第1章 思い出を失った少女
彼女は困惑していた。
それはごく自然のことだと思う。いきなり見ず知らずの人間が病室に入ってきて、「君の記憶を取り戻しにきたんだ」なんていい始めたら、それは困るにきまってる。
「あの・・・・・・恋人っておっしゃいましたよね?」
恐る恐るといった感じで、彼女は言葉を続ける。
「うん。そうだよ、佳夜」
「えっと・・・・・・失礼ですけど、それは本当ですか?」
やっぱり疑わしいんだろう。
もちろん、証拠になりそうなものなら持ってきた。
僕は彼女のベッドの傍に置いてある丸イスに腰をおろして、服の内ポケットから白い封筒を3通ほど取り出す。封筒といってもラブレターなどに使うようなかわいい封筒だ。
その3通を先ほどから困惑した表情で黙っている佳夜に渡す。佳夜はゆっくりと僕から封筒を受け取り、それをぼんやりと眺めながら「あけてもいいですか?」というアイコンタクトを送ってきた。僕は黙って頷く。
彼女は丁寧に封筒を開き、中から手紙を取り出し読み始める。彼女の表情は読んでいくうちにどんどんと真剣なものになっていき、3通目を読み終わる頃にはまた困惑が彼女の顔を覆っていた。
「これ・・・・・・?」
「見ての通り、手紙だよ。全部君から僕に宛てられたものだ」
「やっぱり・・・・・・そうなんですか」
その手紙には色々なことが書いてあった。今日あったこと、おもしろかったこと、将来の夢といった内容の文面が、可愛らしい文字や絵で飾られている。
「僕たちは付き合っていた時文通をしていたんだよ。佳夜が言い出したことなんだよ? メールとは違う楽しみがあるって言って」
僕は笑いながらそう言った。
けれど彼女は力なく微笑むばかりで、その顔に喜びは一向に姿を現さない。
それは当然のこと、これだけで思い出せるわけがないのだ。これからゆっくり、ゆっくり思い出してもらえばいい。
彼女は全部の手紙を2回ほど読んだところで、力なく首を振った。
「ごめんなさい・・・・・・思い出せないわ」
「そっか・・・・・・うん、そうだよね。これでいきなり思い出せたらびっくりだよ」
そう言って笑うと、つられるように彼女も笑ってくれた。とても弱弱しかったけれど。
「今日はこれぐらいにしておくよ、また明日もくるね。あ、手紙は佳夜が持ってていいからね。何か思い出したら教えてほしいんだ」
僕はそういって丸イスから立ち上がり、振り返ろうとした。
「あ、あの!」
引き留めるように彼女がそう叫んだので、僕は足を止めて彼女の方に顔を向ける。
「あなたは」
「蒼也」
「え?」
「蒼也って呼んでほしい。そう、呼んでくれてたから」
そう言うと、少し戸惑ってから彼女は微笑んだ。
「蒼也は、本当に私の恋人だったんですよね?」
心なしか、どこか嬉しそうに見える。
きっと、彼女にとって僕は失った記憶の唯一の糸口となったのだろう。
まだ不安の色が濃いその瞳の奥に微かに、けれど確かに姿を覗かせる希望の光。
僕はふっと微笑んだ。
「思い出せば、わかるさ」
微笑んだままそう言ったあと、病室を後にした。