ビフォー・セカンドライフ~転生するその前に~
目を開けると、辺り一面白の世界だった。
靄でもかかっているのだろうか?あまりの白さに、自分が目を開けているかどうか分からなくなるくらいだ。
体が浮いているようで、自分が起きているのか、寝ているのかも分からない。
分からないことだらけだ。今は何日?何時?そもそもここはどこ?自分・・・自分って何?何?なに?
「落ち着いてください」
女性の声が聞こえる。凛と心に響く声で、耳にするだけで心が落ち着く。
「落ち着きましたね。良かった」
心配してくれたようだ。なんか申し訳なく思う。
「いえいえ、お気になさらずに」
気にしていなかったが、思わず声にしていたようだ。
「さて、あなたは誰ですか?お名前を教えてください」
僕の名前?名前って・・・えっと・・・
「私と今、話しているあなたの名前です。フルネームでお願いします」
フルネーム・・・えと、そんな目立たない名前だったような・・・
「きっかけがあればすぐに思い出せます。例えば学校の授業中。例えば体育祭」
運動神経は母親の胎内に置いてきたような能力だったから、体育祭にいい思い出はなかったな。
「それは嫌なことを思い出させて、申し訳ありません」
また声が外に出ていたようだ。いや、それについてはどうってことないです。そうだ、体育の時、バレーのサーブが入らずに苦労したな。
「はい」
順番は真ん中の方で、前の高橋にボヤいていたっけ。
「五十音順ですかね」
そうそう、高橋の次だから「たか」・・・「たさ」・・・「たた」・・・「たな」・・・?たな・・・か?たなか?田中!名字は田中だ!
「田中さん、下の名前もお願いします」
ここまでくれば大丈夫!イニシャルが同じなのは覚えている。T.Tでたけし!健康の健で健だ!田中健…ああ、もう何年も口にしていたのに、なんで思い出せなかったんだろう。
「意外と自分の名前って口にしませんからね」
それもそうですね。
「では田中さん、あなたはお幾つですか?」
根掘り葉掘りってやつですか。
「はい、あなたのことを知っておきたいので」
まあこんな美人(姿は見てないが、絶対に美人と断言できる)に言われて、嫌とは言えないですよ。えと・・・まだ人間ドックのお知らせは無かったけど、そろそろお腹周りが気になる年頃。四捨五入はぎりぎりセーフだったから、7月で34になったばかり。
「田中さんは34歳、ということですね」
はい、そうです。他に聞きたいことはあります?
「いえ、もう大丈夫です。そろそろこちらでお話ししませんか?」
こっちって・・・どっちですか?こう視界が悪いと、右も左も分からないので、どう進めばいいやら・・・
「そのまま真正面で構いません。ゆっくり、ゆっくりとお進みください」
右、左と脚を進めた。今まで立っていた感覚も無かったが、この瞬間は確かに歩いている感覚があった。10歩ほど歩みを進めると、扉が見えてきた。重厚で高級そうな木製の扉には金色で金属製のドアノブがあり、手を伸ばしてドアノブを回すと重々しそうな扉は意外なほど軽く、次の世界に僕を誘った。
扉の先も基本的には白一色だったが、目の前には長テーブルと簡素な丸椅子があり、正面に“彼女”が立っていた。
“彼女”が声の主の姿と言うことは何故か疑う余地がなかった。
すらりと腰まで伸びた黒髪に、ゆったりとした白のローブに身を包みながら密かに主張するスタイルの良さ。目鼻立ちはパッチリしながら端整な顔立ち。十人中九人が彼女のことをこう形容するだろう。“女神”と。
僕が彼女を見つめると同様に、彼女もこちらを頭のてっぺんから足の先まで何往復かこっちを見ていた。
「「なるほど、こういう姿なわけですね」」
2人の言葉が揃った。もしかして僕の姿が見えてなかった?ちょっと気になったので当たり障りなく聞き直してみると、彼女はこう答えた。
「いえ、お気にならさずに。こちらのことです。よくここまでいらっしゃいました」
「いえ、こんな右も左も分からないところから導いてくれて、僕の方こそ感謝です。で、ここは何処なんですか?」
「その前に飲み物はどうですか?美味しいコーヒーを用意しますよ」
いつの間にか彼女の横にはサイフォンがあり、フラスコに溜まっていく黒い液体を神妙な赴きで見ていた。
ミルクやシロップは?の問いにはノーで答え、コーヒーの注がれたカップを慎重に鼻に近づける。コーヒーの香ばしい香りが僕の心を落ち着かせていく。口にすると酸っぱさも苦さもほどほどで、自分の好きな味だと思った。
「とても美味しいです」
「それは良かったです」
率直な感想を述べると、彼女は穏やかな笑みを浮かべて喜んだ。
「さて、落ち着いたところでお話ししましょう」
先ほどの笑みを絶やさず、穏やかな表情のまま彼女は話し始めた。
「ここはステュィクス、三途の川・・・色々な言い方がありますが、生と死の間の世界です」
「・・・へ?」
あまりに予想していない答えだったので、すっとんきょうな声が思わず出てしまった。
「ちょっと分かりづらいですよね。「死んだことを受け入れる」、あの世までの準備部屋のようなものです」
「は、はあ・・・あなたは・・・」
「はい、女神と言うより死神、と言った方が適切かもしれませんね」
彼女・・・死神は穏やかな笑みのまま、優しい口調で語りかけた。
「ともかく、僕は死んだってことですね」
「そのとおりです。理解が早くて助かります」
「全くもって実感はありませんが・・・」
「そうです、突然の”死”は本人に自覚する間を与えません。それが特に事故だったりすると」
「では僕の死因は・・・」
ゴクリとつばを飲む音が周りにも聞こえるようだった。彼女(こっちの方がしっくりくる)が口を開くまでの間が悠久のように、刹那のように感じた。
「ここ数日の激務が続いていたあなたは、疲れからか、不幸にも黒塗りの高級車に追突・・・」
「したんですか!?」
「いえ、追突しそうになったところをすんでの所で交わし、「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と運転手に怒鳴られて精神的に凹み、下を向いて歩いていたところ・・・隕石が直撃して死亡です」
「前のくだり、全く関係ないですよね・・・」
「周囲100メートルが消滅しました」
そりゃ自覚はないわけだ。運がいいんだか悪いんだか分からないけど、ここに連れてこられる理由は何となく分かった。
「さて、どうしましょう?」
「どう、とは・・・」
「何もしないわけにはいきません。私も仕事なので」
彼女は事務的というより、穏やかな微笑みを浮かべたままそう僕に告げた。急かされると拒否したくなるが、こうフワッと自然に言われると、何かしなくちゃいけない気がする。多分有能な死神なんだろう。
「みんなは何をしているんですか?」
「一番手っ取り早いのは、あなたのいなくなった世界を実際に見ることですね」
なるほど。それが一番早いかもしれない。正直、今どうなっているか、純粋に興味がある。
「じゃあお願いします。まずは・・・」
と言って、正直困った。どこへ行けばいいか検討がつかない。困っていることが伝わったのか、彼女が助け船を出してくれた。
「こういう時、最初に行くのは職場ですね。社会と繋がっている時間が一番長い場所ですし」
さすが手慣れている。有能なガイドさんにお任せすることにしよう。
「それではお願いします」
「はい。では、行きますよ」
落下している感覚を感じたと思ったら、周囲が最初のように真っ白な世界になっていた。
しばらく落下すると不意に視界が開け、ネットでよく見た街が眼下に広がった。それをズームするように、何段階かズンズンっと下りていく。スマホでワイプしているような感覚だ。
程なくして、見慣れた職場に辿り着いた。机のノートパソコンは閉じられ、その上には書類が丘となって積まれていた。
パソコンの周りにはガン○ムのフィギュアを置いていたはずだが、幾つかを除いてそのまま残っていた。正直、きれいさっぱり片付けられていたらどうしようかと思っていた。これならいつでも帰ってこられそうだ。
落ち着いて周りの机も見ると・・・
「あ、小谷野の野郎、勝手に俺のコレクションに手を付けやがって」
仲は悪くなかったが、そんなに会話したことのない小谷野の机の上に、無くなっていた自分のフィギュアがちゃっかりと置かれていた。
「あいつ興味あったんだ。もっと話しておけば良かったな・・・」
今すぐ声を掛ければ、話に花が咲くかな、なんて思った矢先に自分の机の電話が鳴った。同僚の増田さんがその電話を取った。
「はい!増田です。田中ですか?田中は・・・田中は先日、亡くなりまして・・・」
増田さんは僕への電話と分かり数段階トーンが落ちたが、その後は丁寧に電話に応対していた。分かってはいたことだが、「亡くなった」ということをいざ言葉にされると、少なからずショックを受ける。
時間はかかったが電話を無事に終えて、増田さんが上司の久保田さんに話しかける。
「一時期はどうなるかと思いましたけど」
久保田さんが目の前のパソコンから目を離さずに答える。
「まあ何とかなるものだな」
サラリーマンなんて会社の歯車でしかない、とはよく言うけど、本当にそうなんだと実感する。休みだって、異動だって、退職だって・・・死んだって、いなくなることには変わりない。自分だって職場の繋がりしかなく、その後どうなったか知らない人は何人もいる。
無くなった歯車をみんなできちんとカバーしている光景を見て、一抹の寂しさと共に仲間を誇りに思えた。
腑に落ちたようなこちらの空気を読み取ったか、彼女が僕に話しかける。
「もうよろしいですか?」
「みんな元気そうなことは分かりましたし、ちょっと迷惑を掛けているけど、それは先に逝った人の特権かなと」
「そうですね。では、次の場所に行きますね」
彼女は僕の軽口をふふっと笑って受け止めて、次の場所へと誘った。
次に訪れた場所は、自分の住んでいたマンションだった。
マンションと言えば聞こえがいいが、20㎡程度のワンルームで、一人でどうにか暮らしていける広さだ。
そんな自分の住み処を両親が片付けていた。
両親が自分の部屋に来るのは、引っ越しの時以来だろうか。もう八割がたは片付いていて、久しく見ていない、日焼けしていないきれいな床が覗いていた。
母親が荷物をダンボールに入れ、父親がダンボールを外に運び出す役割のようだ。
てきぱきと動いていたが、手をふと休めて、母親がはあと大きな溜め息をつく。
「・・・なんで・・・」
お、これは泣くパターンかな?と思っていたら・・・
「なんでこんなに荷物が多いのよ・・・」
息子に対する単なる愚痴だった。オタク趣味だと荷物は多くなるものなんです!
それにしても、もう少し片付けておいても良かったかな・・・読まない本とか床に積んだままだったしな。
ラックに置いていたパソコンは既に無くなっていた。業者に引き取ってもらったか、粗大ゴミで出したか。ハードディスクの初期化とか、未だに年賀状を印刷するために息子を呼ぶくらいOA機器に明るくない両親のことだから、期待しない方がいいだろうな。けど気になる・・・
両親の共同作業はテキパキと進んだ。母が最後のダンボールの上蓋を閉じ、けじめを付けるようにぽんと上から体重を掛ける。
その姿勢のまま固まってしまった。
「・・・んで・・・」
押し出すように声を出す。
「・・・なんで、なんで先に行っちゃうの・・・ううっ・・・」
母の嗚咽が狭い部屋を満たすのに、さほど時間はかからなかった。
ダンボールを受け取りにきた父親が背中をさそり、優しく母親を慰める。よく見ると2人とも白髪が目立つようになっていた。ちょっとやつれたようにも見える。母も父もこんなに歳を取っていたっけ。こんな悲しい光景はこれ以上見たくない。
「もうよろしいですか?」
彼女も分かっているだろうに、こちらに確認を取ってくる。
「はい、もう、大丈夫、です」
返す言葉に喉が詰まる。彼女は何も言わず、次の場所に移動した。後悔とも哀しみとも少し違う感情が、自分の腹の底に黒々と留まっているようだった。
次の場所は、元の白いカフェ、つまり“準備部屋”だった。
「・・・ここ?」
拍子抜けする僕に彼女が答える。
「はい、移動することではなく、認めさせることが目的なので。ちょっと一息つこうと思ったこともありますが」
と、彼女の手元にはタブレットがあった。
「あなたの繋がっているネットの世界を見てもらおうかと思いまして」
会社に家族に、最後にネットか。確かに自分の繋がっている世界といったら、それくらいかもしれない。
「ちゃんとあなたのアカウント、裏アカウントまで網羅していますよ。あなたが気になるアカウントはリスト化していますし、あなたがブロックされているものも把握してます」
はい、何から何まで優秀ですね。最後のはあまり知りたくない情報ですが。
「ではどうぞ、<背脂の錬金術師>さん」
「・・・」
まずは淡々と自分のアカウントをいつもどおり見ることにした。政治ネタからアニメやゲームの新着情報、診断メーカーの結果や飯テロ、ネコの画像まで、今日も雑多な情報で溢れている。今日も平和だ。
自分が死んだと言われる数日前から、みんなの発言をつらつらと追っていくと、いつも実況してる番組のハッシュタグの時間帯になった。
脊髄反射的にやたらと発言する<にゃんにゃんおー>さん、ハッシュタグはあまり付けないが一言が重い<豚肉ソーセージ>さん、ひたすら斜に構えている<山恵丼>さんなどいつもの面々だ。
その中に自分だけいない。僕は元々SNSでの発言は多くないが、無視されているようで寂しい。
と、<豚肉ソーセージ>さんが僕についての発言をする。
<最近<背脂の錬金術師>さん、見ませんね>
<仕事が忙しいんじゃないの?>
<旅行に行くタイプじゃなかったしなー>
<他界してたり・・・色々な意味でw>
<単純に通信制限喰らってたりw>
自分についての話題はこれくらいだった。
「これ、返信しちゃダメですか?」
みんなの発言を見ていて、ダメ元で彼女に尋ねてみた。
「ここの環境は“読み”専門ですね。ご了承ください」
「ですよねー」
さすがに死人が発言したらダメだろう。住所はおろか本名も知らない面々が僕のことについて知ることは無いだろう。不思議な縁で繋がっていたが、縁が切れるのもこんな感じで自然消滅するのが正しい消え方だと思った。
ふと目を離すと、みんなはまたいつものように愚にも付かない呟きに終始していた。あまり僕のことを気にしても申し訳ないので、このままの空気を保っていて欲しい。
「他に行きたいところはありますか?」
彼女=死神が僕に尋ねてきた。これまでと変らず、穏やかな口調だ。相手を射貫く鋭い眼光も、相手を問い詰める固い口調も、余談を許さない冷たい表情も無い。全体の印象はむしろ真逆で、とても温かいものだ。
しかし却ってそれが怖さを感じさせる。
全ては自分の判断。僕の返答次第で、僕の人生は直ぐに終わってしまうのだろう。
ちょっと意地悪な質問を思い付いた。
「もう行きたいところは思い付かないですね。ただ・・・」
「ただ?」
彼女が人差し指を頬に当て、首をかしげる。
「もう少し、ここにいてもいいですか?」
「もう少し、とは・・・」
「みんな僕のいない世界をちゃんと生きてる。もう少し、みんなのことを見ていることはできませんか?」
「なるほど、見守っていようというわけですね」
彼女はうんうんと首を縦に振る。
「確かに期限は限られていないですね。いつまでいてもいいですよ。何日でも何年でも、何十年でも」
「え?」
予想していなかった答えに僕は目を丸くする。
「ただ、そういう方は“怨霊”と呼ばれていますね」
「怨霊・・・」
「何十年も、何百年もその場にいて、自分を知っている人がこの世からいなくなっても、この世に漂って。自分が何ものかも忘れて、何処にも行けずに迷う存在です。そうなっても私は一向に構いませんが、傍から見る限り楽しそうには見えませんよ」
「さすがにそれは・・・」
「それに、死んでいい人がいないように、生きてなきゃいけない人もいないんです」
正に“殺し文句”だった。自分がいないこの世界。何も影響が無いわけではないが、その中を頑張って生きていくのが“人生”なんじゃないかと思った。この世での自分の役割は終わったんだ。何がきっかけだったとしても。
「・・・分かりました。もう大丈夫です・・・さて、僕はどうなるんですか?」
晴れ晴れとした気持ちで僕は彼女にこの世の別れを告げた。
「魂の総量は決まっていて、あなたは別の魂に転生します。それはこの世界かも知れませんし、別の世界かも知れません」
「“あの世”が無いのはちょっと寂しい気がしますが、心機一転がんばってみましょう」
「わかりました。#$%&~~~」
彼女がこちらに両手をかざし、よく聞き取れない言葉を発すると、自分が淡い光に包まれた。なんとなく目をつぶってみる。とてもすっきりした気分だ。
「あ、最後に伝え忘れました。あなたの次の転生先はアークティカ・ イスラ・・・」
彼女の声が遠くに聞こえる。もはやそんなことはどうでもいい。今はクラス替えしたように、期待と不安で心がいっぱいなんだ。学生の時とは違い、期待ばかりかも知れない。こんなにワクワクしているのはいつ以来だろう?
僕のセカンドライフの始まりだ。