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ラヴソング  作者: 秋空遙
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第2章 思い出の丘で

ある日の夕方、医者の話によると楓佳夜はその日に車にひかれて頭を強く打ったらしい。 救急車に運ばれた彼女は一命を取り留めたが、代償として記憶を失ってしまった。

 その日は雨がすごく降っていた日だから、覚えている。

 僕がそれを知ったのは5日後だった。彼女が事故にあった日、僕にはどうしても抜け出せない用事があったのだ。

 数日して用事も終わり、大学へも行くようになったのだけれど彼女の姿が無い。

 連絡も取れないので僕は不思議に思い先生に尋ねると、事故にあって入院したということを教えてくれた。

 病院に行き、楓佳夜に面会をしたいと受付の人に行ったところなぜだか彼女との関係を尋ねられた。知り合いだと応えると、しばし待たされた後医者らしき人物が現れて事情を説明してくれた。彼女は記憶喪失になっていて、自分の名前以外は友人どころか家族の名前すら思い出せないということらしかった。

 僕は迷った。彼女に会うべきか、会わざるべきか。

 それからしばらくして、僕は昨日彼女の元に訪れた。

 彼女は案の定記憶を失っていた。

 僕は、彼女の記憶を取り戻そうと誓ったんだ。




 僕は学校を終えると、まっすぐに病院へと向かった。

 彼女の病室は最上階の隅に追いやられるような場所に位置していて、それがなんだかとても寂しく思えた。

 彼女の病室の前に立ち、今度はノックを2回した。するとすぐに中から返事があり、病室へと入る。

 僕の顔を見ると彼女は少しだけ微笑んでくれた。まだ僕に心を開いてはくれていないようだ。それも当然だろう、多分彼女は僕が本当に恋人なのかどうかまだ疑っているの段階なのだから。


 ぼくは軽く挨拶をしてベッドの傍の丸イスに座った。

 彼女の髪から漂う香りが部屋を満たしている。


「調子はどう?」


「体の方は特に何もないから・・・・・・大丈夫」


「そっか」


「それは?」


 彼女は僕の膝の上に置いてあるビニール袋を指す。

 僕は無言でビニール袋の中からリンゴを取り出し「お見舞い、リンゴ好きだよね?」と言いながらリンゴを渡した。


「後で看護婦さんに切ってもらって」


「あ、ありがとう」

 

 ぎこちないお礼。

 他人行儀、とてもじゃないが恋人同士の会話には見えない。


「あれからどうやって佳夜の記憶を取り戻そうか考えたんだけど・・・・・・とりあえず、思いで話でもしない? と言っても、僕が一方的に君との思い出を話すだけだけど」


 苦笑しながらそう言うと、彼女はまたつられるように笑った。

 その微笑みはどう考えても彼女の本心じゃない。僕が笑ったから、機嫌をそこねないように合わせて笑った、ただそれだけだろう。

 感情のない微笑み、まるで人形のように不気味だと思った。


「そうだなぁ・・・・・・じゃあとりあえず、僕たちが出会った日のことでも」


 そう切り出して、思い出を一人で喋った。

 とりあえず、なるべく古いものから思い出せるだけ思い出した。

 彼女は僕の言葉に時折微笑み、驚きながら耳を傾けてくれた。その動作ひとつひとつが本当に他人行儀で、僕にただ合わせているだけという感じだ。その動作一つ一つに彼女との悲しい距離を感じた。僕は特に気にしないでふりをして、話を続けた。


 そうして小一時間ほどたって、話をとりあえずひと段落つけた。


「どう? 何か思い出せそう?」


 そう僕が訊ねると、彼女は目を伏せてゆっくりと首を振った。


「そっか・・・・・・まぁ、ゆっくりがんばろう?」


「ありがとう・・・・・・蒼也」


 彼女はゆっくりと名前を呼んだ。

 それは今彼女にとってただの無意味な名詞でしかない。記憶を失うとともに、蒼也という恋人の名前はただの名詞としてなってしまった。

 その名詞がまた大切な言葉に息を吹き返せるように、がんばろうと思う。



 その日、僕は初デートの時の話をして思い出話を終了し病室を出た。

 外はもう夕暮れで、7月といえども肌寒かった。



 アパートに帰ると、まずコンタクトをはずし身につけていたものを全部脱いでシャワーを浴びる。このシャワーを浴びる瞬間が最高だ。

 シャワーを浴びてから身軽な服に着替えなおし、眼鏡をかける。家では眼鏡だ。

 それから机の引き出しの中に入っている大量の封筒から一通抜き取り、中の手紙を読み始める。その封筒には楓佳代が霧乃蒼也に宛てた手紙が入っている。

 その手紙からは、少女の少年に対する切実で微笑ましい思いがひしひしと伝わってきた。

 僕はそれを穴があくほど読んでから、ゆっくりと晩御飯を作る。

 大学生の僕は勿論一人暮らしである。最初はめんどくさかった洗濯や料理も、慣れてしまえば楽しいものだった。


 いつもどおり一通り家事全般をこなし、テレビを見ているともう時計は寝る時間をさす。僕はゆっくりとベッドに潜り込み、明日はどうして彼女に記憶を取り戻してもらおうか、目を瞑りながら考えていた。そうしていつの間にか、深い眠りへと落ちて行った。

 



 翌日は休日。チュンチュンという鳥の鳴き声で穏やかに目覚めた。早速朝のシャワーを浴びる。風呂場から出ると、それが朝のシャワーではなく既に昼のシャワーになっていることに気付いた。

 朝ごはんとも昼ごはんとも言えないご飯を食べながら色々と考えてみたが、結局何も思いつけずに、また思い出話でもしようと考えながら食器を片づけて玄関の扉を開き病院へと向かった。


 彼女の病室には先客がいた。おそらく彼女担当の医者だろう。

 そういえば、最初に僕に彼女が記憶喪失だと教えてくれたのもこの人だ。

 僕が病室に入ると二人の顔と目がこちらを向いた。医者はどうやら僕に気付いたようで、柔和な表情をして会釈をしてきた。僕も小さく会釈を返す。

 どうやら医者の話はもう終わったようで、「それじゃあまたあとで」と佳夜に言うとゆっくりと立ち上がってこっちに歩いてきた。


「やぁ」


「こんにちは」


「本当に彼女の記憶を取り戻そうとしてくれてるんだってね。ありがとう、医者がこんなことを言ってはだめかもしれないけれど・・・・・・正直、期待しているよ」


 医者は照れ臭そうに、後頭部を掻きながら笑った。


「全力を尽くします」


 その言葉を聞くと、医者は安心したように頷いた。


「そういえば、妹さんは元気かい?」


「はい、元気ですよ」


「そうか、それはなにより」


 そんな日常会話をしたあと、軽く挨拶をして医者は病室を後にした。その間佳夜は黙ってこちらを見ていた。僕と目が合うと、少し気まずそうに視線をベッドへと落とす。僕も何も言わずにベッドの傍の丸イスへと移動した。


「妹さん、いるんだ」


 どうやらさっきの会話が聞こえていたらしい。


「うん、紅音あかねっていうんだ。今度紹介するよ」


 その後は昨日と同じで、ひたすらに思い出を彼女に喋った。彼女は始終ぎこちなく微笑んだり、わざとらしく驚いたりしていた。

 やっぱり、恋人同士が会話をしているようには見えない確かな気まずさがそこにはあった。




 数日間、そんな日々が続いた。彼女のぎこちない態度も少しずつだけどほぐれていった。それはいいことだと思う、それはいいことなのだけれど、記憶の方では一向に進展がなかった。

 これではだめだと感じた僕は、ある提案を彼女にすることにした。




 いつもの通り、僕はベッドの傍の丸イスに腰掛けた。

 当然、彼女も僕が思い出話をしてくれるのだろうとベッドに座り身構えている。

 

 

「ねぇ・・・・・・体の方は特に何も異常はないんだよね?」


「先生にはそう言われてるけど・・・・・・?」


 いつもとは違う話の始め方に困惑したのか、彼女が不思議そうに僕の目を見つめる。


「じゃあさ」









「いいのかなぁ・・・・・・?」


「大丈夫大丈夫」


 僕らは今、病院の前のバス停でバスを待っていた。

 「思い出話」から「思いでの場所」へとベクトルを変えることにしたのだ。

 つまり、デートで行った場所や思い出となった場所に実際いってみよう、ということだ。

 もちろん医者には許可をとった。彼女の担当と思われる医者に事情を話したところ、二つ返事で許可をもらえた。

 最初はどうしようかと迷っていた彼女も、記憶を取り戻すためだと説得したら怖々ついてきてくれた。


 そうして今に至る。

 目的地はバスで15分ほど行ったところだ。

 さっきまでパジャマだった彼女も今は私服を着ていて、より一層彼女の美しさは際立っていた。

 ちなみに私服は僕が持ってきたものを彼女に渡した。

 なぜ僕が女物の私服を持っているかは秘密だ。


 バス停のイスでバスを待っている間も、彼女はどこか居心地が悪そうにしている。

 目をキョロキョロと泳がせたり、手をこすったり、髪をいじったりと落ち着かない。

 僕はそんな彼女を隣に座って横目で流すように見ていた。

 今日はだいぶ暖かい、夏がもうすぐそこまで来ているのだろう。

 

 それから数分してバスが来た。結局バスがくるまで二人の間に会話が交わされることがなかった。相変わらず、二人の間に流れる空気は堅苦しい。

 バスには乗客が僕ら以外に数人しかおらず、空席が寂しそうにひしめいていた。

 僕らはバスの一番後ろの席に並んで座る。プシューという音ともに扉がしまり、ガタコトと揺れながらバスが進む。


「あっ!」


 彼女が何か突然思い出したように叫ぶ。


「どうしたの?」


「あ、あの! 私お金もってない!」


「僕が持ってるから大丈夫」


「え!? で、でも」


「いいからいいから。彼女のバス代ぐらい彼氏に払わせてよ」


「は、はい・・・・・・」


 彼女は風船に空気が抜けるようにしょんぼりとして、聞こえるか聞こえないぐらいの声で「ありがとう」と小さくつぶやいた。僕は気付いたけれど、何も返事をせずに窓の向こうで流れる景色を眺めていた。

 彼女はうつむいたまま、くっついた自分の両膝とにらめっこしている。



「僕らさ」


「えっ!?」


 余程会話がないのが気まずかったのか、僕が言葉をはっすると彼女はものすごい勢いで僕の方に振り向いた。

 その動作がなんだかかわいくて、少し笑ってしまった。

 すると彼女はみるみる顔を赤らめて、また膝とにらめっこを開始する。


「僕ら、よくこのバスに乗ったんだよ」


「あっ、そう・・・・・・なんだ」


「うん。君はよく、このガタコトと揺れるレトロな感じのバスが好きだって言ってた」


 このバスは一世代古いのか、外観内装ともにどこか古めかしくガタコトと道を走る時の振動も大きい。スピードもゆっくりだ。彼女はそんなレトロなところが気に入ったらしい。

 彼女はやっぱり思い出せないのか、気まずそうに目を伏せて申し訳なさそうに首を横に振った。



「今はどう?」


「えっ?」


「今の佳夜は、このバスはどう思う?」


 よく意味がわからないといった感じで、僕の目を見ながら首を傾げる。


「んー、なんていうか。昔の佳夜、つまり事故にあう前の君はこのバスが好きだと僕は知ってる。けど、記憶を失った今の君がこのバスが好きかどうか僕は知らない。昔の君ばかり望んで、今の君を見ようとしないのは間違いだと思うから。記憶があろうとなかろうと、佳夜は佳夜なんだから」


 なんどかつまづきそうになりながら、自分が感じたことを言葉にしてみる。抽象的な話だからなんとも言葉としては伝えにくかった。彼女にしっかりと伝わったかどうか不安だ。

 彼女は少しの間ポカーンとしていたけれど、やがてゆっくりと微笑んでくれた。

 それは、今までのように他人行儀なものではなく、彼女の本心からの微笑みのように思えた。それほどに、美しく思えた。

 僕はコホンとひとつ、わざとせきをする。



「もう一度聞くね。佳夜はこのバスが好き?」


 改めてそう訪ねると、彼女はゆっくりと目を瞑った。

 ガタコトと揺れ、ブレーキをするたびに大きな音を立てるバス。

 ゆっくりと流れる景色の中を走る。

 古めかしい内装からは、どこからか懐かしいにおいが漂っている。

 彼女はこのバスを堪能するかのように目を閉じている。

 やがてゆっくりと目を開くと


「好き」


 と、小さくつぶやいた。






 それから数分すると、バスは街並みを抜ける。さっきまで家々が見えていた景色にもいつの間にかその家は消えて、草原や田んぼがその姿を見せ始める。

 ガタコトバスの中には、いつの間にか僕ら二人しかいなかった。その中でポツポツと会話を交わした。それは恋人同士がするようなものではなかったけれど、彼女が少しずつ僕に心を開こうとしてくれているのが見てとれて、ほんの数回の会話でも結構前進したように思えた。


 しばらくして、バスは「月が丘公園前」というバス停に止まる。目的のバス亭だ。

 月が丘公園と言っても、本当に丘があるだけだ。結構長い階段が丘のてっぺんまで続いている。彼女は黙って丘の方を見上げていたけれど、僕が手を引くとゆっくりとした足取りで僕に続いて階段をのぼりはじめた。何も言わずに手を握ってしまったけれど、彼女は何も抵抗せずに受け入れてくれた。

 しばらくそうして平坦な階段を上ると、丘の頂上に着く。頂上には一本の大きな桜が咲いている。といっても今は7月だから、いずれピンクの花が咲き乱れる枝では、今は緑色の葉が風に舞っていた。

 

「わぁ・・・・・・」


 彼女は頂上につくと感嘆の声を漏らした。丘の頂上からは街が一望できるのだ。


「すごい・・・・・・」


 放心したように彼女はその景色に魅入られていた。時折風がなびき、彼女の髪やスカートをなびかせる。


「ここからこうして景色を眺めるのを、佳夜はとても好きだったんだ」


 僕は彼女の隣に並んで、同じように街を眺める。

 僕らの街は田舎だ。高いビルなどなく、同じような高さの家々でひしめいている。街の向こう側には山々がみえる。残念ながら海は見えないけれど、代わりに大きな川が少し顔をのぞかせている。

彼女はずっとそこから町を眺めていた。


「私・・・・・・この景色、知ってる」


「えっ?」


「うん・・・・・・知ってる。この景色、すごく好きな・・・・・・大好きな景色」


 自分に言い聞かせるようにそうなども呟きながら、彼女は街を眺めている。

 色々と聞きたかったけれど、僕も習うように黙って街を眺めた。


「そっか・・・・・・そうだったんだ・・・・・・」


 そして彼女はいつの間にか、涙を流していた。

 声も出さずに、静かに涙を流し続けていた。

 その涙に彼女はいったいどんな思いを込めているのか

 失ったしまった過去への贖罪か、それとも喜びか・・・・・・

 いずれにしろ、僕には気づかない振りをすることぐらいしかできなかった。



 それから彼女は、空が朱にそまるまでそこに立っていた。

 僕は彼女が満足いくまでそこにいようと決めていたので、何も言わずに彼女に寄り添っていた。

 帰りもあのレトロバスにのりながら病院へと向かう。

 帰りのバスに乗っていたのは僕たちだけだった。

 ガタゴトと揺れるバスのなか、二人きりの僕らは会話一つ交わすこともせずに世界を共有していた。静かだったけれど、彼女の横顔はどこか幸せそうだった。


 病院前のバス停につき、僕らは別れる。

 彼女は病室へ、僕はアパートへ


「あ、あの」


 別れ際、彼女がどこか顔を赤らめながら恐る恐る口を開いた。


「何?」


「あ、明日も・・・・・・その、どこか連れて行ってほしい・・・・・・な」


「えっ」


 顔を赤らめながら後ろに手を回し、どこかそわそわしながら上目づかいに口を開いた佳夜。

 驚いた。彼女が自分からそんなことを言うなんて。

 多分、記憶が一部垣間見えたことで希望が見え始めたのだろう。

 それは僕にとって喜ばしいことだ。目的を達成するためには、彼女自身がやる気になってもらわなくては話にならない。

 だから僕は一瞬戸惑ったあと、


「もちろん」


 そう言って笑った。彼女も笑ってくれた。それは、とても恋人同士のように見えた。



 僕は帰ってから、いつも通りシャワーを浴びていつもどおり眼鏡をかけて、いつも通り彼女の手紙を読んだ。引出しの中に入っている数十通の手紙は内容をすべて覚えるほどに読んだ。

 今日一歩進んだことが、嬉しかった。

 それと同時に、少しだけ苦しくもあった。


「明日もがんばろう」


 明日どこに彼女を連れていくかを考えながら、僕は晩御飯も食べずにベッドに身を沈めた。



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