(徳川家の伏見屋敷にソッとお邪魔しました)4
本多忠勝の背中を冷や水がドッと流れ落ちた。
滝のように。
もしかしたら、太閤殿下の元に出向かされるかも知れない。
平伏して謝罪させられるかも知れぬ恐怖が押し寄せて来た。
嫌だ嫌だ、嫌だ。
猿か、禿げ鼠かは知らぬが、獣に人間が謝るのか。
複数の怒鳴る声が聞こえて来た。
離れた箇所からだ。
徳川家康がそちらを振り返った。
忠勝も釣られた。
厨の方からだった。
明らかに厨方と分かる者達が庭先に飛び出し、何かを探していた。
その一人が家康に気付いた。
顔色を変え、アタフタしながら駆け寄って来た。
土下座して釈明した。
「お騒がせして申し訳ありません」
家康に代わって近習の一人が尋ねた。
「如何した」
「ちょっと目を離した隙に猫が入り込み、煮魚を盗んで行きました」
家康が表情を変えた。
「何の魚だ」
「あの、その・・・」
「儂のか」
「はい、申し訳ございません」
左右を見回す家康。
「猫はどちらに逃げた」
「あちらです」
厨方の者が右を指し示した。
全員の視線が右に向けられた。
ただ、忠勝一人は違った。
左を見ていた。
左にある本邸の屋根に例の黒猫がいた。
遠目にだが、黒猫は何かを咥え、悠々と歩いていた。
おそらく咥えているのが煮魚に違いない。
主の好きな金目鯛の煮物。
その欠片らしいのが、ちょっと落ちた。
黒猫ヤマトは煮魚を瓦に置いた。
両前足を巧みに使って骨を除けて食べた。
五右衛門に負けぬ味付けだ。
ごちそうさん、好いお味でにゃん。
食べ終えたら《電撃》を起動して、両前足にピリピリ。
洗う代わりにピリピリで、臭いとかの痕跡を消した。
骨だけを残して屋根から降りた。
陰から陰へ走り、外塀を跳び越えた。
周囲を走り回って五右衛門の臭跡を探した。
時間にすれば一夜、まだ残っているはず。
嗅ぎ回って、嗅ぎ回って、遂に見つけた。
それを辿ることにした。
途次に一つの死体。
藪に退けられていた。
手裏剣が喉元に見えた。
投じたのは五右衛門。
退けたのは追手の一人か、あるいは通り掛かった者だろう。
更に行くともう一つの死体。
河原に打ち捨てられていた。
これも手裏剣、またも喉元。
五右衛門が得意としている事は知っていたが、
こうも続けてだとは思わなかった。
この河原で五右衛門の臭跡が消えた。
探すと川船を寄せた痕跡が見つかった。
おそらく黙って拝借したのだろう。
それが一端の泥棒の流儀。
人の物は俺の物、俺の物は俺だけの物、それを盗むのを許さず。
ヤマトは迷った。
上流か、下流か。
追手との戦いで疲弊しているから、下流、だろう。
だとすれば、下流全域・・・、広過ぎた。
探すのを諦めた。
隠れ家に戻って待つ事にした。
真っ直ぐに北を目指した。
二条城を左に見て、内裏を右に見て、その先の山中に駆け入った。
獣道を行く。
高い外塀に囲われた建物が見えてきた。
そこが、五右衛門が配下にも内緒にしていた隠れ家であった。
通り掛かった者は、豪商の別荘だと思うだろう。
ヤマトは高木に駆け上り、隠れ家や辺りの気配を探った。
五右衛門の気配なし。
怪しげな気配もなし。
外塀を跳び越えた。
建物の周囲を探った。
忍び込まれた様子はない。
ヤマトは床下に潜った。
短期の留守であったが、床下には蜘蛛糸が張り巡らされていた。
それらを両前足で除けながら進む。
土間へ通じるヤマト用の猫口から室内に入った。
先ずは水、甕の水を一舐め二舐め。
次は腹を満たす為に囲炉裏へ向かった。
木炭が灰に覆われていた。
だが、まだまだ囲炉裏には熱が残っていた。
ヤマト囲炉裏の灰をちょっと掘り起こした。
小さな紙包みを取り出した。
紙包みの中身は兎肉だ。
五右衛門がヤマト用に作り置きしていた物だ。
灰を払い、紙を開いた。
兎油がたらーりたらーり。
好い感じ。
深夜、ヤマトは異な気配に起こされた。
《サーチ》起動。
この辺りではないどこかで、軍気が激しく揺れ動いていた。
五右衛門の所在が気になった。
集中して、方向を見定めた。
鞍馬山のある辺りだ。
ヤマトは即座に行動を開始した。
座布団から身を起こし、猫口から床下を走り、建物から出た。
外塀を跳び越え、鞍馬山方向へ駆けた。
居るか居ないかは知らないが、五右衛門、待ってろにゃん。
京の北の鞍馬山。
夜中に蠢く幾つもの影があった。
彼等は役小角の流れを汲む山伏。
白い頭巾と白い装束でそれを明示していた。
錫杖ではなく、薙刀を担いで暗い山道を駆けていた。
隊列は組んでないが向かう先は一つ。
さらに北の紅葉ヶ原。
先頭の山伏が足を止めて紅葉ヶ原の様子を探った。
優れているのは健脚だけではない。
勘働きにも優れていた。
さらに先から漂って来る妖気を感じ取った。
慌てて後続の者達を止めた。
「ここまでだ」
後続の中から山伏の長老、常陸が前に出て来た。
「どうだ」
「『鬼の口』のようです」
紅葉ヶ原の奥に『鬼の口』と呼ばれる洞窟があった。
いつの時代に作られた話か知らないが、
一つの言い伝えが残っていた。
それによると、その洞窟は鬼の国への出入り口であるそうだ。