七 名前 その一
腹が膨れて満足したのか、畳の上でゴロゴロしだした猫又を縁側まで引っ張って
きた。
「ええと、化け……、猫又さん、と呼ぶのもあれか。君の名前を教えてくれるかい」
「?」
「ほら、三毛とか、玉とか、そんなふうに呼ばれてたことがあるだろ?」
「ないにゃ。おばばは『おいで』とか『ご飯だよ』って呼んでたにゃ」
「そ、そうか。それにしても、何であんなところで倒れてたんだ」
「ここんとこ何日も、おばばが寝たまんまで起きなくなったにゃ。だから腹減って
魚食べに来たにゃ。でも、あそこにいる奴はいつもあたしを棒切れを持って追い回
すから、陰で隙を見てたにゃ。そしたら腹減りすぎてあんまり動けなくなって、
気付いたらここにいたにゃ」
きっと猫又は、ばあさんが亡くなったことを理解できず、何日も待ち続けたのだ
ろう。
腹が減って熊吉の店に来たのはいいが、もし魚を盗んだとしても、あの体力では
逃げられず、ぶん殴られて川に放り込まれていたに違いない。
それに野良猫だったということは、当然住む場所もなのだろう。
「君、住む場所とか、その、親とかはいるのかい?」
「ないにゃ」
いささかも不幸を感じさせずに答える。
葉介はしばし考え込むが、やはりこの猫を拾ってきたときから決心はついていた。
「よし、君、しばらくここに住むといい」
「え?いいのかにゃ?飯も食わせてくれるにゃ?」
「ま、まぁ贅沢なものは出せないけど、さっき食べたものくらいなら……」
「やったにゃ!三食昼寝付きにゃ!」
猫のくせに変な言葉を知っている。
早まったことをしたかとも思ったが、尻尾をピョコピョコ振り回して喜ぶ姿に、
今さら取り消せるものでもない。
「ほう、お前さんやはり、このくらい幼い娘っこが好みじゃったか」
「だから、違います!純粋な人……、猫助けです!」
「猫又は儂と違って、人の世に生きるあやかしじゃからの。飯も食えば厠へも行く
し、お望みなら人との間に子を産むこともできるぞ」
「そ、そんなことはしません!て、木霊さんは同じあやかしではないんですか?」
「さっきも言うたとおり、儂は精霊や付喪神に近いもんじゃ。必要があらば現れ
るが、普段は姿を消しておる。今までだって儂の姿を見たことはなかったじゃろ
う?」
確かに。でもなぜ、突然に見えるようになったのだろうか
「そりゃぁ、生まれたときから神木の霊気を浴びておったんじゃ。もともと見え
る資質を持っておったたうえに、猫又の成る姿を目にし、それがきっかけで一度
に見えるようになっても不思議はない」
それに……と、
「お前さん不思議な類の話が好きじゃと言うたな。儂らあやかしは、人の信じる力
によって存在する。お前さんは心の中で儂らの存在を信じておる。だからこそ儂ら
が見えるんじゃ。反対に人の世が誰も儂らを信じなくなった時、儂らはいなくなっ
てしまう」
木霊の話を聞き、葉介は子供の頃を思い出していた。
幼い頃、母が話してくれる昔話や、父の語る不思議な話に夢中になった。
幽霊、妖怪など、この世にはいないものと思ってもいたが、心のどこかで信じ、
存在することを願っていた。
「なんとなくですがわかりました」
聞きたいことは山ほどあるが、今はまず解決すべきことがある
「ええと、猫又さん。と呼ぶのも不便だし、君に名前をつけてもいいかい?」
「名前?そんなもんいらないにゃ」
「いや、ここで生活する以上、やっぱり名前は必要だよ。僕の名前は葉介。
わかるかい?」
「うーん。わかったにゃ……、『葉介』」
「君の名前は……」
その時、葉介の頭の中にかすかに響く音があった
それはこの娘と出会うきっかけになった音
首に付いた、銀色の鈴が奏でた音
娘を助けようとしていた時に、かすかに鳴り続けていた音
「君の名は『りん』、『鈴』と書いて、りんだ」




