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ラヴソング  作者: 秋空遙
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第4章 思い出の歌声で

不幸にも、“彼”の第一発見者は僕だった。

 僕は何時も通り大学が終わり次第、部屋へと向かった。

 その曜日は毎週その部屋に行くことになっていた。

 だから、僕はいつも通りその部屋へと向かった。

 そして戸を開けると、そこに“彼”がいた。

 どうすればいいのかわからなかった。何が起こったのかわからなかった。

 ただそこには、床を蝕むように広がった赤い血と、安心しきった“彼”の顔。

 一体なぜそんな安心したような顔をしているのだろう。

 “彼”は腹部の包丁を両手で握りしめている。

 そして“彼”の頭付近の床にはある文字が書かれていた。

 それは紛れもなく、彼の血で書かれている。

 訳がわからなかった。僕はどうすることもできずに、ただ黙って“彼”を見つめていた。

 自分がいつの間にか涙を流していることにも気付かずに、ただじっと“彼”の穏やかな顔を見つめていたんだ。




◇ ◇ ◇



ピピピピ

 うるさい電子音。

 目覚まし時計だ。

 僕はそれを3回ほど叩き、音を止める。

 今日は学校がある日だから、寝坊するわけにはいかない。彼女の病室に行くのは学校が終わってからになるだろう。

 僕の大学はバスで数十分するところに位置している。僕は私服に身を包み、大学へと向かう。月曜日は毎週講義が多い曜日だから、正直だるかった。

 僕はバスをゆりかご代りに、大学までの数分の道のりを睡眠で過ごした。大学の講義もおそらく、睡眠で過ごすことになるのだろうけれど。

そしてそれは、やっぱりその通りになった。






 (睡眠)講義が全て終了する頃にはもう夕方の時間だった。

 病院に行く前に、僕はある教授の部屋へと向かう。

 エレベータで講義棟の6階へ上がる。最上階だ。ここからだと彼女の病院も見えるかもしれない。

 目的の部屋にたどり着くと、僕は一つ深呼吸してから部屋をノックし、失礼しますと一声かけてから部屋へと入る。

 部屋の中は見渡す限りの本の海である。奥行きがある部屋の壁にはとにかく本がぎっしりと詰まった本棚が並んでいる。床にも数冊バラけて落ちている。

 種類も多種多様で、化学雑誌やら小説やら考古学の本やら、とにかく山ほどの本がひしめいている。

 僕はそんな本を踏まないように気をつけて、申し訳なさそうに置いてある机の前のイスに座る。すると奥の方から「は〜い」という声とともに、比較的若い男性が姿を現す。


「あぁ、君か」


 僕の姿を見ると彼は微笑んでから向き合うように座った。


「こんにちは、先生」


 僕も笑顔であいさつをする。


「先生、髭剃った方がいいですよ?」


「ん? そうか?」


 そう言いながら先生は顎あたりに茂みを作りつつある髭をじょりじょりといじりだした。その様子がなんだか面白くて、僕はクスクスと笑ってしまった。


「それで、今日は一体なんの話をしに?」


「現状報告みたいなものです。彼女について」


「あぁ、佳夜くんのことか」


 僕は以前先生に彼女の記憶を取り戻すにはどうすればいいのか、相談したのだ。

 彼女が交通事故にあったと教えてくれたのも先生だ。

 佳夜が記憶を失ったと医者に教えてもらった日に、僕はまず先生のもとへと向かった。

 彼女と会うか会わないか迷っていた時に、相談にのってくれたのもこの人だ。

 そして、記憶を取り戻すにはどうすればいいのかという相談にものってくれた。僕はこの人にはいくら感謝してもしつくせない。


「それで、どうだい?」


「はい」


 僕は彼女に思い出話をしたこと、それで実際に思い出の場所につれていったらそこでその思い出については記憶が戻ったことを伝えた。

 まだまだ道のりは長そうだけれど、だが確実に記憶は戻りつつあると思う。

 先生は始終少し微笑みながら僕の話を聞いていた。

 

「そうか、とにかくそれはいい傾向だよ。どうやら重度の記憶障害というわけではないようだね。これからもそれを繰り返していけば、きっと回復するよ」


「ありがとうございます」


 先生は満足にうんうんと腕を組みながら頷く。あいかわらず面白い人だ。


「ところで・・・・・・」


 ずっと微笑んでいた先生だが、そこで神妙な顔つきになる。


「君はいつ、あの部屋に彼女を連れていくつもりなんだい?」


 ドクンと、心臓が鳴った。

 彼女を思い出の場所につれていけば、断片的ではあるがその場所についての記憶を彼女は取り戻した。

 だとすると、あの場所につれていけばそこで起こった思い出を彼女が思い出す可能性は高い。


「そうですね・・・・・・」


 僕は一度大きく呼吸をして、心臓を落ち着ける。


「早ければ、明日にでも」


 先生が少し驚き、イスに深く座りなおした。


「それが僕の目的ですから。彼女が思い出すのだとすれば、すぐにでも連れて行くつもりです」


「そうか・・・・・・」


 先生は考え事をするように、顎を手で覆った。

 そう、それが僕の目的なんだ。

 全ての思い出よりも、あの部屋で起こった思い出だけを取り戻してくれれば満足なんだ。

 先生もそのことはよくわかってくれている。だからこそ、こうして一緒に考えてくれているのだろう。

 本当に、感謝してもしつくせない。

 時計を確認すると、もうそろそろ大学を出ないと病院の面会時間に間に合わなくなってしまいそうだった。


「それじゃ先生、僕はもう行きますね」


「あ、あぁ」


 僕は鞄をひっつかみ、一度頭を下げてから立ち上がり、部屋を出ようとした。


「ところで」

 

 先生の声。

 僕は部屋の取っ手を握ったまま振り返る。


「なんですか?」


 先生はさっきまでの神妙な表情ではなく、いつもの優しそうな顔に戻っていた。


「君の一人称はいつから“僕”になったんだい?」


 その質問に、僕は笑ってしまった。


「癖ですよ」


 その答えに先生は一瞬キョトンとしたあと、はははと大きな声で笑った。

 







 「蒼也!」


 僕が病室に入ると、彼女が嬉しそうにそう叫んだ。

 時間はもう十分に夕方で、部屋の中も若干赤く染まっている。面会時間ももうあと30分ほどしか残っていない。

 走ってきたから体が熱かった。


「ごめん、遅れた」


 一言謝ると、彼女はぶんぶんと顔を振った。


「ううん! 来てくれただけでもうれしいよ! もう今日は来てくれないのかと思ったから」


 彼女の言葉を聞きながら、僕はベッドの傍の丸イスへと移動する。


「あのね! 今日、どうしても蒼也に言いたいことがあったの」


 僕が座るや否や、彼女は何やら必至な表情でそういった。


「何?」


「あのね!」


 ベッドから身を乗り出して、顔がくっつきそうなほどの距離まで近づく。

 けれど彼女は恥じらいを見せずに、その距離のまま言葉をつづけた。


「思い出したの! 蒼也の歌」


「歌?」


 歌・・・・・・歌・・・・・・あぁ、あの歌のことか


「うん。蒼也、よく歌ってくれたよね? おぼろげだけど、でも確かに蒼也がよく歌ってくれたっていう確信はあるの。歌詞は思い出せないけど、メロディーはしっかりと思い出したの。だから、その」


 彼女の言葉が終わる前に、僕は唇を広げる。

 言葉に音を添えて、歌声を病室に響かせる。

 彼女は驚き、そしてベッドにふかく座りなおして目を閉じた。

 確か、どこかのインディーズバンドのラブソングだ。

 歌詞はよくあるベタものだけど、彼女はこの歌をひどく気に入っていた。

 3分ほどの短い歌。

 切ないメロディー。

 僕もこの歌は好きだった。よく歌っていたから、歌詞は体が覚えいるかのように自然と口から出ては空気に溶けていく。

 彼女は目を閉じて僕の歌声を静かに聞いていた。

 何か、これでまた思い出してくれるだろうか? 



 3分経ち、歌が終わりを告げる。

 この歌は、愛する人の死を歌うものだ。

 愛する人との幸せな日々を思い出し、嘆き悲しみながらも、最後には愛する人の死を受け入れて前向きに進んでいくと決意する。

 そんな歌詞でこの歌は締めくくられる。

 歌い終わり、彼女の顔を窺う。



 彼女は泣いていた。

 目を閉じて涙を流していた。

 すると涙がこらえきれなくなったのか、両手で顔を覆い嗚咽を漏らしながら泣き始めてしまった。

 僕はそんな彼女を見つめながら、泣きやむのをただ待ち続けた。

 夕暮れはほとんど沈み、部屋は暗闇にそまろうとしている時間帯だった。





「ごめんね、突然泣き出しちゃって」


「ううん、気にしないで」


 彼女は目を赤く腫らしながら笑った。よほどこの歌は彼女にとって大切なものだったのだろう。彼女は涙を流していたけれど、今までで一番幸せそうに、そして悲しそうに微笑んだ。

 胸が突然苦しくなるのを感じた。

 苦痛。


「どうしたの?」


 彼女が心配そうに僕の顔を見つめている。どうやら表情に出てしまっていたようだ。


「ううん、なんでもない」


 心配そうにこちらを見つめる彼女に優しく微笑む。ほほ笑んだと思う。

 彼女は相変わらず心配そうにしていたが、僕はそれを無視して口を開いた。


「あのね、大切な話があるんだ」


「何?」


 また胸が、苦しくなるのを感じた。

 意味があるのかな?

 僕のこの行動に、意味はあるのかな?

 一瞬、そんな言葉が頭を駆け巡る。

 それも一瞬のこと。僕は迷わないと決めたんだから。


「明日、僕の部屋にこないかい?」




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