表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

猫のしっぽ、絵を描く隣人

作者: ネクロ眼鏡

 昨夜、街灯もない住宅街の坂道で、暗闇を歩く猫を見た。


 そいつは図体はでかいが痩せっぱちで、全身の毛は汚れで固まっているようだった。いかにも野良猫といった出で立ちだ。性別を確かめちゃいないが、何となくオスだと思った。


 奴はすれ違う俺の自転車には見向きもせず、のっしのっしと坂を下って行った。その尻尾は、だらりと下げられていたのを覚えている。


 なぜ今こんなことを思い出したのかといえば、二条の絵が目に留まったからだ。隣の席の彼女は、今まさに猫を描いていた。


 スケッチブックの上に、鉛筆で描かれたとは思えない実に写実的な白猫の横姿がある。前足後ろ足は流れるようにしなやかで、今にも動き出しそうだ。昨日の野良を思い出しながら、俺はこちらはメスだと思った。


 記憶の猫と紙の上の猫を比べながら、俺はある点が気になった。尻尾だ。紙の上で歩く猫のしっぽは、ぴんと立っている。


「……何?」


 どうやら長く覗き過ぎたらしい。怪訝そうに二条が俺に聞いてきた。

 人目をはばかった彼女の声は小さく低い。薄っすらと敵意を帯びた視線がじくじくと俺に刺さる。だが、特に戸惑いはしなかった。普段の彼女を考えれば、普通に睨まれる状況だからだ。特に親しい間柄でもないが、クラスメイトとして過ごしてみて何となく分かる。彼女は特に友情を必要としないタイプの人間だ。


 物静かな威圧感を正面から感じながら、俺は絵を見て思ったことを口にした。


「二条、お前ん家猫飼ってるだろ」


 二条の目が大きく開き、白かった頬がほんのりと赤みがかる。どうやら当たりみたいだ。


「どうして分かったの?」


 赤い頬のままで二条が睨みつけてくる。迫力はさっきの方が数段上だ。今はなんというか、取り繕うような感じになっている。


「いや、だって尻尾立ってるから」


 昨日見た野良猫の話は彼女にはしない。だが、俺が何を考えて猫を飼っていると思ったかは二条に伝わったみたいだ。


 二条は俺の席の前、ともいえないあらぬ方向を向いたまま固まってしまった。顔を赤くして、口をつぐんだまま微かに震えている。今にも怒り出しそうであり、けれども同時にいきなり机に突っ伏しそうでもある。要するに、かなり恥ずかしそうだ。


 別に普段からよくしっぽを立てた猫を見ているのだろうと思っただけなのだが。口にすれば本当にキレられそうだ。


 二条が隣でバレない程度の深呼吸をしている。まあ、俺に見えているのだが。


 視線に気づいた二条は、また俺をキッと睨んだ。普段の彼女からは想像もできないむき出しの敵意だ。感情を隠さない二条の姿は、いつもよりもどこか幼く見える。だが、いつもよりずっと取っつきやすいと思った。


 人には意外な一面があるもんだ。


 そんなことを考えながら、俺は二条に追い払われるように前を向く。


 その後、誘惑に負けて横を向こうとしたら、激怒した二条の視線に出迎えられた。まずい。完全に警戒されていたようだ。俺は素知らぬ顔で前へ直る。


 そして、今度は悟られぬようにゆっくりと視線を二条の机に持っていく。だが、スケッチブックを確かめようとしたまさにその瞬間、彼女の手が猫を覆った。視線を上げれば、無言の二条が目だけで烈火のごとく怒っている。


 まずいことをした。分かっていながら俺は思わず吹き出しそうになる。なったが、必死に堪えた。駄目だ、こいつは面白い。


 別にからかいたい訳ではないのだ。ただこの時間の一連の行動、表情を目の当たりにして、案外話せるような相手な気がした。ただの勘だが思考にも共通点があると思う。


 しかし、現状ではとても話せるまでの状況に持っていけそうもなかった。面白い相手に、最悪の出会い方をしてしまったと思う。


 何か打開の手立てはないものか。やはりしつこく絡むのは逆効果だろう。分かっている。分かってはいるが、二条の席は気になるのだ。


 今度は顔を動かさず、そっと視線だけを送ってみる。すると、また横目の二条と目があった。視線がぶつかり合い、バチバチと音を立てている気がする……。いや、視線に敏感過ぎないか……?


 だが、顔を向けたときほどの拒絶ではなさそうだ。とりあえず、この辺から距離を探ってみるべきだろうか。


 判断に自信を得られない俺を置いて、授業時間は淡々と進んでゆく。結局、俺は美術の時間中悶々としたまま視線を二条と戦わせ続けた。


「これ」


 試合終了のチャイムを聞いた直後だ。二条から小さなメモ帳を手渡された。正確な文字で「放課後、南校舎四階、東端」と記されている。廊下なら空き教室の前辺りだ。


 「来い」ということだろうか。もしかすると果たし状かも知れない。まあ、そんなことはないだろうが。

 漠然と二条がどんなやつかはっきりする予感はあった。


 淡々とつまらない話ができればいい。


 勝手な欲望のままに願ってみる。まあ、人なんて往々にして想像や願望どおりではないものなのだが。今日のやり取りからして嫌われている可能性も十分に考えられる。いや、客観的に考えれば嫌われた可能性の方が高いはずだ。それでも、期待する自分を捨てきれない。


 身の内に正反対の自分の存在を同時に感じながら、俺は白紙のままのスケッチブックブックを閉じた。

ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ