(徳川家の伏見屋敷にソッとお邪魔しました)2
本多忠勝は担いでいた槍を素早く構えた。
襲い来る忍犬をグッと睨み、瞬時のうちに様子を見定めた。
先頭のは低い姿勢のまま、足を狙って来た。
次のは遠間から跳んで、頭狙い。
油断ならぬのは三頭目。
ソッと逸れて、背後に回り込もうとした。
犬畜生とは思えぬ連携。
躱す暇はない。
普通なら。
忠勝は普通ではなかった。
舞うかのような体捌きで、まず三頭目の機先を制した。
前方を塞ぎ、戸惑いの三頭目を打ち据えた。
更なる体捌き、ひらりと舞う。
舞いつ、宙にある二頭目を叩き落した。
そして一頭目に戻った。
その忍犬、怒りに身を震わせて闇雲に跳んで来た。
我を忘れていた。
忠勝はその吼える口に槍の穂先を喰らわせた。
忠勝は、一頭目を屠ってから残った二頭に目をくれた。
状況から手加減したものの、半殺しにはした、そう確信していた。
その二頭、六尺棒によってしこたま打ち据えられていた。
忠勝は犬使いを探した。
柘植の喜蔵は忍犬をたきつけて忠勝を襲わせると、一転、
忍者の本性に戻った。
逃走。
無駄死にはしない。
負けたらそれを次に活かす。
死に物狂いで外壁を乗り越えようとした。
背後から矢音が連続して聞こえた。
背中に複数の衝撃。
忠勝は犬使いが敷地内に落ちたと見るや、駆け付けた。
生死を確かめた。
手遅れだった。
事切れていた。
屋敷警護の忍者群が集まって来た。
そのうちの数人が犬使いを見知っていた。
「所司代に飼われている奴だな」
「柘植の喜蔵、そう呼ばれていたな」
「伊賀者だな」
忠勝はその者達に尋ねた。
「そういう奴が何故この屋敷に忍び込んだ」
「おそらく石川五右衛門を追跡していたのでしょう」
ああ、あれかと忠勝は思い出した。
改めて周囲を見回した。
誰かが忍び込んでいるという気配は感じない。
すでに立ち去ったのか。
「石川五右衛門がこの屋敷に現われた、ということか」
「ええ、ですが、この騒ぎを利用して離れたのではないでしょうか」
「つまり、此奴や犬達は置き去りにされたのか、気の毒にな」
騒ぎをよそに、疲弊した黒猫ヤマトは気を失っていた。
だらっと横に伏していた。
知らぬ者は、死亡したと判断するかも知れない。
ところが、実際は違った。
体内では活発な自己再生が行われていた。
外傷は当然、痛めた内蔵、欠損した箇所、それらが修復された。
痛んだ細胞が取り除かれて新しい細胞へ交換され、
生み出された真新しい血液が末端の隅々へ送り出されて行く。
眩しい陽射しでヤマトは目覚めた。
顔を少し上げた。
朝日が昇りかけていた。
ヤマトはゆっくり立ち上がった。
四肢に異状はない。
軽く屈伸して、ちょっと宙返り。
前日より体調が良い。
礼儀正しいので朝日に向けて「にゃーん」と鳴いてみた。
咽喉も良し。
さあ、出かけよう。
池の水面は揺れていた。
鯉が朝から忙しなく泳いでいた。
大きな鯉と育ち盛りが半々かな。
それを眺めて黒猫ヤマト、生ではなあ~、お腹を壊す、と残念がった。
小島から向こう岸へ橋が架けられてない。
さあ、どうする。
体力的には《飛翔》でも問題はない。
ヤマトは前足でちょこんと水面に触れた。
否々々、否。
水魚ではないが、何故か・・・好感触。
猫の種である筈なんだが。
そこで、はたと気付いた。
【始祖龍の加護】を得ていた。
物は試し。
好奇心は猫を殺す、だったかな。
今のヤマトにそれは適用されない、そう信じた。
【始祖龍の加護】様様様、信じてるにゃーん。
まず人目がないのを確認した。
次に、鯉が群れていない箇所。
鯉の餌として投入された、そう誤解されたくない。
そろりと、右前足から水に着けてみた。
ちゃぽ~ん。
踏ん切りがつかない。
左前足に替えた。
とっ、池底から、黒い影が、膨れ上がるように浮上して来た。
予想外も、予想外、まさに青天の霹靂。
それが間近に迫った次の瞬間、左前足に喰い付かれた。
抜こうと抵抗したが、如何せん。
激しい力で水中に引きずり込まれた。
「ふにゃー」
そのまま池底へ招かれた。
竜宮城はなかった。
積み上げられた泥が歓迎してくれた。
一連の騒ぎで泥が舞い上がった。
辺りの視界ゼロ。
ヤマトは水中で呼吸できる自分に驚いた。
【始祖龍の加護】様様様ではないか。
まだ足は喰い千切られていない。
視界ゼロでも敵の居場所は分かった。
左前足に喰らい付いたまま、それは直ぐ側にいた。
【始祖龍の加護】《サーチ》を起動した。
視た。
ナマズだった。
ヤマトより二回りほど大きなナマズ。
飲まず食わずでも一年は生きられるという、越年ナマズ。
東海の沼津から広範囲に広がったと言われる種だ。
それがヤマトの足を喰い千切ろうとしていた。
奮闘しているのが伝わって来た。
それを許せるほどヤマトは優しくない。
にゃーなのだ。
視界ゼロの中、反撃に転じた。
冷静になると反撃は容易い。
ナマズが左前足に喰らい付いて離れようとしないからだ。
その状態を指して、直接接触されてるという。
緩く捕獲された状態とも。
ヤマトは小刻みに猫パンチ、猫キック、引っ掻きを多投した。
水圧の影響で極め技にはならないが、
ナマズにとっては嫌な反撃らしい。
身を捻って幾度も躱そうとした。
それでもヤマトを放そうとしない。