○●幕間2 アンリが去った後のルークレイシアでは……●○
《北の監獄》にて、激動の日々に一喜一憂しながら、健やかに生きるアンリ。
その一方。
アンリが婚約破棄を言い渡され、更に《北の監獄》へと追放となった後の、ルークレイシア国本土。
メヌエット伯領。
ハボット家。
王子の新たな婚約者ローズリンデ。
そして、レオネス王子。
アンリがいなくなった事により、彼等の周囲には様々な変化と問題が発生していた――。
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「くそう、ハボットめ……」
メヌエット伯領。
この土地を治める貴族、メヌエット伯爵家の屋敷の敷地内で、現当主――つまり、アンリの父ガルーダは歯噛みしている。
彼の手には、一枚の書状。
それは、レオネス第一王子の権限により、メヌエット家の兵の領外への出兵を禁ずるという通告書だった。
わかりやすく、ハボット家の嫌がらせだ。
アンリの一件を利用し、メヌエット家の人間や領内の兵士達を罰する大義名分を手に入れたのだ。
レオネス王子の命令によって、彼等は自領から出ることを禁じられてしまった。
自領内で起こった問題や、領地に襲来する魔獣を倒すことはできるが、国内で起こった魔獣騒動の鎮圧には参加できないということである。
「まったく、好き勝手やってくれおって!」
「くそっ! 父上! こうなれば王都に向かい、レオネス王子に直接談判をするしかない!」
屋敷の敷地内に集結した、メヌエット領の兵士達。
その兵士達の先頭に立つメヌエット家長兄バルトールが、父ガルーダへと進言する。
するとそれに呼応するように、居並ぶ兵士達も「そうだそうだ!」「こんな横暴が許されるか!」と声を上げ始めた。
「落ち着いてくれ、兄上も皆も」
そんな暴走寸前のバルトール達を諫めたのは、メヌエット家の次男レーシェ。
「現状、我々にはどうすることもできない。それよりも、今はまず何よりも確認しなくてはならないことがある」
レーシェは、父ガルーダに向き直る。
「父上、アンリの安否は?」
「……わからん。アンリは便りを寄越すと言っていたが、一向に届く気配も無い。そもそも、あの《北の監獄》に丸腰の身で追放され、過酷な環境での生活を強いられている現状、ちゃんと日々を過ごすことができているのか……」
そのガルーダの言葉を聞き、兵士達の間からも悲しみの声が漏れ出す。
「アンリ様のご無事を早く知りたい……」
「領から出ることを禁じられては、密かに助けに行くこともできないし……」
「アンリ様……お労しや。代われるものなら代わりたい」
「領民達の間からも、アンリ様の早急な救出を求める声が上がっています」
「うちの小僧も、よくアンリ様に遊んでもらっていて、また会う約束をしたばかりだったのに……」
「うちの娘もだ! 次の誕生日にはアンリ様をご招待する予定でな! アンリ様が、お手製の誕生日ケーキを持参して来るとおっしゃられていたんだ!」
「なんだと!?」
「羨ましすぎる!」
「アンリ様の作ったケーキ、食べたいよぉぉぉぉ!」
メヌエット家の家族はもちろん、アンリは自領の民や兵士達からも愛されている。
それゆえ、今回の彼女の処遇に対するメヌエット伯領の者達の悲しみは、計り知れないものとなっていた。
兵士達の慟哭を聞き、バルトールもレーシェも、苦悶の表情となる。
「アンリ……」
ガルーダも、自身の無力を嘆き、空を仰ぐばかりだった。
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その頃――王都にあるハボット伯の屋敷では。
「くくくっ……そうかそうか。メヌエット家の当主は、哀れな娘と自身の不遇を嘆き、泣き喚いているか」
密告されたメヌエット伯領の様子を聞き、ハボット家当主は、その顔に下卑た笑みを湛えていた。
「ふふふ、お父様ったら……そんなお顔、絶対にレオネス様や他の王族の皆様の前では見せないでくださいな」
そんな父親の姿を見て、彼女の娘、ローズリンデも似たような笑みを浮かべる。
深紅のドレスを纏い、優雅に扇で口元を覆いながら。
しかし、喜悦の色彩を半月状に歪めた双眸にしっかり宿している。
「ああ、それにしても、本当に胸がすっとしましたわ。あの小娘、今頃《北の監獄》で震え上がっているのでしょうね」
「いや、もしかしたらもう既に熊にでも食われてるんじゃないか」
そう言い合い、ハボットとローズリンデは再び哄笑を発する。
ローズリンデは、以前からアンリが気に食わなかった。
自領にいても、王都にいても、彼女の噂を良く耳にし、しかも評判も良かった。
女の身でありながら、魔獣討伐などという野蛮な行為に嬉々として参加し、兵士達に愛想を振り撒き、皆からちやほやされていたのが気に食わなかった。
どうせ、戦場でも大して役に立ってもいないくせに、愛嬌と媚びを売って人気取りをしていたに違いない。
ローズリンデはアンリの存在が鼻につき、王侯貴族の会する場所では取り巻き達と一緒に聞こえるように誹謗したりもした。
しかし、アンリは何を言ってもどこ吹く風という感じに無視を決め込んでいた。
気にしていないのか、歯牙にも掛けていないのか、ともかくそんな態度が益々苛立ちを増幅させた。
いい気味だ、と純粋に思う。
可哀想などとは微塵も思わない。
もし生きていたとしても、ゲッソリと、以前のような美貌もオーラも見る影も無く失っているに違いない。
ハボット伯の屋敷の中に、二人の笑い声が木霊する。
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同じく王都、その中心――王城。
執務室。
第一王子レオネスは、今日も床に伏せている現王の代わりに執務を執り行っている。
豪奢な椅子に腰掛け、テーブルの上に積まれた書類の束に目を通していた。
「……ふっ」
不意に、口元が綻ぶ。
……不思議な気分だ。
ここ最近、レオネスは自身の心理状態が以前とは変わっている事に気付いていた。
心の中がスッとしている。
原因は明確――アンリが自分の近くからいなくなった事だ。
以前までだったら、ことある毎に彼女の声や姿が頭を掠め、まともな思考もできなかった。
やはり、あの女の存在は自分にとっては害だった――ということか。
……ただ。
少し、違和感も覚える。
これは本当に、心がスッとしたという感覚なのだろうか?
むしろ、ぽっかりと穴が空いたような感覚に近い。
「……いや、それだけ厄介な病のように蝕まれていたということだ」
この空虚な感覚は、むしろ余計な雑念が消え、風通しが良くなったとも考えられる。
王に感情は不要。
常に適正な判断をしなくてはならない。
自分の心を動揺させ脅かす存在――アンリは、排除して正解だったのだ。
「王子――失礼いたします」
そう考えるレオネスの元に、王城に務める臣下の者がやってくる。
「国内各地で発生している魔獣騒動に関して、ご報告が」
「……良い報告なのだろうな」
問うと、その臣下の者は苦い表情で言い淀んだ。
またか……と、レオネスは苛立ちを覚える。
ここ最近、国内の各所で発生している魔獣騒動に関し、各地で苦戦を強いられ、鎮圧が遅れているという報告が増加しているのだ。
――魔獣。
ルークレイシアの各地で突発的に発生する、自然災害のようなもの。
この世の森羅万象、大気から一部の人間の中にまで、どこにでも存在する力――魔力。
この魔力の吹き溜まりから発生する、生き物を象った姿をする生き物ではない凶悪な存在、それが魔獣である。
魔獣は手当たり次第に生物を襲い、破壊を繰り返す習性を持ち、人間にとって害悪以外の何物でも無い。
「何故だ。昨年までと発生率は変わっていないはずだ。兵士達の実力が落ちたか……最近、たるんでいるのではないか?」
「……恐れながら申し上げます。メヌエット伯領の魔獣討伐を得意とする者達が、先日のアンリ様……いえ、失礼しました、アンリ・メヌエットの一件もあり討伐へ参加できていないことが要因の一つかと」
「ちっ……」
レオネスは苛立ち混じりの舌打ちを発する。
自分の娘がレオネスの婚約者となったということで、貴族のハボットが、以前より敵視していたメヌエット家に嫌がらせをしているのだ。
レオネスの名を借り、メヌエット領の者達を自領から出さないようにしているのは知っている。
小賢しく器の小さい男だ。
「王都の軍からも兵士を募り各地の戦場に参加させろ。以上だ」
「本当に……よろしいのでしょうか」
そこで、報告を伝えに来た臣下の者が呟く。
「魔獣討伐に参加している兵士達の間からは『何故メヌエット伯領の者達は来られないのか』『頼りになるのに』『アンリ様がいれば』という声が上がっていると報告が……」
「……私の判断が不服か?」
威圧すると、家臣は萎縮し声を失う。
これだ。
王とは孤高の存在。
容易く理解されるような者ではいけない。
そこで一度溜息を吐き、レオネスは彼に尋ねる。
「……そこまで、アンリが必要なのか」
「あ、あくまでも報告されている兵士達の声ですが『アンリ様が戦場に来るだけで雰囲気が変わる』『強力な魔法が心強い』『それだけでなく、気配り上手で、皆のことをよく見ている』『いるだけで士気が高まる』と言われています」
「……貴様も、随分詳しいな」
「ええ、実は何を隠そう私もアンリ様のファン……いえ、失礼しました、あくまでも収集した意見をご報告したまでで……」
「……アンリ」
まだ私に纏わり付くのか……。
「ならば、私が前線に立とう」
そこでレオネス発した言葉に、家臣が目を丸める。
第一王子たるレオネスが戦地に赴くなど、言語道断である。
「そ、そんな、レオネス王子、何をおっしゃって……」
「私が戦場に立ち指揮を執れば、兵士達の士気も上がるだろう」
レオネスはそう言って聞かない。
――アンリの亡霊を振り払うため。
その妄執が、レオネスに決断をさせたのだった。
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