○●第1話 《北の監獄》初日です●○
拝啓、、、お父様、お元気でしょうか?
現在、私は《北の監獄》へと向かう馬車の中にいます。
格子のはめられた馬車の窓から外の様子を逐一窺っていますが、徐々に空が曇り、雪がチラついてきています。
肌を通して、段々と気温が下がってきているのがわかり、こうして手紙をしたためている今に至っては、ペンを持つ指先も震えるほどの寒さです。
馬車は断熱仕様ではないようなので、外の寒さが直で車内を襲っております。
このままでは手紙も書けなくなってしまうと思い、急遽ペンを取りました。
しかし本当に寒い……もう少し厚着をしてくれば良かったと思います。
馬車を引くお馬さんや、御者の代わりを務める兵士の方も大丈夫なのか心配になってきました。
お父様のことですから、馬や兵士の心配をする必要は無いと言うことでしょう。
お父様は、本当に自分が大切に思うもの以外には興味がありませんから。
ですが逆に言えば、それだけ私も、まだまだ心理的には他人を気遣うくらいの余裕はあるということです。
どうぞご心配なさらず。
あなたの娘アンリは、《北の監獄》でも逞しく生きてみせます。
そして、必ず自身の無実を証明し、罪を雪ぎ、あわよくば過酷な環境と言われているこの北国も開拓し、必ずメヌエット領へと帰って来ます。
では、お父様、またお手紙を送ります。
どうぞ、お健やかに。
××××××××××××
「……ふぅ」
《北の監獄》へと向かう、罪人を護送する馬車の中。
手紙を書き終わったアンリは、そこで文面を読み返しながら、ある懸念を覚えていた。
「そういえば……この手紙、果たしてお父様達に届けることはできるのかな?」
どんどん雪が積もり、空が曇り、過酷さを増していく風景が窓の外を流れていく。
そんな光景を見ながら、アンリは思った。
やがて――。
「到着しました、足元にお気をつけを」
馬車の扉が開けられ、アンリは外に出るよう指示される。
「あの」
と、アンリはここまで馬車を走らせてきた兵士に、手紙を見せる。
「メヌエット領にいる父に、手紙を届けていただくことは可能でしょうか?」
「……残念ながら、あなたからのいかなる要求も受けてはならないと、命令を授かっているので」
そう言って、兵士は苦悶の表情を浮かべる。
アンリは「そうでしたか……」と、項垂れる。
手紙を届ける手段は、自分で考えなくてはならないということだ。
「……正直に言いますと、私は、今回のアンリ様の追放には納得していません」
そこで、兵士が口を開いた。
「私は何度か魔獣討伐の任を授かり、メヌエット伯領の兵士達と戦場を共にしたことがあります。あなたの姿も、そこで数えるほどですが目にしました。他の、あなたを知る兵士達も口を揃えて言っております。あのアンリ様が、レオネス王子を誑かし、国を乗っ取ろうとしていたなどと、そんなはずがないと」
「……ありがとうございます」
本当にその通りなんですよ! ――と、心の中のアンリが叫んでいる。
正直に言いたいところではあるが、彼にも兵士としての立場というものがあるはずだ。
余計な事を言ったりして、困らせてはいけない。
「お心遣いありがとうございます。でも、お気になさらず。自分の無実は、自分で証明してみせますので」
そう言うと、彼は「アンリ様……」と、自身の不甲斐なさに打ちひしがれるような、辛そうな声を漏らし、「くっ!」と軍服の袖で目元を拭う。
「さて……」
アンリは改めて、目前に広がった光景を見渡す。
「うわぁ……」
そして、心からの嘆息を漏らした。
見回す限り、雪、雪、雪。
遠くの山も、岩肌が見えないくらい雪に覆われ、森とも呼べぬほど葉を失った木々が乱立する場所が見える。
「ここが……《北の監獄》」
――ルークレイシアの北西、ローレライ領。
そこを更に北上していくと、雪と氷に閉ざされた豪雪地帯が現れる。
かつて、ルークレイシアの豊かな資源を狙い攻めてきた小国を返り討ちにし、手にした土地である。
そして今、アンリが送り届けられたこここそ、そんなローレライ領の中でも《北の監獄》と呼ばれるほぼ未開の土地だ。
この領土を手にした当時から、ほとんど人が住み着いていなかった場所。
原住民も嫌うほどの過酷な土地だったということだ。
一時、ルークレイシアから開拓のために人が移住を試みたが、慣れない風土と異常な気象のせいもあり断念。
以降、この土地は《北の監獄》と呼ばれ、放置されることになったのだ。
アンリは罪を償う為、今宵、ここに追放されるのである。
――この土地を開拓し、豊富な資源を生み出し、見事人が住める土地にしたなら、王子を操ろうとしたという罪も無罪にすると伝えられた。
無論、そんなの無理だとわかって言っているのだろう。
魂胆が見え見えだ。
目的は単純に、無理難題を示し、生き地獄を味わわせること。
あのハボット家が提案したに違いないと、即わかる。
「では、アンリ様……どうか、どうかご無事で」
「はい、あなたもお元気で」
頭を垂れ、兵士は馬車と共に元来た道を帰って行く。
ここから戻るのか、彼も大変だなぁ……と、見送りながら思うアンリ。
さて、いつまでも人の心配ばかりしていられない。
改めて、アンリは目前に広がる光景を見渡す。
「……うん、困った。まず、何をすればいいのかわからないや」
近くに村や生活区域……そもそも、ここで生活している人間がいるのだろうか。
というより、まずは食料の確保が優先?
いや、時間帯的には夕方のはず。
雨風を凌げて、寝ることのできる場所を探さないと……。
頭をフル回転させ、考えるアンリ。
ふと気が付くと、どんどん雲行きが悪くなっていく。
さっきまでチラチラと舞っていただけの粉雪が、徐々に勢いを増し……。
「え、えええ!? 猛吹雪ですけど!?」
あっという間に大嵐。
降り注ぐ雪が風に乗って吹き荒れ、目の前が真っ白に染められる。
何も見えない。
正に、猛吹雪である。
「や、やっぱりもっと厚着をしてくれば良かった……」
許される限り寒さを凌げる格好をしてきたつもりだったが、全然レベルが違う。
風と雪が視覚を奪い、寒さに身動きが封じられる。
「流石は、《北の監獄》……」
いつまでも感心している場合では無い。
アンリは懸命に足を動かし、前へと進む。
今日は、村や人を探している余裕はない。
まずはともかく、嵐を凌げる場所を……そう考えながら歩いていると。
「……あれ?」
目前に岩山を発見する。
いつの間にか、辿り着いていたようだ。
更に、洞穴と思しき横穴が眼前にある。
「しめた、あそこに……」
アンリは、発見した洞穴へと逃げ込んだ。
「ふぅ……」
ひとまず、雪と冷風に顔を打たれ、目も開けられないという状況は回避できたようだ。
「良かった、こんなところに洞窟があって」
体に積もった雪を払いつつ、アンリは洞穴の奥を見る。
「……こういう場所って、奥に熊とかがいる可能性があるって、物の本で読んだことがあるなぁ」
警戒し、いつでも《隷属》魔法を使って抵抗できるよう構えながら、アンリは極力体温の低下を抑えるよう、丸まって横になった。
「うう……」
ビュービューと吹き荒ぶ風の音が、洞窟の中にも反響している。
耳を押さえながら蹲るアンリ。
単純にうるさいというのもあるが、それ以上に――。
「寒い……」
ともかく寒い。
寒すぎて、耳が痛い。
これではいくら動きを最小限に抑えていても、体温の低下を止められない。
「う、うう……どうすれば……どうしよう」
アンリ自身、魔獣討伐のプロフェッショナルを輩出してきたメヌエット家の血族だ。
幼い頃より、戦場にも出ている。
命を脅かすような危機が降りかかって来ても、簡単に諦めるような軟弱な精神はしていない。
しかし、考えても考えても、この状況を打開する術が思い付かないのである。
代わりに、頭の中にネガティブな思考が渦巻き始める。
過酷な環境……ほぼ未開の土地に追放……初日から吹雪。
最悪だ。
どうしてこんな事に……。
かつてない危機に直面し、流石のアンリ・メヌエットも心が折れてしまったか……。
しかし、そこでアンリの頭の中に浮かんだのは、家族であるメヌエット家の皆の顔だった。
「お父様、大兄様、中兄様……」
いつも自分を過剰なほど気に掛けてくれる、父や兄弟達の温かい笑顔。
「お母様……」
若くしてこの世を去ったが、アンリに力と誇りを引き継いでくれた、母の姿。
「……レオネス」
そして、レオネスやハボット伯、ローズリンデの勝ち誇った顔。
「……うにゃああああああああああ! こんなところで、へこたれてたまるかぁ!」
瞬間、大声を発して、アンリは飛び起きる。
帰ると誓ったのだ、また家族に会うために。
それに、自分を陥れた者達がヘラヘラと嘲笑を浮かべながら偉そうに生きているというのに、泣き寝入りしてなんていられない。
「やってやろうじゃないの!」
あらゆる不安や絶望を吹っ切るように、アンリは意気地を奮い立たせる。
「……うー、さむさむさむさむ」
……が、それはそれとして、寒いは寒い。
まずは、この寒さをどうにかしたい。
「今の自分にできること、できること……そうだ!」
そこで、思い付いた。
アンリは魔法を発動――指先から伸ばした白銀の光の線を、自身の体に纏わせる。
そう、自分自身に《隷属》を掛けたのだ。
そして、魔獣討伐の際に仲間の兵士達を強化する時と同じ要領で、自分にもバフ(強化)をかける。
「……お、おお!」
すると、突き刺さるようだった寒さが、軽減された。
体を包み込むように、暖かさが生まれてくる。
アンリの《隷属》によるパワーアップは、筋力を強化するだけじゃなく、防御にも使える。
だから応用できないかと思ったが、正解だった。
これである程度、寒さから身を守ることができる。
「……大丈夫」
自分には力がある。
培ってきた経験も、折れない心も、魂も、ちゃんとこの過酷な環境に抵抗できる力となってくれる。
自分は一人でも生きていける。
こんなところで、折れたりしない!
「よぉし!」
アンリは洞窟の入り口に仁王立ちする。
そして、早くも日が沈み真っ暗になった夜空に。
豪雪と突風が吹き荒れる《北の監獄》に向かって、元気よく叫ぶ。
「私は絶対に負けない! 生きて、またお父様やみんなに再会するんだ! 待ってて、お父様、大兄様、中兄様、メヌエット領のみんな! こんな程度の苦難に、アンリ・メヌエットは負けたりしないから! 生きて、また、笑顔でみんなに会いに行くから!」
そう叫んだ後、ふぅ、と額の汗を拭う。
大声で叫んだら、体がポカポカしてきた。
アンリは洞窟の中に戻って横になる。
明日に備えて、体力を回復しないと。
そして心の中で今一度、この《北の監獄》を逞しく開拓することを決意しながら、いつ獣が現れても対処できるよう意識も保ちつつ、浅い眠りの中に自我を投じたのだった――。
××××××××××××
――翌日。
「おおー、昨日の悪天候が嘘みたいだね」
洞窟の外へと出たアンリが空を見上げると、見事に晴れ渡っていた。
日の光が照らす、綺麗な青空。
まるで、今のアンリの心の模様を表現しているかのようだった。
「……よし! とりあえず、ますは何か食料を……」
洞窟で横になっていたため、カチカチになった体をほぐしつつ、アンリは早速行動を開始しようとする。
そこで。
「……ん?」
どこからか、何やら声が聞こえる。
「なんだろう……人、じゃないよね」
人の声では無い。
何か、動物の鳴き声のような……。
その音源を探すように、アンリは雪に覆われて雪原となった風景の中を見渡す。
「あ!」
すると、何かが雪景色の中を走っているのがわかる。
かなり大きな体をした生き物だ。
四足歩行の体。
雪よりも若干灰色に近い体毛。
丸い体に、牙を剥いた凶暴そうな頭部。
「……うそ、あれってシロクマ?」
一度、王都の動物園で見たことがある。
あれは雪国に暮らす熊――シロクマだ。
そのシロクマが、何かを追い掛けている。
「何を追い掛けてるんだろう?」
よく目を凝らすと、小さなふわふわした鳥のような生き物の群れを発見。
十匹ほどのその生き物達が、悲鳴のような鳴き声を上げながら、必死にシロクマから逃げている。
あの生き物も、王都の動物園で見たことがある。
かなり可愛らしく、子供や女性から人気を集めていた生き物で……。
そう、確か……。
「……ペンギン?」
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