運命の章 21話
白帝は一切の反応を示すことなく、ただ立っていた。
その佇まいは、まるで時の流れから切り離された彫像のようであった。白亜色の髪が微風に僅かに揺れるのみで、その表情には何の感情も浮かんでいない。しかし、その無表情こそが、かえって周囲の者たちに言い知れぬ畏怖を抱かせていた。
東雲が、庇うように白帝の傍らに寄り添う。その動作には、主君を護る守護者の決意と、神を宿す器への畏敬の念が同居していた。東雲の手は、腰に差した咒刀の柄に添えられている。いつでも抜ける。いつでも斬れる。そして身震いする。目の前にいる兵士たちの持つ「銃」という武器への興味と、白帝を護り切れるのかという一抹の不安が、東雲の心に生まれていた。
「見ての通り、我々の仲間だ」
阿久刀の答えは、簡潔であった。しかし、その声には微妙な緊張が滲んでいる。この少女の正体を明かすわけにはいかない。それは、この島の秩序そのものを揺るがす情報なのだから。
「仲間……か」
栗林の声が、低く響いた。その声音には、明らかな疑念が込められている。
「その言葉には違和感を覚えるよ」
栗林は、白帝から視線を外さずに続けた。その目は、軍人としての冷静さを保とうとしているが、同時に、何か本能的な恐怖に支配されつつあった。
「その少女は、どう見ても普通じゃない」
栗林の指摘は、的確であった。白帝の纏う雰囲気は、明らかに人間のそれではない。神々しさ、聖性、超越性――そういった言葉でしか表現できない、何か絶対的な存在感が、白帝からは発せられていた。
零零七の兵士たちも、栗林と同様の感覚を抱いていた。彼らは、この島に来てから、数々の「常識外」の現象を目の当たりにしてきた。現れる人ならざる影。刀で銃弾を切り払う武人たち。空を飛ぶ巨大な獣。しかし、目の前の少女は、それらとも違う。もっと根源的な、世界の理そのものを体現しているかのような――
疑念を膨らませる栗林に対して、阿久刀は答えるつもりはなかった。沈黙こそが、最良の防御である。下手に言葉を発すれば、それだけ綻びが生じる。
しかし――
その隙をついたのは、アティヤであった。
「白帝です」
アティヤの声が、拠点に響いた。
その瞬間、時が止まった。
「白帝……?」
栗林の声が、震えた。驚愕の色が、その顔に浮かぶ。
「まさか……現人神だと……?」
栗林の言葉に、周囲の兵士たちがざわついた。
「現人神って……」
「神を宿す器……?」
「そんな……まさか……」
兵士たちの間に、動揺が広がる。彼らは、界外の人間である。神話や伝説は知識として知っていても、それを実際に目の当たりにするなど、想像すらしていなかった。
阿久刀は、思わずアティヤを睨みつけた。
その視線には、激しい怒りが込められている。なぜ、この少女は、最も明かしてはならない情報を、易々と口にしたのか。愚かさか。それとも、別の意図があるのか。
アティヤは、阿久刀の視線を受けて、僅かに身を竦めた。しかし、視線を逸らすことはしなかった。アティヤには、アティヤなりの考えがあったのだ。
「アティヤ上等兵」
栗林の声が、アティヤを呼んだ。その声には、驚愕と、そして僅かな期待が混じっている。
「いったい、どうやって……」
栗林の問いかけは、途中で途切れた。言葉にするのも憚られるほどの、驚異的な出来事なのだ。神を宿す器――この島において、最も厳重に護られているはずの存在を、どうやってアティヤは連れ出したのか。
「隊長、あたしは白帝を……」
アティヤは、言葉を選びながら答えようとした。しかし、その言葉は、自分でも何を言おうとしているのか分からなくなっていた。
「上等兵?」
栗林の声が、アティヤを現実へと引き戻す。
アティヤは、深く息を吸い込んだ。そして、覚悟を決めて口を開いた。
「本国に連れていくつもりでした……」
その言葉は、アティヤ自身の意志であった。最初は、確かにそのつもりだった。白帝を連れ帰り、任務を成功させ、認められる――それが、アティヤの目標だった。
「でも、それはもう無理です」
アティヤは、阿久刀を一瞥した。
その視線には、諦念と、そして僅かな安堵が混じっていた。阿久刀という壁。それは、アティヤにとって越えられない障害であると同時に、ある意味では、自分の選択を正当化してくれる存在でもあった。
栗林は、アティヤの視線の意味を理解した。
阿久刀だ。
あの男に露見した時点で、盤面は詰んだのだ。
栗林は、改めて阿久刀を見た。その男の纏う雰囲気は、先ほどの戦闘で十分に理解している。人間離れした剣技。銃弾を切り払う速さ。そして、何よりも――その目に宿る、揺るぎない意志。
「お願いです。隊長」
アティヤの声が、再び響いた。その声は、懇願に満ちている。
「どうか帰還命令を出してください」
「……………」
栗林は、黙したまま、アティヤを見つめた。
「皆で本国に帰るべきです」
アティヤの言葉には、真実が込められていた。これ以上、この島に留まれば、全員が死ぬ。アティヤには、それが分かっていた。
しかし――
「上等兵」
栗林の声が、冷たく響いた。
「その意味を分かった上で進言しているのか?」
栗林の目が、鋭くアティヤを射抜く。
「何のために、この作戦が行われているのか忘れたのか?」
その言葉は、アティヤの心を深く抉った。
忘れているはずがない。
零零七部隊の任務。それは、単なる偵察ではない。もっと深い、国家の命運を賭けた作戦の一部なのだ。
栗林の脳裏には、出発前の光景が鮮明に蘇っていた。
ーーーーーーーーーー
零零七部隊。出発前のとある日。
「栗林中尉」
上官の声が、執務室に響いた。その声には、重大な使命を告げる者特有の、厳かな響きがあった。
「はっ」
栗林は、姿勢を正して敬礼した。
「貴官に、特別な任務を命じる」
上官は、机上の地図を指差した。そこには、孤島が描かれている。三つ首島――界外の人間が、決して近づくことのできない、伝説の島。
「この島には、我々が失った全てがある」
上官の声には、深い渇望が滲んでいた。
「神秘。神々。そして――神の力」
上官は、栗林の目を真っ直ぐ見つめた。
「我が国は、征服者たちに蹂躙された。文化を奪われ、誇りを奪われ、そして――神を奪われた」
その言葉には、痛切な怒りが込められていた。
皇国は、かつて神々を信仰する国であった。しかし、征服者たちは、その信仰を「迷信」として否定し、神社や霊殿を破壊し、神官達を追放した。そして今、皇国の人々は、魂の拠り所を失っている。
「だが、この島には、まだ神が生きている」
上官の声が、熱を帯びた。
「神を宿す器。現人神。その力を手に入れれば、我々は再び立ち上がることができる」
上官は、拳を握り締めた。
「征服者たちを追い払い、独立を取り戻し、そして――皇国の誇りを取り戻すのだ」
その言葉は、栗林の心を激しく揺さぶった。
国のため。
家族のため。
誇りのため。
栗林は、その全てを背負って、この島に来たのだ。
ーーーーーーーーーー
栗林の心の中で、過去の記憶と現在の状況が交錯していた。
神と称される存在が、目の前にいる。
これは、奇跡に等しい好機だ。千載一遇のチャンスだ。
アティヤの成し遂げた功績は、比類のないものになる。彼女は一躍、英雄となる。それほどの活躍なのだ。
そして――
零零七部隊の任務は、完遂される。
神の力を手に入れ、本国に持ち帰る。そうすれば、旧皇国は再び立ち上がることができる。征服者たちを追い払い、独立を取り戻し、誇りを取り戻すことができる。
栗林の心は、決まっていた。
「……」
栗林は、側にいた兵士から三八式歩兵銃を奪い取った。その動作は素早く、迷いがない。
「総員、戦闘態勢をとれ!」
栗林の叫びが、拠点全体に響き渡った。
その声は、命令であり、宣告であり、そして――覚悟の表明であった。
栗林の叫びに応じて、零零七の兵士たちは一斉に動いた。
訓練された動き。無駄のない配置。銃を構え、陣形を組む。その一連の動作は、彼らが精鋭であることを物語っていた。
「こうなるか」
阿久刀の声が、静かに響いた。その手は、既に咒刀の柄を握っている。
東雲も同様だ。咒刀を抜き放つ準備を整え、白帝を庇うように立つ。その表情には一切の躊躇いはなかった。
交渉は、すでに価値を失った。
言葉は、もはや通じない。
残された道は、ただ一つ。
武力による決着である。
「阿久刀さん」
栗林の声が、阿久刀を呼んだ。その声には、僅かな後悔が滲んでいる。
「こうなったことは、実に残念だ」
栗林の言葉には、真実が込められていた。できることならば、戦いたくはなかった。この男――阿久刀とは、もう少し話をしたかった。互いのこと、文化のこと、そして――この島のことを。
しかし、それは叶わぬ願いとなった。
阿久刀は、淡々と答えた。
「そうか」
その一言だけ。
感情を排した、冷徹な返答。それが、かえって栗林の心を痛めた。
「彼女の身柄を、こちらに渡せ」
栗林の声が、命令の響きを帯びる。
「そうすれば、僕たちは島を去る」
その提案は、最後の譲歩であった。白帝さえ手に入れれば、零零七部隊は任務を完遂できる。それ以上の戦闘は、不要なのだ。
しかし――
阿久刀は、冷笑を浮かべた。
その笑みには、軽蔑が込められている。
「お前たちは、手土産なしに家に帰れないのか?」
阿久刀の声が、鋭く響いた。
「何も取らず、奪わず、島を去ることができないのか?」
その問いかけは、栗林の心を深く抉った。
手土産。
そう、まさにその通りなのだ。
零零七部隊は、何の成果もなく帰還することはできない。それは、任務の失敗を意味する。失敗すれば、部隊は解散させられ、兵士たちは処分される。最悪の場合、家族にまで累が及ぶ。
だからこそ、栗林たちは、何かを持ち帰らねばならないのだ。納得させるだけの手土産を。
「これは、僕一人の問題じゃない」
栗林の声が、震えた。
「部隊の問題でもない」
栗林は、拳を握り締めた。
「皇国の人々の、尊厳の、問題なんだ」
その言葉には、栗林の願いが込められていた。
「だから…」
しかし、栗林の言葉は、阿久刀によって遮られた。
「そんなこと、俺はどうでもいい」
阿久刀の声は、心底無関心であった。
その冷たさに、栗林は言葉を失った。
「交渉は決裂。それが全てだ」
阿久刀は、咒刀を抜いた。
刃が、陽光を反射して輝く。その輝きは、美しく、しかし致命的であった。
「後は、戦いで決めることだ」
阿久刀の声には、一切の迷いがなかった。
「勝者は得て、敗者は失う。単純な結末を決めるだけ」
その言葉で、全てが確定した。
もはや、引き返すことはできない。
戦うしかない。
栗林は、深く息を吸い込んだ。そして、決断を下した。
「大島軍曹」
栗林は、大島の肩を掴んだ。
そして、声を潜めて囁く。
「もし僕が倒れたら、君が指揮を執れ」
大島の顔が、驚きに歪んだ。
「隊長……」
「そして、可能な限り、生き延びろ」「自分に逃げろと?そんなことできません」
栗林の声には、決死の覚悟が込められていた。
「この戦いは、おそらく――我々の敗北に終わる」
その言葉に、大島は激しく首を振った。
「そんなことは……」
「いいや」
栗林は、大島の言葉を遮った。
「あの男の実力は、僕たちの想像を超えている」
栗林の目が、阿久刀を捉える。
「銃弾を切り払う剣技。人間離れした速さ。そして、何よりも――あの目だ」
栗林は、阿久刀の目を見ていた。その目には、戦場を生き抜いてきた者だけが持つ、冷徹な殺意が宿っている。
「あの男は、躊躇なく人を殺せる」
栗林の声が、僅かに震えた。
「そして、僕たちを全滅させることに、何の罪悪感も抱かないだろう」
大島は、栗林の言葉の重さを理解した。
「では、なぜ……」
「それでも、戦わねばならない」
栗林の声には、悲痛な響きがあった。
「これは、僕たちの使命なんだ」
栗林は、大島の肩を強く握った。
「だから、君は生き延びろ。そして、この島で起きたことを、本国に伝えるんだ」
大島は、無念を滲ませた表情を浮かべた。しかし、上官の命令には従わねばならない。
「ご武運を」
大島は、そう言い残して、数人の兵士を引き連れて拠点から離脱した。
阿久刀は、その光景を冷静に観察していた。
「(……万が一のためにか)」
阿久刀は、目を細めた。
栗林は、全滅を想定している。だからこそ、一部の兵士を逃がし、情報を持ち帰らせようとしている。
それは、指揮官として正しい判断であった。しかし同時に、それは――この戦いの結末を、栗林自身が予見していることの証でもあった。
栗林は、残された兵士たちの前に立った。
そして、声を張り上げた。
「栄誉ある皇国の兵たちよ!」
栗林の声が、拠点全体に響き渡った。
その声には、戦意を高揚させる力があった。指揮官としての威厳と、兵士たちへの信頼が、その声に込められている。
「我らは、果たすべき使命を抱き、この地に来た!」
兵士たちは、栗林の言葉に耳を傾けた。銃を構え、阿久刀たちを警戒しながらも、上官の言葉を一言も聞き漏らすまいとしている。
「それは悲願のため!」
栗林の声が、さらに大きくなった。
「そして、悲願を達成するため!」
零零七の兵士たちは、栗林の言葉に呼応するように叫んだ。
「「「おう!おう!おう!」」」
その叫びは、士気を高めるものであった。しかし同時に、その叫びには、恐怖を紛らわせようとする必死さも感じられた。
「その力が、今、目の前にある!」
栗林は、白帝を指差した。
「大いなる神だ!」
その言葉に、兵士たちの目が輝いた。
「神の力で、皇国を救うのだ!」
兵士たちは、さらに大きく叫んだ。
「「「おう!おう!おう!」」」
栗林は、最後の言葉を告げた。
「神を手に入れろ!」
その命令は、明確であった。
「そうすれば、僕たちは堂々と凱旋できる!」
栗林の声が、最高潮に達した。
「英雄となれるぞ!」
その言葉で、兵士たちの士気は頂点に達した。
恐怖は、興奮に変わった。
死への恐れは、栄光への渇望に変わった。
そして――
開戦の口火が、切られた。
「突撃ィィィ!」
誰かが叫んだ。
その瞬間、幾人もの兵士が、阿久刀たちに向かって銃剣突撃を開始した。
三八式歩兵銃に装着された銃剣を槍のように構え、叫びながら突進する。その姿は、勇敢であり、しかし同時に――狂気じみていた。
阿久刀と東雲は、即座に反応した。
二人は、同時に動いた。
阿久刀は、壱の剣の構えを取った。
基礎の集大成。攻撃、防御、受け流し――全ての基本動作を極限まで突き詰めた剣技。それが、壱の剣である。
東雲は、弐の剣の構えを取った。
速さと精密さを極めた剣技。一撃必殺を旨とする、峻烈な剣技。それが、弐の剣である。
最初の兵士が、阿久刀に到達した。
銃剣が、阿久刀の胸を狙って突き出される。その動きは訓練されたもので、無駄がない。
しかし――
阿久刀の咒刀が、一閃した。
その速さは、人間の目には追えない。銀色の軌跡だけが、残像として残る。
銃剣が、真っ二つに切断された。
兵士の目が、驚愕に見開かれる。しかし、その驚きを認識する間もなく――
阿久刀の咒刀が、兵士の胸を貫いた。
「ぐあっ……」
兵士は、短い呻き声を上げて倒れた。血が、地面に広がっていく。
次の兵士が、東雲に襲いかかった。
銃剣が、東雲の首を狙って横一文字に薙ぎ払われる。
しかし、東雲の身体は、まるで風のように揺らいだ。
銃剣が、虚空を切り裂く。
そして――
東雲の咒刀が、兵士の腹を切り裂いた。
「うぐっ……」
兵士は、腹を押さえて倒れた。内臓が零れ落ちそうになるのを、必死に押さえている。
三人目、四人目、五人目――
次々と兵士たちが襲いかかるが、阿久刀と東雲の剣技の前には、全く歯が立たない。
それは、一方的な虐殺であった。
しかし、兵士たちは退かなかった。
仲間が倒れるのを見ても、恐怖に震えながらも、彼らは突撃を続けた。
それは、勇気なのか。
それとも、狂気なのか。
おそらく、その両方であった。
「内村!」
古参兵の一人が、強く叫んだ。
その声は、命令であり、同時に懇願でもあった。
「アティヤから離れろ!」
内村二等兵は、アティヤの傍らに立っていた。
戦闘が始まってから、内村はずっとアティヤの側にいた。アティヤを護るように、盾となるように。
「アティヤ上等兵は、仲間です!」
内村の声は、若々しく、しかし確信に満ちていた。
その言葉に、古参兵の顔が歪んだ。
「この野郎!」
古参兵は、激昂した。
「お前は、どっちの味方だ!?」
古参兵の目が、アティヤを睨んだ。その視線には、激しい憎悪が込められている。
「誑かしやがって!」
古参兵は、三八式歩兵銃の狙いをアティヤに定めた。
そして――
引き金を引いた。
パン!
銃声が響いた。
しかし、銃弾は、アティヤには当たらなかった。
「アティヤ上等兵!?」
内村が、咄嗟にアティヤを庇ったのだ。
銃弾は、内村の胸を貫通した。
肉を裂き、骨を砕き、心臓を貫く。
内村の口から、血が溢れ出た。
「あ……」
内村の身体が、力を失って崩れ落ちる。
アティヤは、倒れる内村を抱き止めた。
「内村! 内村!」
アティヤの声は、悲鳴に近かった。
内村の胸には、大きな穴が開いている。そこから、夥しい量の血が流れ出ている。助かる傷ではない。それは、一目で分かった。
「この馬鹿野郎!」
撃った古参兵が、叫んだ。
その声には、怒りと、そして――深い後悔が混じっていた。
「裏切り者を守る奴が、いるか!」
古参兵は、自分の行為を正当化しようとしている。しかし、その声は震えていた。自分が、仲間を撃ってしまった――その事実が、古参兵の心を激しく揺さぶっている。
内村は、アティヤの腕の中で、か細い声で呟いた。
「……アティヤ……上等兵は……なかま……」
その言葉を最後に、内村は事切れた。
瞳から光が失われる。身体が、完全に弛緩する。
内村二等兵は、死んだ。
「ちくしょーッ!」
古参兵は、自責のあまり絶叫した。
自分が、仲間を殺してしまった。
その事実が、古参兵の理性を破壊していく。
そして、怒りが、古参兵を支配した。
全ては、アティヤのせいだ。
あの女が、内村を誑かしたのだ。
あの女さえいなければ、内村は死ななかった。
そう、古参兵は思い込んだ。
「くそおおおお!」
古参兵は、再び三八式歩兵銃の狙いをアティヤに定めた。
そして、引き金を引こうとした――その瞬間。
ヒュッ!
風を切る音が響いた。
次の瞬間、古参兵の右目に、何かが突き刺さった。
「ぐあああああ!」
古参兵は、激痛のあまり絶叫した。
右目から、血が溢れ出る。視界が、一瞬で真っ赤に染まった。
それは、ナイフであった。
アティヤが投げたナイフが、古参兵の右目に命中したのだ。
しかし、それは致命傷ではなかった。
古参兵は、激痛に耐えながら、なおも引き金を引こうと動く。
視界は半分失われている。しかし、それでも、アティヤの姿は見える。
殺してやる。
絶対に、殺してやる。
その執念だけが、古参兵を支えていた。
しかし――
パン! パン! パン!
三発の銃声が、連続して響いた。
古参兵の胸に、三つの穴が開いた。
血が、噴き出す。
古参兵の身体が、後ろに倒れる。
そして、動かなくなった。
アティヤは、内村の三八式歩兵銃を手に、立っていた。
その銃口からは、まだ煙が上がっている。
アティヤの手は、震えていた。
自分は、仲間を殺した。
零零七の仲間を、自分の手で殺してしまった。
「……はぁ……はぁ……」
アティヤの呼吸は、荒かった。
心臓が、激しく鼓動している。全身が、震えている。
「……ちくしょう……」
アティヤは、絶命した内村を抱き締めた。
そして、泣いた。
声を殺して、しかし確かに、泣いた。
涙が、内村の顔に落ちる。
「ごめん……ごめんなさい……」
アティヤの声は、掠れていた。
自分のせいだ。
自分が、こんな事態を招いたのだ。
自分が、白帝の正体を口にしたから。
自分が、仲間を裏切ったから。
全ては、自分のせいなのだ。
「ごめん……内村……」
アティヤは、内村の身体を抱き締めたまま、その場に座り込んだ。
周囲では、まだ戦闘が続いている。
銃声が響き、剣が閃き、悲鳴が上がる。
しかし、アティヤには、もう何も聞こえなかった。
ただ、内村の冷たくなっていく身体だけが、アティヤの腕の中にあった。
戦場は、苛烈と化していた。




