毎日三枚小説『タイムカプセル』
電灯によって路面に映しだされた影はいつも所在無さげに私の後をついてくる。
孤立した飲み会からようやく解放されると思っていたのに、どうして深夜に中学時代の母校まで足を運ばなければならないのか。
集団で歩くなか、葉山を中心としたメンツはタイムカプセルについての話で盛り上がっていた。
「俺教師とか目指してれば良かったかもな」
スーツを着た男が顔を赤くして言う。
「馬鹿だよ、馬鹿。今の時代じゃ教師なんてストレスの固まりだぞ? それより薬剤師でしょ? ねえ、木村さん」
「まあねえ、給料そこそこだしもうすぐボーナスも出るし、薬局なんて腐るほど需要があるからね。でも俺でもさ、あの頃はゲーム会社に勤めたいとか馬鹿な事書いていたよ」
得意げに薬剤師である葉山は答えタバコを吸う。
「あの頃はなんだかんだ言って若かったですよね。考え方が……。僕は何書いたか全然覚えがないんですよ。もうまるっきり切り取られてるという感じでね。なので、何て自分が書いたか楽しみですよ」
二次会のお金を葉山が払ったからか、場は葉山を持ち上げる雰囲気になっていた。タイムカプセルうんぬんを言い出したのもこの男だった。
くだらないなと私は思う。昔書いた自分の手紙。そんなもの受け取った所で憂鬱な気分になるに違いないだろう。もちろん若い時、熱意が溢れていた時だったらいい。カンフル剤のような効果はある。しかしもう私たちは30代に足を架けた人間だ。それぞれある程度の苦い味ってのは知っている。
そう考えてからまた考え直す。まあ私が言えた事じゃない。何年も置き捨てた中学校の同窓会に今更出会いを求めて現れた。孤立するって事は大方わかっていたのにさ……。初恋だったあの子も一言も話さず帰り僕は話をする相手は一人もいなかった。
タイムカプセルは校舎裏の小屋の中に収納されていた。たどり着くのに駅から15分歩く。そのボロいトタン屋根の建物が15分掛けるに値するものとは思えなかった。薄暗く貧相で誰の目にとまらない、昼間でもずっと日陰のような場所。そこが中学生だった私の”夢”の終着点と考えると虚しかった。建物の中は意外と広く、10人ぐらいはなんとか入る事が出来た。中はそこには年号別に棚があってクラスごとの収納箱があった。年号によっては全てのクラスが無かったり、虫食いのようにいくつかの箱は持ち去られていた。ただ殆どのタイムカプセルは開けられていなかった。
昔見ていた夢を殆どの人がもう過去のモノとして置いていってしまう事を考えると何だか切ないものだった。 自分たちの年号を探し、自分たちのクラスのタイムカプセルを探す。
私が多分いち早く見つけた。二年四組と書いたシールを見つけたが、戸棚の中には何もなかった。
「だめだな。うちのクラスの分誰かが持って行かれちゃったみたいだ」
小言で私は言い、内面ほくそ笑んだ。葉山の顔に水をかける事が出来たからだ。
「本当かよ」
葉山が私の後ろから戸棚を覗き込む。
「うちのクラスで他の同窓会なんてないはずだぞ? 一体誰が持って行ったんだよ」
強い口調で誰にともなく叫ぶ葉山。しかしみんなかける言葉もなく場は静寂に包まれた。
「どうすんだよ葉山。ここまで来て結局解散か?」
困った顔をする葉山。ざまあねえ。
「とりあえず、一番近いファミレスに行こう。そこでまあ、考えたらいいんじゃない?」
葉山は打って変わって他人事のように言う。昔から場を盛り上げる事は上手かったけど、事情が悪くなるといつも逃げる。
ファミレスに行く途中会話もまばらになったメンバーは国境に向かう難民のように静かだった。僕は歩いているのも癪だったし今すぐ帰ろうとも思ったけど、誰も帰らないので仕方無く付き合う。帰りたいけど付き合ってる。正直他の奴もそう考えているはずだ。昔のクラスメートの下を向いた表情をちらちら見ながら、僕はタイムカプセルの事を思った。
中学二年生。私は当時どんな夢を見ていたのだろう?
タイムカプセルに何を書いたのかは覚えていない。いつか見る為にみんなで書いた訳だけど、タイムカプセルを埋めようとしていた時は全然そんな事に心を傾けなかった自分がいた。あの頃は自分が本当に30歳になるとは思ってなかった。就職して残業してサラリーマンして生きている自分が予想できなかった。一つ覚えている事と言えば、小村京子に恋をして、甘酸っぱくもならないまま恋は終わったって事だ。
そう考えてみると私は昔の私を知らなかった。もっと思い出してもいいはずなのに何も思い出すことができなかった。
ファミレスに行った所で今更飲み直すという事も出来ず、ざらついた時間がゆっくりと滑っていった。同窓会集まったメンバーは時間が過ぎる事に何かしらの理由を付け帰っていった。
「なんかないか? 始発になるまでに出来る事。折角集まった訳だからさ」
もう同じ内容を何回言ったか判らない。葉山の目の前にある灰皿には隙間が無くなるほど吸い殻があった。「どこかに行くっていってもさ、この時間じゃどこも開いてないですよ」
赤い顔がすでに消えて、スーツにシワばかり付けた男がソファーに寄りかかりながら言う。何とか私は自分の記憶を取り戻したかった。思いついた提案を口の中で反芻する。
「あのさ」
10人の視線が私の方を向く。今までずっと喋っていなかった訳で、そりゃ当然だ。
「昔の自分に手紙を書くってのはどうかな?逆タイムカプセルっていうか……」
ソファーに寄りかかってた男はなんだそれという具合に天井を仰いだ。
「お前さあ、そんな事して何になるんだよ」
「意見を求めたのはお前達の方だろう」
私はムキになって言った。
「悪くねーな、それ。どうなるかわかんねーけどな」
笑いながら同意したのは葉山だった。別に楽しい楽しくないという話じゃない。僕は昔の自分を知りたいと思っただけだ。
葉山が同意すると他のメンバーは後をついてくるだけだった。スーツの男がコンビニに人数分の手紙とペンを買ってきた。
「よう。元気だったか?俺は元気だ。よかったな。お前の事正直今の俺じゃ良くわかんねえんだ。お前はそんとき原色じみた色のTシャツばかり着ていたな。んで、小村京子が好きだったよな。窓側の席でカーテンと一緒に揺れる髪を二つ後ろの席から眺めてた。それは良く覚えている。でもな、俺は殆どお前の事は忘れてしまった。どんな夢を持っていて、どんな気持ちで日々を過ごしていて、どんな気持ちで友人と接していたのかもな」
私はそこまで書くともう書く気力を失った。自分の昔に手紙を書くなんて土台ムリな話だ。手紙なんて私はまるで書いた事はないのだから当然。もういいやって思って僕は書いた紙を封筒に詰めた。顔を上げるとみんなまだ書いている。
煙草を辞めてからというもの、こういう余った時間に何をしたらいいか判らなくなった。私は3年前に禁煙した。だからこそ葉山には少しばかりの優越感を感じる。正直他の人の書いた手紙を気になった。でもただじっと待つしかなかった。
全員が書き終わりもう一度学校に向かう頃にはもう朝日が出かかっていた。ずっと誰とも話をしていなった私は少しだけ葉山と会話した。
「ずっと君はかわらない性格なんだな。確かほら小学校の授業の時もさ。授業中トイレに行きたくて仕方無くて、それでも先生には言えなくて結局ちょびっと漏らした事あったね」
「随分昔の話をするな」
「修学旅行の時だって誰が好きかって話になって俺が小村って言ったあと、お前は西岡が好きだって嘘付いたじゃん。なんつーか空気読んでるのか読んでないんだかさっぱりだったよ」
葉山はどこかすっきりとした笑顔を言った。昔からこんな奴だったっけ?と私は私に自答する。でもよく考えたら僕は僕の事を覚えていなかった。
「どうしてそんな事が判ったんだよ」
「お前は小村と話しをしている時は妙にテンション高かった。正直周りでは付き合ってるうんぬんの話があったくらいだ。今回の同窓会だって小村と話がしたかったんだろ? 馬鹿な奴だな」
たしかにそうなのかもしれない。小村と話がしたかったからなのかもしれない。だって同窓会なんて出会える人間は限られているし、仲の良かった奴としか話が弾まないのは決まり切った事だからだ。僕はふと小村と話をしていた頃の自分を思い出した。隣の席の小村にわざと教科書忘れたとか言って見せて貰ったりとか、今考えると馬鹿としか言いようがない。たしか彼女が隣の席にいた頃タイムカプセルの話があった。そうだ。タイムカプセルの事を良く思い出せないのはその頃僕は自分の未来の事より小村の事を考えている事の方が重要だと思っていたんだ。
そっか……と僕はため息を付いた。
「どうかしたか?」
「いや別に、些細な事を思い出しただけだよ」
過去にあてた手紙も結局倉庫に入れた所で何の感情も感慨も起こらなかった。おそらくもう二度と見ることはないと思う。結局忘れ去られタイムカプセルと同じ運命になるんだ。
私たちはそこで各々解散となり葉山達は私が遅れている間に駅に向かってしまった。もう始発は出ているが、私の家の路線は乗り換える時にまだ始発を迎えていない。だから焦っても仕方無かった。それに一人になりたかった。
私は一人で駅を目指した。葉山の事を嫌いになったのは、恋敵だとずっと思っていたんだな…って思って自分が少し嫌になる。でももしあの修学旅行で本当の事を言っていたら私は変っていたかもしれない。恋をした人を誰かに譲るって私には良くある事だ。そう言えばあいつ煙草は絶対吸わないとか昔言ってたな。僕はそう思い苦笑いを浮かべた。
昔の絶対は絶対じゃない。結局そんなものなんだ。ざまーない。唯一葉山に対して憂さが晴れた。そして私はこのことを逆タイムカプセルに書いてやろうと思った。
「葉山。お前は絶対煙草は吸わないって言ってたよな。俺は煙草を辞めたぜ。ざまーねえ」
そう殴り書きすることで、もう葉山に対する嫌悪の感情はきっと無くすことができる。だから私はあの小屋にもう一度走った。走るのなんてそうそう久しぶりだった。学校の持久走コース。きついなあと思った時ずっと小村の事考えていた。馬鹿だなあ俺。ホント何やってんだ。こんな早朝に自分の感情をはき出す為に走ってる。過去は過去でしかない。過去に未来は存在しない。私がどれほど過去を求めた所で何も変化させる事なんか出来る訳がない。
上がった息を押し殺して私は小屋を開ける。すると誰かいた。思わず言った。
「ケイ」
小村は目を見開いて私を見ていた。息も切れ切れに私は言った。
「何でここにいるんだよ。一次会のあと帰ったんじゃないのか?」
彼女は何も言わなかった。ただ彼女の脇に置いてあった箱は紛れもなくクラスのタイムカプセルだった。
「どういう事だよ」
私がそう聞くと彼女は目を伏せた。可能性は一つしかなかった。クラスのタイムカプセルは小村がどこかに隠していたという事だった。
「最低だな。他の人に悪いと思わなかったのか?」
しかし彼女は黙ったままだ。これ以上喋っても無駄だと思って、私はクラスのタイムカプセルを取ろうとした。すると彼女は震えながら言った。
「悪戯とかそんなんじゃなくて、どうしても見られたくなかったの……。」
「だったら自分のだけ取れば良かったじゃないか」
「だって、私が自分のを探している間に来ちゃうんだものどうしようも無かったの」
彼女は何故か涙を流していた。
「何で泣くんだよ。泣きたいのは俺の方だ。散々つまんない同窓会に付き合わされて学校まで三往復もしてるんだぞ?」
「申し訳ないって気持ちだけじゃない」
ボソリと彼女は言った。なんかこんな事前にもあったよ。たしか……そう。タイムカプセルをここにしまう時だ。
相談があるって呼ばれてここに来た。このなんか薄汚れた汚い小屋に呼ばれて葉山の事を聞かれたんだ。どんな奴だとか、仲がいいのかとか。 そして私はタイムカプセルに何と書いたのか思い出した。私はあの頃小村と付き合っていつか幸せな家庭を作りたいなんて馬鹿な事を本気で書いていた。そんな都合の悪い夢なんて忘れるのはあたりまえだ。
「私のタイムカプセル見られたらきっと馬鹿にされると思って……」
「そうか……」
曖昧な返事。私は彼女が読んでいた手紙は私のタイムカプセルなんじゃないかとヤキモキした。
「馬鹿だよね」
でもそれなら何故彼女が泣くのか判らない。彼女はやはり自分のタイムカプセルを読まれるのが嫌なのだろうと思う。
「いや、俺は昔自分の書いた事を覚えていなかったから何も思わなかったけど、もし自分の夢を思い出したらきっと隠していたと思う。あの頃の夢って純粋で恥ずかしいからね」
「そう思う?」
「ああ、思うよ。恥ずかしい記憶だけどでも純粋だって思うよ」
彼女は突然笑顔になった。
「タイムカプセルの事本当だった」
「タイムカプセルの事?」
私は聞き返す。しかし彼女は何も言わなかった。
「なんだよ勿体ぶって」
「じゃあ交換する?タイムカプセル」
そう言って彼女は手紙を差し出した。私のタイムカプセルには彼女への思いが綴ってある。とても彼女に渡せる訳がなかった。過去は何も生まないし過去は過去でしかない。
でも……。
もしかしたら過去は過ちを正す為の機会なのかもしれない。
「お前は本当にかわらねえなあ」
葉山に言われた言葉。あいつがそう言った意味には別の意味が含まれている気がした。あの時。タイムカプセルをこの小屋に入れる時、私は彼女から葉山から告白されたって事を聞いた。そうだった。今日葉山が言った事は嘘だったんだ。
葉山に対する怒りで目が滲む。でも自分も足りなかった。圧倒的に葉山にあって自分に無いもの。それは勇気だ。
修学旅行の時も、タイムカプセルを入れた時も私には自分の夢を信じる勇気が足りなかったんだ。
「葉山のタイムカプセルは見たか?」
私は心を落ち着けて言った。
「自分のしか見ていない」
「思い違いなのかもしれないけど、葉山のタイムカプセルを見たらきっと全て解ける気がするんだ」
彼女は眉を諫めたが次第に思い当たる節が蘇ってきたのだろう。また目を見開いて私をみた。
彼女の脇にあるタイムカプセルの中から葉山のタイムカプセルを取り出し、中の手紙を読んだ。
「もし医者にならなかったら絶対この先は読まない事」
葉山のタイムカプセルの出だしにはそう書かれていた。
「僕の夢は医者になる事。父が医者でずっとそれが夢だったし、人を助けるついでにたくさん金が欲しいって思ってた。ただ未来に残してる事が一つだけある。謝らなきゃいけない人が二人いる。ずっと僕はその事を後悔して生きていかなきゃならないのかな?わからない。ただもう二度と会う事はないだろうし、謝る事もないだろう。ただ何となくいつの間にか伝わってたらいいなあとか思う。」
私はそこまで読んで確信した。人を使う事が得意な奴だ。修学旅行での話を人づたえに伝えたのだろう。それ以上読む必要性を感じなくて、私はタイムカプセルを閉じ、一度目を閉じた。
目を開くともう朝焼けの光が倉庫に差していた。
私はタイムカプセルの中から何年も前の自分の手紙を取り出した。へたっくそな字だなあって私は思う。
そして開けないまま彼女の目を見て手渡した。彼女はそれに驚いたのか中々彼女の手紙を渡してくれない。
「苦い味は知ってるだろ?」
私は言う。
「嫌というほど」
彼女は言う。
彼女は伏せていた手紙を左手差し出し右手で私のタイムカプセルを取った。
彼女の夢はタイムカプセルを開けるとき私と一緒にいたいって事だった。
全然3枚じゃなくてすみません。そして毎日って言っておきながら毎日でなくてすみません。
構成を考えていくなかでどんどん長くなってしまい、書き直し考え直していっている間に時間が空いてしまいました。改めて申し訳ありません。そして最後までよんで頂きありがとうございました。