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ラヴソング  作者: 秋空遙
6/9

第5章 思い出の部屋で

僕は“彼”の穏やかにそして美しい顔を眺めた

 この顔が好きだった

 声が好きだった

 香りが好きだった

 僕は“彼”の永久に眠る横顔にそっと触れた

 服が“彼”の血で汚れたけれど、気にもならなかった

 酷く満足そうな顔

 美しいと、思った

 “彼”の死を美しいと思った

 けれど、それもいずれ深く暗い悲しみに打ちひしがれた

 僕は泣いた

 “彼”の顔を僕の胸にうずめて、泣き叫んだ

 泣いて、泣いて、泣いて

 声が出なくなるまで泣いて

 声が出なくなっても泣いて

 なぜ、君はそんな幸せそうな顔をしているの?

 なぜ、そんな穏やかな顔をしているの?

 ねぇ、教えてよ


「お兄ちゃん・・・・・・」



◇  ◇  ◇



 ピピピピピ!

 目覚まし時計が僕を奈落から引き揚げる。

 びっしょりの汗に身を包まれて僕は目覚める。

 上半身だけを起こして、汗で垂れ落ちた前髪を掻きあげる。

 そしてそのまま服を脱いで風呂場へと向かった。

 夢は相変わらず、僕の頭にこびりついていた。

 シャワーがそれを洗い流してくれるわけもないけれど、僕は必要以上に頭を洗ってから風呂場を出て、服に身を包んだ。




 今日は学校を休んで彼女の病院へと向かうことにした。

 部屋に連れていくためだ。

 彼女は思い出すだろうか? 過去を思い出してくれるだろうか?

 それだけを強く願いながら、玄関のドアを捻った。




 病室へ入ると、彼女はどこか緊張した面持ちだった。

 昨日のように笑顔で蒼也と叫んだりはせずに、「おはよ」とぎこちなく微笑んだ。

 僕はいつもどおりの表情で「おはよう」と返した。

 僕は無言のまま彼女のベッドの傍の丸イスに、いつもどおり腰掛ける。

 しばらくの間、静寂が僕らの間を漂っていた。


「ねぇ、本当に部屋に連れて行ってくれるの?」

 

 先に静寂を打ち破ったのは彼女の声。

 おそるおそると言った感じだけれど、彼女は口を開いた。


「もちろんだよ」


 僕は平然とそう返す。多分、彼女にとってはかなり意外だったのだろう。

 つい先日「それは無理だよ」と言ったばかりなのに、突然てのひらを返したように「部屋にきなよ」と言われたのだから、それは当然のことだろう。それに、やっぱり部屋に一人でついていくというのは色々と怖いのかもしれない。



「嫌?」


「ううん! 嫌なんてことないよ! ただ、ちょっとびっくりして・・・・・・その、緊張というか」



 彼女は大げさに首を振る。

 僕は安心させようと思って、ほほ笑んでから彼女の頭をなでる。

 彼女は「あっ」と小さく呟いてから、顔を赤らめて僕のてのひらに体を委ねた。

 そう、ここで断られては困る。

 もちろんいつでもいいといえばそうなのだけれど、僕の決心が揺らいでしまう。

 僕はしばらくそうしてから、手を引っ込める。


「病院の前で待ってるから」



 そう言ってから、彼女の返事を聞く前に病室を出た。

 心臓がドクドクとなっている。

 もうすぐ、もうすぐ全てがわかるよ。

 心の中でそう誰とも言えない誰かに呟いて、僕は病院の外へと向かった。




 数分後、彼女は私服に着替えてから病院の前の僕と合流した。

 どうやらまだ緊張している様子で、一歩一歩がやたらゆっくりとしている。

 僕はなるべく彼女を安心させるような言葉をかけてから、手をつないでゆっくりと歩き始めた。

 

 アパートまでは、病院から歩いて10分ほどの場所に位置している。

 そのアパートに近づけば近づくほど、握った彼女のてのひらが汗ばんでいくのを感じる。

 余程の緊張か、あるいは何か思い出そうとしているのか。

 僕はゆっくりと彼女の歩調に合わせるようにして足を進めた。

 街にはほとんど人の姿が見えず、車も全然その姿を見せない。街に出てきたはずなのに、なぜだかまだ病室にいるみたいだ。

 どんどんゆっくりとなる彼女の歩調に合わせていたら、本来10分でつくはずの道のりがたっぷり20分もかかってしまった。

 けれどどんなにゆっくりになっても、彼女は一度も足を止めることなくそのアパートの前へとたどり着く。 

 アパートはいたって普通のもので、黄色い壁に3階建てのものだ。



「部屋は、2階の一番奥だよ」



 そう言うと、彼女がビクリと震えた。


「嘘・・・・・・」


「え?」


 彼女の顔は、緊張とは別のものに染まっていた。

 青く、体がかすかに震えている。

 それはまさに、恐怖におびえているようだった。


「佳夜?」


 彼女の名前を呼ぶと、びくりと震えてから。


「な、なんでもない」


 と笑った。しかし顔は相変わらず青い。

 もしかして、彼女はもう――――


 僕は彼女の手を握ったままアパートの階段を上り、一番奥へと進む。

 彼女はずっと青い顔で俯いたまま何も言わなかった。

 何もしゃべらず、一歩一歩操り人形のように足を進める。

 そして、その部屋の扉の前にたどり着く。

 僕はポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込む。

 ガチャリという音が響く。それと同時に彼女は一瞬びくりと震えた。

 僕はドアを引き、扉を開け放つ。


「さぁ、入って」


 ドアを開けたまま、彼女に先に入るように促す。

 彼女は青い顔のままだった。

 逃げだすかと思ったけれど、一回こくりと頷いてから部屋の中へと入っていった。

 僕もそれに続くようにして中へと入り、扉を閉めた。

 彼女は靴を脱ぎ、廊下を少しずつ歩きながら進む。

 玄関を開けるとまず廊下の左手に風呂場とトイレがあり、右側に少し大きめのキッチンが陣取っている。短い廊下を突き進み、戸を開けるとそこが唯一の部屋となっている。

 彼女は恐る恐る足を進める。そして戸に手をかける。

 その状態のまま数秒停止して、決心したかのように思いきり戸を開いた。


 その部屋には、何もなかった。

 もともとこのアパートに置いてあるクローゼット以外本当に何もなかった。

 がらんどうとした長方形の空間。

 とても誰かが生活しているようには見えなかった。

 彼女はその部屋を見たあと、ゆっくりとこちらを振り向く。

 あきらかな動揺、困惑。

 僕らは廊下と廊下の端で向かい合う。

 僕は、ほほ笑んだ。

 


「何か、思いだした?」


 そう尋ねると、彼女は無言で俯く。

 そして両手を胸の前でぎゅっと握った。

 確信した。

 彼女はもう、きっとすべて思い出している。

 アパートの前でのあの表情、そして今明らかに彼女の顔を染める恐怖と後悔の色。



「例えば」



 安心して、これですべて終わるから。

 これですべてわかるよ。

 お兄ちゃん。



「死体とか」



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