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ラヴソング  作者: 秋空遙
4/9

第3章 思い出の海で

血、血、血

 どこまでも広がる血

 腹部に刺さる煌めき

 穏やかな顔

 安心しきった顔

 なぜ? なぜ君はそんな顔をしているの?

 教えてよ、ねぇ・・・・・・



「*****」




 



 目が覚めた。大量の汗でシャツがベトベトしていて気持ちが悪い。


「夢か・・・・・・」


 なんとも目覚めが悪い。最悪の夢を見てしまった。

 僕は立ち上がり、いつもより念入りにシャワーを浴びた。夢の光景はまだ僕の頭の中にしっかりと焼き付いている。忘れたくても忘れられるわけがない。

 ザーザーと雨のように、ノイズのように僕の頭を打ち付ける水滴。

 その水滴がこの夢を流しきってしまえばいいと願うのと同時に、絶対に忘れないという決意を抱く。

 キュッとシャワーを止めて、タオルに身を包みながら僕はお風呂場を出た。

 顔を拭いて鏡を見てから、僕の目が異様に赤いのに気づく。

 寝不足だろうか


 それからいつもどおり着替えて、朝食を食べる。面会に行くにはまだ少し早い時間帯だ。 時間つぶしのためにも、また胸に再び刻み込むためにも、佳夜の手紙を再び読み直す。

 何度も何度も読んだ。もう完璧に覚えてしまった手紙を。 



 彼女の病室には大体昼過ぎぐらいについた。僕がノックをしてから病室に入ると、彼女は笑って迎え入れてくれた。

 軽く挨拶をかわして、僕は何時もどおり丸イスに座る。

 すると彼女は僕に「今日も思い出話をしてくれるの?」と楽しそうに訊ねてきた。

 最初のころとは全然違うその表情。


「それもいいんだけど、昨日も言ったとおりどこかに連れて行ってあげようと思って」


「ほんと!? 嬉しい!」


 彼女は身を乗り出して僕に顔を近づける。彼女の淡い香りが僕の体いっぱいに広がる。

 どうやら昨日の一件は彼女にとってかなり大きな出来事となったらしい。


「それより、何か思い出した?」


 それを聞くと、乗り出していた身をひっこめて悲しそうにうつむく。


「あの景色以外は・・・・・・何も」


「そっか・・・・・・」


 予想はしていたことなので悲しくはないが、やっぱり少しだけ残念。

 一転して彼女は明るい表情を取り戻し「それで、どこに行くの?」とらんらんと瞳を輝かせて僕に訊ねた。どうやら、よっぽど思い出の場所に早く行きたいらしい。


「うん、今日はちょっと遠くまでいってみようと思うんだ」


「そこは私たちにとって、一体どんな思い出の場所なの?」


 彼女はまるでプレゼントの箱を開くように、僕の答えをわくわくしながら待っている。


「それは・・・・・・」


 もったいぶらすようにためらってから、


「行くまで秘密」


 と応えた。

 一瞬キョトンとしたあと、彼女は「あはは」と声に出して笑った。





 昨日と同じ通り病院の前でバスを待つ。と言っても、昨日とは反対方向なのでバスもあのレトロバスではなく普通のバスだ。

 最初は少なかった乗客も、町中に行くにつれで徐々に増えていき座席はすべて埋まるほどになった。

 彼女は流れる街並みを興味深そうに見ていた。

 どうやら彼女は記憶を失ってから一度も街に出ることがなかったらしい。

 記憶を失って全く見知らぬものとなったこの街を一人で歩くのが怖かったそうだ。

 だから彼女は何か珍しい建物を見るたびに「あれはなに?」と僕に訊ねた。僕はその一つ一つにゆっくりと応えると、彼女は「そうなんだぁ」と感嘆の声を漏らしてまた食い入るように窓の向こう側を見つめる。僕はそんな彼女を見つめていた。


 そんな時間が数十分流れて、僕らは駅に着いた。

 駅前は結構人通りが多い。彼女は目が回りそうにしてたいので、僕はその手を引いて駅の中へと入る。今度も彼女は僕の手を素直に受け入れてくれた。

 僕は二人分のキップを買って(彼女はかなり申し訳なさそうな顔をしていた)、ちょうど来た電車に乗り込む。

 電車に揺られる間、彼女はバスの中と同じように電車から見える風景に食い入っていた。 バスの中のように「あれはなに?」とは訪ねてはこなかったけれど、興味津津といった感じだ。



 数分後、僕らはかなり田舎の駅に降りる。この駅に降りたのは僕らだけだった。

 駅員さんにキップを渡して、街に出る。駅前にも人はいない。

 僕は無言で困惑する彼女の手を引きゆっくりと歩き出す。

 バスはないから、数分歩かなければいけない。

 最初はどこに向かっているのかわからず不安そうにしていた彼女であったが、しばらくしてある独特の臭いが鼻をつき始めると、彼女ははっとした。どうやら目的の場所がわかったようだ。ほほ笑みながら僕の手を握り返す。

 

 しばらくすると、ザザーンという音が聞こえ始め、それと同時に石の壁のようなものが見え始める。

 石の壁にぶつかると、今度はそれを伝うように歩く。しばらくすると階段を発見したので、それを使って石の壁の上に登る。




「わぁっ・・・・・・」


 上り切ると、彼女は昨日と同じように感嘆の声をあげた。


「海・・・・・・」


「うん」


 僕らは防波堤の上にたって海を眺めていた。まだ少し肌寒いこの季節、浜辺に人はいなかった。海の上には粒のように小さくなった漁船が点々としていて、その先には霞がかったように薄い島が見える。独特の潮の香りが満ちていた。


「佳夜は海が好きだった。眺めるのも、泳ぐのも。今はちょっと泳げる季節じゃないから、波打ち際をあるこうか?」


「うん」

 

 彼女は笑顔で僕の言葉にうなずいた。

 僕らは手を握り合ったまま、防波堤を下りて波打ち際までいく。

 彼女は靴を脱ぎ、素足になって砂の上を歩く。

 時折足首まで届く海水が冷たく、気持よさそうだ。

 僕は靴を履いたまま彼女の足を踏まないように気をつける。

 お互い何もしゃべらずに無言で歩いていたが、突然彼女が靴を持ったまま走りだした。

 そして数メートル僕と距離をとると、振り返って「蒼也ー!」と言って手を振ると、また走り出した。

 どうやら追いかけてほしいらしい。

 マンガとかではよくある恥ずかしいシーン、それを実際やってほしいのだろう。

 僕は一回苦笑いして、少し恥ずかしかったけど望み通り彼女を追いかけた。




 そうしてしばらく時間をすごしたあと、僕らは防波堤に並んで座った。

 彼女は始終本当に楽しそうだった。今もにこにこと幸せそうに微笑んでいる。


「ここが一体僕らにとってどんな思い出の場所か、思いだした?」


 もしかしたら今の彼女の気分を害してしまうかもしれないけれど、訊かずにはいられなかった。そもそもそれが目的だったのだから。

 予想通り、彼女は悲しそうに首を振る。


「ごめんなさい・・・・・・」


「そっか、ううん。ゆっくり思い出していこう」


 彼女は力なく微笑む。

 僕らはそれ以降会話をすることなく、けれど帰るのも心残りがあったのでお互い立ち上がろうとはしない。

 彼女はうつむいたまま、ぷらぷらと素足を空中散歩させながらつま先を見つめている。

 僕はまっすぐ海を見据えていた。

 時が来るのを待っていた。時間的にも、もうそろそろだと思う。


 彼女は相変わらず寂しそうにしながら、円を描くように足をぷらぷらさせている。

 波の音と独特の匂いが満ち満ちている。

 後ろの街からもまったく人の気配はしなかったから、まるで世界中に僕ら2人だけしかいないような錯覚を覚えた。

 風が僕らの間を通り抜ける。彼女の髪が風に身を任せて空を舞う。



 時間だ。




「ほら、見て」


 僕は海の方向を指さして彼女に言う。

 彼女は一度僕の顔をみてから、僕の指さす方向に顔を向ける。


「わぁっ・・・・・・」


 途端、彼女の瞳が潤う。

 真紅の夕日が半分ほど、海に顔を沈ませている。

 揺れる波も赤色に染まり、紅色の空には少し赤みがかった真白の雲が浮かんでいる。

 夕焼け、まさに文字通り燃えるような夕焼けだ。

 彼女はいつしか口元に手をあて、涙をこらえるようにしていた。


「綺麗・・・・・・」


「うん」


「そう、この夕日、そう、そうよ!」


 彼女は突然僕の方に振り向き力強くそう叫んだ。僕は驚き、少したじろいでしまった。


「この夕日、確かに私見たことがある! でも、それだけじゃない・・・・・なにか、大切なことが抜けている気がするの・・・・・・ねぇ、蒼也。私たちはこの夕日を見ながら」


 そこで彼女ははっとして、言葉を止める。

 僕はその彼女の顔を、その瞳を一心に受け止める。

 夕日に染まる僕らの横顔。

 彼女は僕の顔を見つめながら停止している。

 僕も同じように、彼女の次の言葉を待つ。


「この、夕陽を、みながら・・・・・・」


 言葉を一つ一つ紡ぎながら、彼女は目を閉じる。

 そして少しずつ、彼女は僕に顔を近づける。

 僕は何の抵抗もせずに、彼女と同じように目を閉じた。そして、唇が交わう。

 彼女の体温が、呼吸が、香りが僕の体を駆け巡る。

 僕と彼女がキスをしている。



 そのことを考えるだけで、鳥肌が立った。




 しばらく僕らは、時が止まったかのように唇を交えていた。

 1、2分たっただろうか、どちらからとも言えずに僕らは離れた。

 彼女の顔が赤くほてっている、多分夕陽のせいだけではないだろう。

 

「不思議な味・・・・・・男の子とのキスって、こんな味なのね」


 放心したように、彼女はそうつぶやいた。


「僕は男の子とキスをしたことがないから、わからないよ」


 冗談交じりにそう応えると、彼女は幸せそうに笑った。

 また一つ、思い出が息を吹き返した。





「ねぇ、蒼也」


 病院の前に着くころには、すっかり日も暮れて夜になっていた。

 許可を取っているとはいえ、さすがにこれは怒られるかもしれない。

 けれど彼女は全然気にしていない様子だ。

 さよならの挨拶を交わし、僕が振り返りアパートの方へ向かおうとすると、彼女が呼び止めるように僕の背中に声をかけた。

 僕はゆっくりと振り返る。

 

「何?」


「あ、あのね・・・・・・」


 顔を赤らめながら、もじもじとしている。もう夕日はとっくに沈んだから、彼女の顔の赤らみは恥ずかしさからでるものなのだろう。


「今から、蒼也の部屋に行っても、いいかな?」


 彼女は真赤になりながら、その言葉を口にした。

 虚を突かれて、一瞬呆けてしまった。

 つい先日まであんなに不安そうにしていた彼女の言葉とは思えなかった。

 きっと、その言葉を帰りの間ずっと考えていたんだろう。

 その提案をするのに、その言葉を言うのにどれだけ勇気を振り絞ったのだろう。

 僕は真赤な顔で不安そうに返事を待つ彼女の顔を見つめながら、ゆっくりと返事をした。




「それは無理だよ」


「えっ・・・・・・」


 明らかな落胆。

 赤らんでいた顔がみるみると後悔の念に染まる。

 

「だって佳夜はまだ一応この病院に入院しているんだから、それはさすがに許されないよ」


「そっか、そうだよね」


 ぎこちなさそうに笑う。その瞳は蝋燭のように揺らめいている。


「そのうち」


「え?」


「そのうち絶対、招待するから」


「・・・・・・うん。楽しみにしてる」


 そう言って笑うと、彼女は身を翻して走りながら病院へと戻って行った。

 そう、いつか必ず彼女にはあの部屋に来てもらわなければいけない。

 きっとそれが、彼女の記憶という閉じられた箱を開ける唯一のカギとなるのだから。

 見えなくなるまでその背中を見つめてから、僕はアパートへと足を踏み出した。


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