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カムサリガタリ  作者: 夢物語草子


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運命の章 2話

遠い遠い辺境の海の果て――そこには時の流れから取り残されたかのような孤島があった。

三つ首島みつくびのしま。その名の通り、三つの島が絡み合うように連なり、まるで巨大な蛇が己の身体を幾重にも巻きつけているかのような奇怪な形をしていた。島を取り巻く海は、八岐大蛇やまたのおろちと呼ばれる魔の海域であり、常に荒れ狂う波濤と空から降り注ぐ竜巻が、この島を外界から完全に隔絶していた。

かつて、大陸から流れてきた移民たちがこの地に辿り着いたのは、もはや神話の時代と呼ぶべき遥か昔のことである。彼らは三つの異なる体制を築き上げ、それぞれが独自の支配と文化を育んできた。

その一つ、大洲おおしま――これこそが、大陸の倭国わくにに連なる移民たちが築いた国であった。頂の座には神の末裔たる帝が君臨し、その下に神の遣いである御遣様みつかいさまを友とする十三諸名家が控えていた。

北部の地に本拠地を持つ明保能一族もまた、その十三諸名家の一つであった。北は難攻不落の木暮山に囲まれ、その山脈から流れ出る広大な仙水川が、豊かな恵みをもたらしていた。

正午の陽射しが容赦なく大地を焼く中、二頭の馬が土煙を上げながら街道を疾走していた。

明保能阿久刀あけぼのあくとは、愛馬の手綱を握りながら、風を切って進んでいた。その横顔には、朝の狩りの充実感と、これから待ち受ける宗家との面会への複雑な思いが交錯していた。隣を並走する東雲しののめもまた、師の表情の変化を敏感に感じ取りながら、馬を走らせていた。

領主の居城である隼人殿の城下町に入ると、活気が二人を包み込んだ。正午近くという時刻もあり、商人たちの威勢の良い声が飛び交い、人々が忙しなく行き交っていた。石畳の道に馬蹄の音が心地よく響き、道行く人々は明保能家の紋を見て慌てて道を開けた。

「お師匠様」

東雲が声をかけると、阿久刀は僅かに振り返った。

「どうした」

「先ほどの日彦様のお話ですが……本当に私などに教えていただけるのでしょうか」

阿久刀は口元に薄い笑みを浮かべた。「日彦殿は約束を違えぬお方だ。来ると言えば必ず来る。それに――」

言葉を切り、阿久刀は前を向き直した。

「お前には必要な教えだ。いずれ当主となる身、弓の一つも満足に引けねば話にならん」

東雲は複雑な表情を浮かべた。自分の才能のなさを改めて突きつけられたような気がしたのだ。しかし同時に、師の配慮への感謝の念も湧き上がっていた。

やがて二人は、こじんまりとした小屋敷の前に辿り着いた。門には「暁」と書かれた表札が掲げられている。明保能阿久刀が初代当主を務める分家・暁家の屋敷であった。

馬から降り、手綱を引いて門を叩くと、すぐに使用人が顔を出した。

「お帰りなさいませ、当主様、東雲様」

門が開かれ、二人は屋敷の中へと入っていった。馬小屋へ向かう途中、ある人物の姿が目に入った。

庭先で枯れ葉を掃いていたのは、上品な風貌の老婦人であった。氷清子ひのきよこ――明保能宗家から派遣された家人である。その所作の一つ一つに、長年培われた品格が滲み出ていた。

「お帰りなさいませ」

清子は箒を止め、深々と頭を下げた。その微笑みには、主人たちの無事な帰還への安堵が込められていた。

「今戻った」

阿久刀が短く答えると、東雲も「ただいま戻りました」と丁寧に挨拶をした。

「東雲、馬を頼む」

「はい」

東雲は阿久刀から手綱を受け取ると、二頭の馬を馬小屋へと連れて行った。馬たちは素直に従い、東雲の手慣れた扱いに身を任せていた。

清子は、その様子を見守りながら、静かに呟いた。

「馬の扱い方がお上手になられましたね」

「馬も心を開いている。良いことだ」

阿久刀の言葉には、弟子の成長を喜ぶ師としての温かさがあった。一年前は馬に振り回されていた東雲が、今では見事に馬を御している。その成長は、阿久刀にとって何よりの喜びであった。

清子が周囲を見回し、首を傾げた。

「ところで、碧天様がお見えにならないようですが」

「朝から姿を見せない」

阿久刀は苦笑を浮かべた。

「サボりを覚えたかな」

その瞬間、何もない空間から声が響いた。

『お前は神の心がわかるのか?』

純白で輝きを帯びた毛並みの巨大な狼が、まるで空気から湧き出るように姿を現した。御遣様みつかいさまと呼ばれる神の化身、碧天であった。その威厳ある姿は、見る者を圧倒する神性を放っていた。

「いや、わかるわけないだろう」

阿久刀は苦笑を深めた。

『なれば我がさぼるとどうして言える』

「冗談だって……神の御心は俺の考えなど及ばない」

碧天は優雅な動作で地面に身を伏せた。阿久刀も同様に、その横に腰を下ろす。主従というよりも、古い友人同士のような自然な振る舞いであった。

御遣獣は、神世の時代に誓いを果たした人間たちに、天が"心友"として遣わしたとされている。霊獣は心友である人間とその子孫に寄り添い、人の親と共に子を育て、生涯を共に過ごす存在であった。十三諸名家が特別視される最大の理由は、この御遣獣の存在にあった。それは現在まで残る、最大の神秘であった。

『我は教えた』

碧天は大きく欠伸をした。

「難解過ぎだ。理解できない」

『たわけ』

「仕方ないだろう」

『我は情けない気持ちだぞ』

二人のやり取りを見ていた清子が、クスクスと笑った。

「仲の良い親子ですね」

『我が育てた。おしめも変えてやった』

「やめてくれ」

阿久刀は恥ずかしさで顔を赤くした。幼少期の恥ずかしい思い出を暴露されて、さすがに動揺を隠せなかった。

ふと、碧天の表情が変わった。鋭い視線を清子に向け、下がるよう促す。何か重大な話があることを察した清子は、深く頭を下げて二人から離れた。

庭に残された阿久刀と碧天。風が止み、異様な静寂が二人を包み込んだ。

「どうした?」

阿久刀の問いかけに、碧天は重々しく口を開いた。

高天こうてんが倒れた』

その一言で、阿久刀の背筋に冷たいものが走った。高天――それは大炊御門家の御遣様である大猩猩の名であった。

「高天様が……?」

『還った』

文字通り、御遣様が天に還ったのだと碧天は告げた。それは即ち、大炊御門家の当主の死を意味していた。

「なら経頼様は!?」

『虫の息だ。数日のうちに死ぬ』

「……そうか」

阿久刀の顔に苦渋の色が浮かんだ。大炊御門経頼おおいのみかどよりつねは現在の太政官長であり、朝廷随一の有力者であった。その死は、単なる一人の政治家の死ではない。それは家を暖める火が消えたのではなく、火に油をかけて家を燃やすようなものであった。

「毒か」

阿久刀は疑念を口にした。

『さてな』

碧天の返答は素っ気なかった。人間の政治的な謀略には興味がないのだ。

阿久刀は深く考え込んだ。二十年前の内戦を思い起こし、苦い表情を浮かべる。あの時の混乱と流血の記憶が、生々しく蘇ってきた。

「兄上は知っているのか?」

『はて?遊天が伝えているとは思えん。あの堕落者はひっくり返って腹を出して寝ているだけだ』

明保能宗家の当主である実兄、明保能十勝あけぼのとかちの御遣様・遊天ゆうてんは、驚くほどの怠け者として知られていた。その遊天に育てられた十勝が、不思議なことに生真面目な性格となったのは、まさに奇跡と言えた。

「……俺から兄上に伝える」

碧天は顎を開いて笑った。

『そうしろ。ついでに遊天の毛をむしってやるがいい』

かつて遊天を食い殺そうとしたこともある碧天だが、さすがに今は呆れ返って優しくなったようだった。

「お師匠様!お待たせしました!」

馬を繋いで戻ってきた東雲の声が響いた。阿久刀は立ち上がり、振り返った。

「東雲。今一度出かける。馬を頼む」

「どこへ行かれるんですか?」

東雲の問いに、阿久刀の表情が引き締まった。

「隼人城だ。急いでご当主にお会いする」

東雲は師の表情の変化を見て、事態の重大さを察した。何も聞かずに頷くと、すぐに馬の準備に取り掛かった。

清子もまた、主人の様子から尋常ではない事態が起きていることを理解した。しかし、明保能宗家から派遣された身として、彼女には複雑な立場があった。報告義務と、暁家への忠誠の間で、彼女の心は揺れていた。

阿久刀は、そんな清子の葛藤を見透かしているかのように、静かに声をかけた。

「清子、留守を頼む」

「承知いたしました」

清子の返答は、いつもと変わらぬ落ち着いたものであった。しかし、その瞳の奥には、これから起こるであろう激動への覚悟が宿っていた。

再び馬に跨った阿久刀は、一度だけ屋敷を振り返った。この平穏な日常が、いつまで続くのだろうか。高天の死が意味するものは、単なる政変では済まないかもしれない。

「東雲も頼むぞ」

「はい!」

二人は馬に鞭を入れ、隼人城へと駆け出した。蹄の音が遠ざかっていく中、清子は静かに門を閉じた。

碧天は、駆けてゆく阿久刀を見送りながら、低く唸った。

『変化の風が吹き始めたか』

その言葉は、誰にも聞こえることなく、風に流されていった。

時代の歯車が、ゆっくりと、しかし確実に動き始めていた。高天の死という一つの出来事が、やがて大きな渦となって、すべてを巻き込んでいくことになる。

阿久刀も、東雲も、そして碧天も――誰もがまだ、その運命の糸がどのように絡み合っていくのか、知る由もなかった。

ただ一つ確かなことは、平穏な日々が終わりを告げようとしているということだけであった。

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