最終章 ラヴソング
季節は巡り春となった。
丘の上の一本桜は、毎年のようにその優雅さを思う存分ふりまいている。
桃色の花びらが風に舞い、仄かに甘い香りをふりまいている。
私はその桜の下に腰掛け街並みを眺める。
そして、ある歌を口ずさみ始める。
もう1年近く歌っていなかったから少しだけ不安だったけれど、体に染み込まれたものはなかなか体を抜けることはなく、歌い始めたらすらすらと言葉が唇から溢れてきた。
3分ほどの短いラブソング。
この歌を共に歌ったある人を想いながら、街並みを眺める。
歌い終わると同時に、涙が私の頬を伝い落ちていった。
ふと後ろに誰かの気配を感じたので、私は立ち上がって振り返る。
「おひさしぶりです」
私は立ち上がり、そういってペコリと軽く頭を下げる。向こうも会釈を返す。
「約束通り、死なないでくれたんですね」
「・・・・・・はい」
彼女、楓佳夜と逢うのも約一年ぶりだ。
あれから私たちは一切連絡を取り合っていなかった。
私が今日ここに彼女を呼びだしたのは、別に何か特別な理由があったからじゃない。
言い忘れていたことがあったから、ただなんとなく呼び出しただけだ。
「私、あなたに言い忘れていたことがあったんです」
「・・・・・・なんでしょう?」
風が舞い、二人の髪を揺らした。私もあれから髪を伸ばしたので、今ではセミロングぐらいにはなった。彼女の髪は相変わらず長く、腰のあたりまで伸びている。前と同じ、透きとおるような黒。嫉妬するほどに綺麗だと、また思った。
「私も、そう思います」
「え?」
「私も、あなたとは別のかたちで出会いたかったと、そう思います。今でもそう思っています」
言葉の意味がわかったのか。彼女は少しだけ控え目に微笑んだ。
私はなるべく無表情のままでいた。
「私は、これからもずっとあなたを憎み続けます。絶対に赦すことはないです」
強い口調でそう言うと、彼女は悲しそうに瞳を暗い色で染めた。
けれど、決して私の視線を避けようとせずに、その瞳で私の瞳を力強く見つめ返してきた。
私の言葉を胸に深く、刻み込んでくれているのだと感じた。
その瞳に応えるように、あるいは突き刺すように私は強い口調で言葉を続ける。
「だから、絶対に自殺とかしないでください。苦しみながら生き続けてください。
私は、あなたを憎しみながら生き続けます。
もしあなたが自殺なんかしたら・・・・・・したら・・・・・・」
なぜか涙が出た。
悲しいからじゃない、切ないからじゃない。
悔しかった。ただただひたすらに悔しかったんだ。
彼女が自殺する様を想像するだけで、悔しかった。
あんなにもお兄ちゃんが大切に愛しいと思っていた人が、命を賭してまで守ろうとした愛しい人が自殺をするなんて考えるだけで、悔しくてしかなかった。
まるで、兄の努力を一蹴されたように思えた。
「私は、絶対にあなたを赦しません」
一滴二滴とこぼれ落ちる涙を拭うこともせずに、ありったけの憎しみをこめて彼女をにらんだ。
彼女はさみしそうな表情で、私と同じように泣きそうだった。
あぁ、やっぱりこの人と私は似ていると、なぜか強くそう思った。
「ありがとう、ございます」
彼女は泣きそうな顔のまま、そう呟いた。
「なぜ、お礼なんて言うんですか?」
私は喉からあふれ出ようとする嗚咽を抑えながら、なるべく平静を装って彼女に訊ねる。
「わかりません。でも、あなたにはお礼を言わなくてはいけない・・・・・・気がしたから、だから―――」
そう言って彼女はまた一度私に深く頭を下げて、ありがとうございますと、かろうじて聞こえるほどのかすれた声で言った。
途端、視界がぼやけた。何も見えなくなった。
何かがこみ上げてくるのを堪えられなかった。
嗚咽を我慢することなど、できるわけもなかった。
私はその場に膝から崩れ落ちて、みっともなく泣いた。泣き叫んだ。
―――もう、泣いてもいいんだよ
そう、誰かに言われた気がしたんだ。
私の気持ちが落ち着くころ、彼女はいつの間にか立ち去っていた。
私に気を使ったのだろう。少しだけ、感謝することにした。
私はこれからも彼女を赦すことなんてできないと思う。
赦しちゃいけないと思う。
だって、もし私が彼女を赦してしまったら―――
私はそこで考えるのをやめて、街並みを眺める。
街並みはすっかり夕暮れに染まっていった。
桜の花びらが街並みに向かってその身を舞わせていく。
ゆっくりと歌を歌った。
なんどもなんども繰り返した。
3分歌っては、また3分歌った。
ラヴソング
愛する人のために歌う歌。
私の愛する人はもういなくなってしまったけれど、私はこの歌を歌い続けよう。
この歌が私と彼を、そしてあの人を結ぶ唯一の残された絆なのだから。
おそらく、もう二度と逢うことはないだろうけれど・・・・・・だから
さよなら ありがとう