(徳川家の伏見屋敷にソッとお邪魔しました)1
ヤマトは駆けながら周囲を見回した。
地理は把握していた。
ここらは伏見の街中。
目の前には徳川家の伏見屋敷。
ヤマトはふらつきに耐え、忍犬を誘った。
五頭は躊躇いなく追って来た。
やはり五右衛門ではなくヤマトを獲物視していた。
それは餌としてか、それとも殺害目的かにゃー。
五右衛門は逃走しながら後方を振り返った。
追手は二名。
ヤマトの姿がない。
ここに姿のない二名と戦っているのか。
だが、ヤマトが遅れを取るとは思えない。
そのうちに追い付いて来るだろう。
今の五右衛門にはヤマトの心配どころではなかった。
目下の敵をどう仕留めるか、そこであった。
ヤマトが目指したのは目の前の屋敷。
残り少ない力で高い外塀を飛び越えた。
建屋から離れたところに庭園と池を見た。
逃げ込む場所を見つけた。
そちらへ駆けた。
五頭も外塀を軽々と飛び越えて来た。
着地すると身を伏せ、左右に目を走らせてヤマトを探した。
直ぐに視認。
唸りを上げて追って来た。
ヤマトは最後の力を振り絞り《飛翔》。
短い距離を飛んだ。
池の中の小さな島。
橋は架けられてないのは確認済み。
忍犬では追って来られないだろう。
どっと胴体着陸。
ギヤー、痛い痛い痛い、痛いにゃー。
起き上がる気力も余力もない。
寝転がったまま五頭の方を振り返った。
五頭のうちの二頭がヤマトを真似た。
岸から跳んだ。
池を跳んで、ここへ来ようとした。
勇者・・・。
しかし、飛距離が足りない。
途中で落下した。
池へ頭から突っ込む。
それを見て残り三頭は足を止めた。
仲間とヤマトを交互に見遣るだけ。
この騒ぎに気付いたのだろう。
警備の武士達が駆けて来た。
六名。
先頭の者が声を上げた。
「溺れている犬がいるぞ。
どこの犬だ」
「知らんが、溺れているのは二頭だな」
「こちらの藪の方に三頭いる。
狂暴そうな顔で牙を剥いてる」
誰も、たかが犬とは侮らない。
即座に全員が手にしていた六尺棒を構えた。
「当家は犬は飼っていないぞ」
「だとすると、どこから」
「塀を飛び越えて来たか、誰かが入れたか。
とにかく油断するな」
柘植の喜蔵もようやく追い付いた。
高齢にも関わらず無理して外壁を越え、敷地の片隅に潜んだ。
気配を消して視線を左右に走らせた。
六尺棒を持つ武士達、惑う忍犬三頭、溺れている忍犬二頭。
肝心の黒猫は・・・。
溺れている忍犬二頭と共に池の中か。
目を凝らした。
溺れた黒猫の姿をない。
沈んだのか。
遠間から矢音。
それも複数。
三頭を狙った矢が飛来するが、それを悉く躱した三頭は、
喜蔵の方へ嬉しそうに駆け寄って来た。
気配を消しても忍犬の嗅覚は誤魔化せなかった。
忍犬への感心よりも、喜蔵は困ってしまった。
せっかく潜んだ筈が、無駄に終わった。
再びの矢音。
こちらへ飛来した。
喜蔵は近くの灯篭の陰に跳び退った。
三頭も続いた。
ヤマトは二頭が沈むのを確認すると、新たな展開を見物した。
高みの見物ではなく、横になっての見物。
と、異様な気配。
明らかに強者と知れる。
あの日の傾奇者といい勝負だにゃー
ヤマトはすごすごと後退した。
幸い、島は藪と岩が多い。
その中の組まれた岩に着目した。
中段が洞のような形状になっていたので雨や夜露は凌げそうだ。
柘植の喜蔵は身動きできなかった。
それは正面から歩み寄って来る男にあった。
偉丈夫、威圧感が半端ではなかった。
月明かりでその姿がはっきりした。
やはり。
本多忠勝、その人。
槍を肩に担いで歩み寄って来た。
手配りも済ませたようだ。
彼の背後に弓士五名。
右手に六尺棒の六名。
左手はわざと空けてある。
おそらくだが、徳川家の忍者群も動員されてるはず。
外で待ち構えているに違いない。
人数の問題ではない。
最大の障害は本多平八郎、その人。
彼の手から果たして逃れられるだろうか。
所司代の手の者、と言い訳すれば・・・。
しかし、それを証明する物がない。
喜蔵はジリジリと後退りした。
忍犬も喜蔵を真似た。
本多忠勝が灯篭の陰から外塀へと後退りする喜蔵に誰何した。
「何者か、ここは徳川家の伏見屋敷である。
承知で忍び入ったのか。
その目的は。
・・・。
間違いであるなら素直に前へ出よ。
神妙にすれば温情がない訳ではない」
喜蔵は覚悟を決めた。
深く長く息を吸い、同じように吐いた。
そして敢えて己に活を入れた。
両頬をパンッと叩いた。
これに三頭の忍犬が応えた。
揃って姿勢を低くし、何時でも飛び出せる姿勢。
唸りながら本多忠勝を睨む。
喜蔵が合図した。
「行け」
三頭が我先に飛び出した。
吼えながら本多忠勝へ襲い掛かった。