わたしの、愛したひとたち ―あの日、ヒーローだった人へ―
これは、ある母と娘の10年にわたる、静かな物語。
愛していた人が、いつしか“痛み”になってしまったあとでも──
それでも、人は誰かを守り、誰かに守られて、生きていく。
私の名前は、新名加奈子。
かつて、夫・智治のことを、世界でいちばん愛していた。
私たちは、結婚2年目を境に、それぞれ仕事でのやりがいや夢、目標が出てきて……
お互いへの愛が、少しずつ薄れていくような感覚があった。
そもそも、結婚当初から智治は、職場の同僚やマッチングアプリなどを使い、不倫をしてきた。
私が智治さんのことをどれだけ愛そうとも、その想いは一方通行なのだ。
思い起こせば、若い時代にお付き合いしていたときも、街の女の子を見かけては
「可愛い」などと発言したり、ずっと見つめていたりしていた──なんてこともあった。
結婚式で誓ったあの言葉――
「一生愛しています」
あの日、あの言葉は、ただの式典用の演技だった。
私にとっては真実でも、彼にとってはきっと、嘘だった。
私は智治さんのことを心から愛して……そう、アイシテ……
それは不倫と時間の流れによって、大きな亀裂を生み、「憎しみ」へと変わっていった。
そんな私たちの間にも、一人の娘がいた。
まだ幼く、子育て真っ最中の時期だったが、智治さんは仕事と浮気で頭がいっぱいなのか、
いくら手伝ってと声を挙げても協力してくれることはなかった。
智治さんは、休日は私たちを置いてどこかへ出掛け、
平日も深夜遅くに帰って来る日々が続いていたのだった。
私も、保育園に子どもを預け、日中はパートに出ていたが、
昇進なんて言葉は、私の仕事には縁がなかった。
多忙な毎日を、ただ生きるしかなかった。
しかし私は、ある日を境に、智治さんへの憎しみが収まらないことに気づいたのだ。
気づけば、刃物に手を伸ばし、テレビを見ている智治さんの元へ足を向けていたり……
それにハッとして、台所へ慌てて戻ったり。
他にも、こっそりとスマホを手にして、女性の連絡先を削除したり。
日々の行動が、少しずつ変わっていった。
そんな毎日に嫌気がさし、
私は子どもとともに命を落とそうか――そう考えていたときだった。
悪いのは智治さんなのに。
どうして私たちが犠牲にならなくてはならないのか?
その疑問が、私の思考を引き戻した。
それからは、離婚届を突きつけ、これまでの慰謝料を請求し、
難病を抱えている娘と、二人きりの生活が始まったのだ。
ああ、本当なら殺してやりたかった。
でもそんなことは、母として、ひとりの人間として、到底できなかった。
もっと早く、彼を見限っていれば――
この子に、こんな不安を背負わせずに済んだかもしれないのに。
あのとき、お母さんは迷いながらも、私を守る選択をした。
それから十年。今、私は小学六年生になった。
けれど私は、お母さんの“その後”を、まだ知らない。
私はいつも、どこか不安げな顔をしているお母さんに、
どう接したらいいんだろう?
どうしたら笑ってくれるんだろう?
――と、いつも考えていた。
時々、昔のお父さんのことを悪く言うことがあって、
私はそれを、いつもうんうんと聞くことが多い。
お母さんに昔、何があったんだろう?
私には、お父さんの記憶はほとんどない。
でも、お母さんの心の奥には、いまだにお父さんの存在が、棘のように残っているんだと思う。
目の奥に映るその影が、たまに――ちょっとだけ、怖くなる。
でも、私もお母さんの男の人を悪く言うってところ、
理解できなくもない。
同じクラスメイトの男子も、私のことを
「可愛くない」「不愛想」なんて言って、遠巻きな扱いをしてくる。
友達の女の子からは、
「理香ちゃんて美人だよね」
「ちょっとクールだね」なんて言われることもよくある。
でも、私は私以上でも以下でもないから、
そうなんだ、としか思わない。
周りの評価はともかく……
ただ、お母さんが笑ってくれたらいいのにな――って、ずっと思ってる。
私が頑張って勉強したら、喜んでくれるのかな。
私の言葉や行動で、お母さんを笑わせられたら……
その笑顔がまた見られるのかな。
昨日の朝、私はいつもより早く起きて、台所に立ってみた。
トーストが少し焦げたけど、卵はちゃんと焼けたと思う。
お母さんが寝室から出てきたとき、私は笑って言った。
「……先に作ってみたんだ。食べてみて?」
ぎこちなく笑ったお母さんの顔、私はたぶん、一生忘れない。
お母さん、ずっとそばにいるよ。
だって――お母さんは、私のヒーローだったから。
あなたにも、あの日ヒーローだった人がいますか?
誰かの痛みが、誰かの希望に変わる瞬間を、描きたくて。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。