四 猫又 その一
ほどなく、猫を抱えた葉介は自宅へとたどり着いた。
庭の広さと家の大きさに比べ、不釣合いなほどに大きな松の木が立つ家である。
父親は、この松は徳川様が江戸に来られるずっと以前からここにある、神様の
住むご神木だと言っていた。
こんな庭先に本当に神木があるとも思えないが、年経たものに付喪神が宿るよう
に、神様が宿っても不思議はない気はするほどの見事な木ではある。
葉介とてそのまま信じていたわけではないが、少ない稼ぎをやり繰りし、庭師
を入れて手入れするくらいには、なんとなくではあるが大切にしていた。
もしかしたら、心のどこかでこの木に亡くなった父親の姿を重ねていたのかも
しれないが……。
「ほら、しっかりしろ。ええと、水か?暑いのか?何か食えるか?」
水を与え、団扇で扇ぎ、魚の干物を鼻先に近づけても猫は反応しない。それどこ
ろか、荒かった呼吸も弱まり、息も絶え絶えになってきている。
「ああ、どうすりゃいいんだ」
生き物など飼ったことのない葉介は、これ以上何をすればいいのかわからない。
体をさすり、声をかけることしかできない。
「おい、しっかりしろよ。元気になったら熊吉のところで新鮮な魚を買って、たく
さん食わせてやるから」
だが、猫はすでに、誰が見てももう手遅れであろうという状態であった。
「ちくしょう。ああ、おい松よ。いや、松に住む神様。あなたが本当にご神木で
あるなら、この猫を助けてやってください。いやその、私が何かお返しできるわけ
ではありませんが、まだ子猫であろうこいつが死んでしまうのは、不憫です」
藁にもすがる思いで祈ってみるが、もちろん奇跡もおきなければ、神様があら
われることもない。
ほどなく猫の浅くなった呼吸も止まり、葉介にも猫が死んでしまったのだとわ
かった。
「すまない。私では力になってやれなかった」
一瞬、父と母が亡くなった時のことが頭をよぎる。
しかし、その思いを頭から振り払うと、この後のことを考える。
飼い主同然だったというばあさんも亡くなっているようだし、最期を看取った
手前、せめて墓くらいは作ってやろうと腰をあげたときだった。
ボン!
という音とともに、猫の体から煙が上がった。それは、さながら芝居で使われる
煙球が爆ぜたような感覚であった。
「な……!」
驚いたが、とっさに、さては近所の悪餓鬼がいたずらに爆竹でも投げ込んだかと
思い外を見る。しかし、どうも様子が違う。
ともあれ火事になっては一大事だし、死んでしまったとはいえ、猫の体に何か
あってもいけないと、煙が立ち上る場所に手を伸ばした。
が……、
「!?」
煙でよく見えないが、手を伸ばした先で触れたのは、柔らかくあたたかいもので
あった。
しかし、その感触は明らかに猫の毛のそれとは違っている。そう、まるで人の肌
のような……。
「え?」
わけのわからない感触に、慌てて手を引っ込める。
そして傍らにある団扇の存在を思い出した葉介は、急いで煙を扇ぎ散らしはじめ
た。
徐々に煙が散っていく。
幸いにも火の手があがるようなこともなかった。
それは良かったのだが、反対に葉介の顔は、煙が晴れていくのにあわせて引きつっ
ていった。
煙が晴れた先にまずあらわれたのは、人間の足である。
そのまま順番に尻、腹、胸と姿があらわになり、完全に煙が晴れた後ににそこに横
たわっていたのは、一糸まとわぬ姿の少女であった。
「な、な……」
驚きのあまり声が出ない。
年の頃なら十四、五歳。長い銀色の髪が畳に広がり、まだ少女を思わせる細い体
つきと、雪のような白い肌があらわになっていた。
葉介が呆然と見ていると、
「うにゃぁぁぁぁぁぁ」
まるで猫が体を伸ばすように、少女はゆっくりと体を動かし起き上がった。
「にゃ?」
「え?」
「お前、誰にゃ?」
「い、いや、誰といわれましても……」
混乱し言葉も思いつかないが、現状ですべきことはまず一つだ。
「と、とにかく服を着てください。といっても、持ってるわけないですよね。
ちょっと待っててください」
箪笥には母親の形見の着物があるが、女物の服のことなどわかるはずもない。
適当に自分の羽織をかき集め、慌てて持っていく。
「とにかく、これを!」
「何にゃ、ごわごわして気持ち悪いにゃ。それに、これどうするんにゃ?」
仕方なく葉介は少女に着物を羽織らせる。
見てはいけない、見てはいけないと、念仏のように心の中で唱えながらも、見な
ければ着せることはできないし、チラリチラリと見えてしまう。
銀色の、腰まで伸びた美しい髪
その頭頂部の左右に生えた、猫のような耳
猫のように吊りあがった目と、縦に割れた金色の瞳
まるで異国の人形のように整った、美しい顔立ち
あらためて間近で見ても、雪のように白い肌
まだ成人前の、ふくらみきってない胸と尻
尾てい骨あたりから生えた、二股に割れた美しい毛並みの尻尾
尻尾はピョコピョコと動き、着物を羽織らせるのに邪魔になるが……、
ん? 耳? 尻尾? え……?
「お、お前、やっぱり化け猫か?まて、わ、私を食ってもうまくなどないぞ!」
「なんでお前を食わなきゃいけないにゃ。それにお前うまそうじゃにゃいし」
腰を抜かしかけた葉介だが、少女の言葉に嘘はなさそうだ。とはいえ、いったい
何がおきているのか。
その時、庭先から声が聞こえた。
「ほう、成りおったか」




