第3話 リリアと、色を取り戻す村(前編)
朝の村には、パンを焼く匂いも、スープを煮込む音もなかった。
あるのは、昨日の残り物を温めるための微かな煙と、野菜を刻む包丁の鈍い音だけ。
それが“普通”だった。
でも、今朝は少しだけ違っていた。
鷹也が目を覚ますと、厨房から何かしら“香ばしい”匂いが漂ってきていた。
「おはよう、タカヤ。ちょっと試してみたの」
リリアが、慣れない手つきで鍋をかき回していた。
「昨日、教えてくれた野菜の切り方。あれ、すごくやりやすかった!」
煮込みの中からは、昨日とは違う、甘みと香草の混ざった匂いがしている。
まだ味のバランスは荒いが――ちゃんと“料理”になっていた。
「なるほどな。やるじゃないか」
鷹也は目を細める。
料理は“教わりたい”という心がなければ、どれだけ技術を教えても上達しない。
リリアはその素質を、すでに持っていた。
「……ねえタカヤ。わたし……料理って、もっとしたいかも」
その瞳にあったのは、迷いではなく、まっすぐな好奇心だった。
――――――――――――――――――――――
それからの日々、鷹也は村の中で少しずつ“味”を広めていった。
「塩ってのはな、ただしょっぱいだけじゃねえ。“引き立てる”力がある」
「火は強けりゃいいってもんじゃない。素材が何を求めてるか、耳で聞くんだ」
そうやって、彼のもとに子どもたちや若者が集まり、簡単な調理から真似をし始める。
リリアはその中でも、最も熱心だった。
包丁の持ち方、野菜の皮を薄く剥く練習、味見の仕方。
彼女は何度失敗しても笑って、何度もうまくやろうと挑戦した。
「……リリア」
ある日、鷹也はぽつりとつぶやいた。
「おまえ、ちゃんと“味”がわかるんだな」
「え……?」
「初めて食った時、泣いたろ? あれは味覚が鋭い証拠だ。俺が昔、一番弟子にした子より、素質あるかもしれないな」
リリアは真っ赤になって、スープの鍋に顔を突っ込まんばかりにうつむいた。
「……じゃ、じゃあ、わたし……その、弟子に、なっても……いい……?」
数秒の沈黙の後。
「あぁ。今日から、おまえは俺の一番弟子だ」
その日、リリアの笑顔は、まるで陽だまりのように輝いていた。