四十三 件
「うう……。寒い……」
底冷えのする寒さに、葉介は目を覚ました。
それは、ずいぶんと冷え込んだ朝だった。
いや、朝というには、まだ少しばかり早いか。
しかし、空の暗さのわりには、辺りはずいぶんと明るい気がする。
隣では、りんが頭から布団を被り、まさに猫のように丸まっている。
目も覚めてしまったし、ついでに用を足そうと縁側へ出た葉介は、外の明るさの
原因を知った。
「初雪か……。どおりで寒いはずだ」
そこは一面の銀世界となっていた。
わずかに残る月明かりを反射して、雪は辺りを明るく照らし出している。
例年と比べれば、少しばかり早いのかもしれないが、それでも雪が降ってもおか
しくはない季節だ。
りんは猫だけあって、やはり寒さには弱いようだし、もう少し布団を買い足して
やるか。
雪明りに照らされた景色を眺めていた葉介だったが、ふと足音が聞こえた気がし
て、そちらを見据える。
そして、足音と共に庭先に現れたものを見て、驚きの声を上げる。
「なっ!?」
そこにいたのは、女性であった。
いや、最初に顔を見たから女性と判断しただけで、実際に女性なのかはわからな
い。
なぜなら、顔こそは人のそれであったが、体はどう見ても牛のものである。
人面牛身。
まさに、言葉通りの存在であった。
「あ、あやかし……、だよな?」
りんを呼ぼうと振り向いた葉介だったが、頭上からの声に動きを止める。
「動くでない!それよりも、あやつの言葉をしっかりと聞くのじゃ」
「こ、木霊さん!?」
「あやつは『件』、今からおぬしに予言をするはず。しかと聞くのじゃ」
いつになく真剣な木霊の言葉に、葉介は思わず生唾を飲み込む。
そして、数瞬の後、件はその口を開き、人の言葉を発した。
『人とあやかしを繋ぎし猫又の主よ、聞くが良い』
『今からおよそ十月の後、この国が変わる』
『古きものたちは地に落ち、新しきものたちが世に栄える』
『古きものは新しきものに淘汰されていく』
『古きものは、やがて滅び行くであろう』
『それは、人であろうと』
『それは、物であろうと』
『それは、人の積み上げた経験や知識であろうと』
『それは、人が作り上げてきた存在であろうと……』
『新しきものたちは異国のものを好み、人々の営みも大きく変わってゆく』
『新しきものたちは古きを忌み、我らはやがてこの世から消え行くであろう』
『これからお前はどう生きるのか、選ばねばならん』
『これからお前は何を選ぶのか、決めねばならん」
『これからお前は誰を選ぶのか、決めねばならん』
『これからお前は何を守るのか、決めねばならん』
『その時は迫っている。ゆめゆめ忘れるでないぞ、猫又の主よ』
件が去った後、どれくらい経ったろうか。
我に返った葉介は、木霊に問いかける。
「あれは……、件とはいったい……?」
「あやつは時おり人の世に現れては、予言をしていく」
「予言……、ですか?」
「ふむ、そして、その予言は間違いなく当たる、ということじゃ」
「なっ!で、では、この国が変わるというのは……」
予言の正確な意味はわからない。
しかしながら、国が変わり、人が変わり、人が作り上げた存在が滅びるという
ことは……。
言いようのない不安が、葉介の胸中に渦巻いていた。
「そこから先は、あなたもご存知のとおり、あのご一新……、大政奉還、明治維新
と言われたものへと繋がって行ったわけです。予言のとおり、古きものは徐々に姿
を消し、西洋の文明がもて囃され、人がだんだんと、自由に生きていける世の中に
なっていったのです。そう、あの浪人の目指した世界のように……」
老人は長い話を語り終えると、大きく息をついた。
さすがに疲れたのであろう。気付けば柱時計の針は、夜の七時を回っている。
老人には悪いと思うが、しかし、女性記者はどうしてもこれだけは聞かねばなら
なかった。
「で、では、りんさんは、木霊さんは、楓さんは……。他の皆も、予言どおり消え
てしまったというのですか!?」
老人は、叫ぶように聞いた記者の質問には答えず、寂しそうに笑うと、
「こんな時間では、もう帰りの足も無いでしょう。せっかくなので泊まっていって
ください。今日は孫娘が曾孫を連れて遊びにきていますので、今支度をさせますか
ら。続きは、また明日にでも」
その後、記者は客間に通されて、簡単な食事を済ませると、することもなく寝床
に横になっていた。
老人の答えは返ってこなかったが、この国の現状を考えれば、妖怪など御伽噺や
空想上の生き物だ。
しかし、わずかな時間しか共に過ごしたわけではないが、決して老人が嘘を言っ
ているのではないと確信している。
おそらくは、あの話の中の妖怪は、そのまま消えてしまったのだろう。
そんなことを考えているうちに、うとうととし始めていた。遠くから聞こえる、
「大じいちゃん、お客さんは明日も泊まっていくの?じゃあ、すずが、おもてなし
してあげる!」
「鈴子や、お客さんがいるのだから、あまり大きな声をだしてはいけないよ」
まだ幼いであろう、女の子の声を聞きながら。




