幕間 獏
いつからこうなったのだろう。
よく思い出せない。
しかし、時代は変わっていく。
徳川様の世が終わり、あの男が言っていたように、この国は新しいものに飲み込ま
れていく。
しかし、皆が皆、古きを捨て新しきを受け入れられるわけではない。
巷には戦の気配があふれ、徳川様の幕府方と、新政府という新たな権力の対立が続
いている
町行く人はどこか怯えて暮らしている。
これがあの男の望んだ、平和な世界なのだろうか。
風の噂で、あの男は京で殺されたと聞いた。
何でも倒幕運動の中心人物で、その界隈では有名な人物であったらしい。
あのごろつき浪人たちが逃げ出したのも合点がいった。
それに、少なくともあの男の言ったことの、悪い意味は当たった。
あれから新政府の役人が頻繁に訪れるようになり、あやかしのことを根掘り葉掘り
聞いていく。
これからの時代にそのようなものは必要ないし、受け入れられぬという。
りんを見る目も、ひどく冷たい。
楓も、自分がここに来ると迷惑をかけるかもしれないと言って、しばらく姿を見せ
ない。
りんとともに自分の住む廃寺に来るかと言ってくれたが、それこそ楓に迷惑をかけ
るわけにもいかず断った。
それからも役人は頻繁にやってきた。
予想外だったのは、熊吉が私たちを庇ってくれたことだ。
役人を追い払い、礼を言う私に、
ふん、『雪』のためだ!別にてめえらを助けたわけじゃねえ!
しかし、少し言いよどむと、
だが、あの化け猫がいなくなったら雛が悲しむ。それに……、てめえになにかあっ
てもな。もちろん俺は認めたわけじゃねえ。
そうか、なんだかんだ言いながら、熊吉はお雪さんを大切に思っていたのか。
それに……、
嬉しかった。苛められた記憶しかないと思っていたが……。
思い返せば、他の子供の輪に入るのが苦手な葉介を連れ出し、皆の中に入れてくれ
たのは熊吉だった
のろま、青瓢箪などと言いながらも、足手まといになるのがわかっていながら毎回
呼びに来た。
誤解していたが、やはり雛の兄だ。根は優しい男なのだろう。
今はもう、雛の気持ちもわかっている。
しかし、まだあの時の返事をしていない。
あの時……?あの時とは……いつだ?
それに、お雪さん……?
お雪さんとは誰だったか……。
私は、雛に何と言えばいいのか……?
それに、私の本当の気持ちは……。
なにかぼんやりとして思い出せない。
新しい政府の掲げた神仏分離という方針は、宗教自体の混乱を招き、狐たちの力も
弱まっていると聞く。
そして、その日はやってきた。
何人もの役人が押し寄せ、木霊の住む木を切り倒す。
そしてりんを捕らえようとする
必死に私達を逃がそうとする熊吉と雛。
違う!こんなものがあの男の望んだ世界ならば……、間違っている!
そんな中、まるで何かに齧られるように、隅っこから世界が消えていく。
今までのことがなかったことになってしまうように、紙切れが燃えていくように、
世界に穴が開いていく。
「違う!!」
自分の叫び声で目が覚める。
目の前には、何やら鼻の長い、四つ足で毛むくじゃらの妙な生き物いた。
口をもぐもぐさせ、何か食っているようだ。
「気付いたか?」
ふと見ると、枕元に楓が座っていた。
驚いたが、楓がいるのならば、この生き物は悪いものではないのであろう。
自分は夢を見ていたのだろうか?
どんな夢を見ていたのか思い出せない。ただ、全身に汗をかき、心臓が早鐘のよう
に鳴っている
「うなされておったのでな。もしやと思い獏をつれてきた。時間がかかり済まな
かった」
獏……?
聞いたことがある。悪夢を食らってくれるあやかしだとか。
そういえば、ずいぶんと恐ろしい夢を見ていた気がする。
いや、でも恐ろしいだけではない、何か大切な未来のことを見ていた気が……。
楓が言うには、夢の中に入り込み、悪夢を見せるあやかしもいるという。
それが枕返しのせいならば、途中で無理に起こすとそのまま意識が戻ら
ぬ場合もあるらしい。
また近頃は、異国のあやかしも入り込んでいるようだ。
めや?めあ?悪夢を見せる、そのような異国のあやかしもいるという。
だが、やはり何か大切なものを見ていた気がする。
「獏が食うのは悪夢じゃ。だから獏が食った夢ということは、無理に思い出さぬほ
うがよい」
異国のあやかしと聞いて、あの男を思い出す。
彼の夢はかなうのだろうか?
いずれはあやかしも、新しい文化の波に飲まれて行くのだろうか?
何か、この国の行く末を見ていたような気もするが思い出せない。
なにか大事な、本当に大切な自分たちの未来の姿を見ていた気がする。
「なんにゃ?いたのかにゃ。今日の土産は何にゃ?」
「また来たんですか?朝っぱらから葉介さんにふしだらなことをしないでください
ね」
そういえば、雛はいつの間にやら楓が家にいるのを自然と認めている。
こんな楽しい、夢のような日々がずっと続くのだろうか。
そして、いつもの日常がはじまる。




