かって突進した。

サーベルを、突き刺すように構えて。

その姿は――もはや、武人というよりも、何かに取り憑かれた者のようであった。

しかし、それは――栗林の、最後の誇りであった。

敵に背を向けて逃げることは、栗林には許されない。

たとえ、死が目前に迫っていようとも。

阿久刀は――その決意を、受け入れた。

ならば、せめて――苦しませずに。

阿久刀の咒刀が、袈裟斬りに振り下ろされた。

その一撃は、正確に栗林の身体を捉えた。

右肩から左腰まで――深々と、肉を裂き、骨を断ち切った。

「――」

栗林の口から、もう声は出なかった。

ただ、血だけが、大量に溢れ出た。

栗林の全身が、己の血で赤く染まっていく。

そして――地面に、膝をついた。

力が、もう残っていない。

視界が、ぼやけていく。

しかし――栗林の意識は、まだ途切れていなかった。

最後の瞬間、栗林の脳裏に浮かんだのは――

「…………ゆき……こ……」

妻の名。

「あか……ね……」

娘の名。

「………にい………さ……」

兄の名。

それらの言葉を、掠れた声で呟きながら――

栗林勇二は、血の海の中に倒れた。

もう、動くことはなかった。

静寂が、戦場を支配した。

阿久刀は、咒刀を鞘に納めた。そして、顔に付いた返り血を、指で拭った。

栗林と、その部下たち。

彼らは、まさに戦士であった。

卑怯な手段を使わず、正々堂々と戦い、そして散っていった。

その姿勢に――阿久刀は、深い敬意を抱いた。

だからこそ――

阿久刀は、静かに手を合わせた。

そして、祈りを捧げた。

それは、勝者が敗者に捧げる、最後の礼儀であった。

「安らかに」

阿久刀の声が、風に乗って消えていった。

戦いは――終わった。

多くの屍と引き換えに。


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