五 猫又 その二
庭先から聞こえた声に、葉介は救いを求めるように裸足のまま飛び出した。
しかし、そこには誰もいない。訝しむ葉介の耳に、今度は頭の上から声が聞こえ
た。
「ここじゃ。ここ」
見上げた先にいたのは、松の木の枝に乗った、まるで七福神の寿老人を思わせる
ような小柄な老人であった。
「あ、あの、そんなところに登っては危ないですよ。それにここは私の家ですし、
勝手に入ってこられても……」
「ああ、いいんじゃ。ここは儂の住み家じゃからな。お前さんが寝小便垂れとる
小僧の頃からよりも、お前の爺さんがまだ嫁をもらう前からより、ずっとずっと昔
から住んどるからの」
はて、おかしな爺さんである。近所では見かけないし、さては呆けた爺様が徘徊
したあげく、木登りをはじめてしまったのではと考え出した時、
「そんなことより、まずはその娘っ子じゃろう」
言われて我に返る。振り返ると娘は、肌触りが気に入らないらしく着物を脱ごう
と奮闘している。
「そうだ。この子はいったい……」
「ふん。さっきお前さんが言った、化け猫のようなもんじゃが少し違う。この娘は
”猫又”じゃよ。さりとて、この娘っ子の年や死に方では、むしろ化け猫にならぬ
のが不思議なくらいじゃが……」
そういって老人は少し考え込んでいたが、
「まあ、この場所に連れてきたこと、お前さんが神木に祈ったこと、それにこやつ
が何も恨まずに死んだということか……。それに、お前さんが最後に看取ってやっ
たのもあるのかもな。だから、本来このような若さで成るはずのない、猫又になっ
たのやもしれん」
ふむふむと老人は一人うなずき納得しているようだが、葉介にとっては全く納得
のできる話ではない。
とりあえず、着物を脱ごうとする娘に帯をグルグルと巻き付け、自力ではほどけ
ないように結びあげた。
「なんにゃー。暑いにゃー」
騒いでいるが、この際後回しだ。
「とりあえずご老人、そこから降りてください。正直に言えば、あなたの言ってい
ることもよくわかりません。いや、この娘があやかしの類だというのはわかります
が……。だからと言って『はいそうですか』と言うわけにもいきません。
あなたは何やらこのようなことに博識なようですし、とにかく、どうすればいいの
かお知恵を貸していただけませんか?
汚いところですが、お茶でも出しますので、とりあえず家にお上がりください」
わけのわからない人を二人も……、いや。片方は猫なら一匹か?
とにかく、藁にもすがる思いで頼みごとをする葉介に老人は言った。
「ああ、そりゃ無理じゃ。さっきも言うたとおり、儂はずっとずっと昔からこの木
に住んどるし、これから離れて存在することはできん。まあ、まったく離れられん
わけではないがな」
そういうと老人は、すーっと音もなく松の木から離れた。それは葉介から見た
ら、老人が枝から飛び降りたかのように見えた。
「あぶなっ……」
とっさに老人に向け手を伸ばし受け止めようとする。しかし、老人は地に落ちる
どころか、そのまま斜めに滑るように降りてきて葉介の前で止まった。
「初めまして、ではないがの。先にも言うたとおり、お前さんが赤ん坊の時分か
ら、儂はお前さんをずうっと見てきたし、この木とともにここに在った」
葉介は唖然とし、言葉もなく聞いている。
「そうじゃな、人々は儂を ”木霊” と呼んでおる」




