人は、自分自身の感情をどう把握しているのだろう
僕は、怒ったり、楽しんだり、悲しんだり、色々な感情にさらされて生きている。だから、自分が自分の感情を直接感じれる事を疑った事が無い。
でも、それ本当かな?
実は、根拠のない思い込みかも?
小説とか心理学とか人間観察とかで、『自分の感情を把握していない』って話はよくあるしw
かなり冒涜的な見方だけど、実は次のように考える方が妥当かもw
人は、自分自身の感情を、『自分の筋肉の動きを検知』して感じている。
最近の画像解析技術の進歩は早く、人の感情を読み取れるほどになっていると話題になっている。そもそも、何十年も前に、感情に伴う不随意反応は、話題になっている。
そして、他人の感情・意図については、相手の行動から逆算している。10年以上前に、そんな神経回路が見付かったとの記事を読んだ。
相手の行動を脳内で再現する。自分自身の意図→行動のパターンと一致する物を探索する事で、相手の意図を逆算する。
そんな回路だ。
なら? 自分の感情は? 他人の意図を行動の逆算で読んでいるなら、自分自身の感情も実は同じじゃない?
感情を生成する回路と、自意識は別物じゃ無い?
人は、感情回路に応じて、無意識に不随意運動をしている。
自意識側は、感情回路の影響で生じた不随意運動を検知して、自分自身の感情を把握している。
その理解で、僕には矛盾や説明が付かない問題が見つからない。
悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。
上の考えなら確かに、そうだろう。そして、嗚咽するための動作を全て止める事が出来れば、悲しいという感情を感じなくなる。
まあ、検証するには、一度、全身の筋肉をマヒさせた状態で、自分自身の感情の動きを観測する必要がある。余りにも非人道的な実験で実行不可能だ。
だから、意味のない仮説だけどね。
でも、偶にこんな思考に耽るのは楽しい。