三十四 唐傘お化け
その日もいつものように雛が訪れ、家事をしてくれていた。
さすがに悪いからと何度も断ったのだが、好きでしていることだからと取り合わ
ない。
それに……、と彼女が言うには、
「わたしは兄がどうしても店に出られない時に、代わりに留守番をするくらいしか
することが無いんです。だから誰かのために何かをするって、結構楽しいものなん
ですよ」
確かに、暇すぎるのも逆に辛いものがあるのだろう。
どこぞの食っちゃ寝しているお猫様も見習ってほしい。
しかし、雛が店番をしているときは、なぜか客が増えるのである。まあ、魚以外
に下心のある者が多いのだろうが。
売り上げが増えるのなら、雛に店番を任せればいいと思うのだが、妹を溺愛して
いる熊吉は、雛目当てに寄ってくる客が気に入らないらしく、極力店番はさせない
ようにしている。
まあ、気持ちはわかるが……。
「それに……、将来のためにわたしも葉介さんも、こういう生活に慣れておいた
ほうがいいと思うので……」
うつむいてぼそぼそと何か言っているが、よく聞き取れない。
「じゃあ、ここもお掃除しちゃいますね」
雛が勝手口へ行こうとしたとき、置いてあった傘に躓いた。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫ですか。こちらこそすみません。怪我はありませんか?」
「はい。なんともありません。それより傘は……」
「ああ、いいんですよ。なんともないようですし、もともと古い傘ですから。
まったくりんの奴だな。こんなところに放っておいて」
雛は傘を壊してしまったのではないかと心配している。
しかし、もともと壊れているかのようなずいぶんと古びた傘だ。
ところどころに穴が開き、傘としての役目はあまり果たさないかもしれない。
「ずいぶんと古い傘みたいですけど……。新しいものを買ったほうがいいんじゃな
いですか?」
「ええ、まあそうなんですが……」
葉介は言いよどむと、
「実は両親が使っていた物なんです。まあ、何となく捨てられず、直し直し使って
いるうちにこんなありさまで……」
「ご、ごめんなさい。知らなかったとはいえ、わたしったら……」
「あ、いやいや!別に形見だとか思って持っているわけではなくて、本当に何とな
くなんです。それに、わざわざ新しいものを買わずとも直せば使えますし……。
まあ、ただの貧乏性ですよ」
気まずそうな雛に申し訳なく思い、なるべく気楽に言う。
葉介自身、形見だ何だと思って持っていたわけではないが、捨てるのも忍びなく
今まで使ってきたのである。
もしかしたら、心の片隅でそのように思っていたのかもしれないが。
「でも、そうですね。今度新しい傘を見てこようかな?」
翌日、朝から芝居小屋へ出向いていた葉介が、用を終えて家へ向かっていたとき
である。
突如空が暗くなり、雷も鳴り出した。
「嘘だろう?この時期に夕立か?」
やがて大粒の雨が降り出す。
慌てて近くにあった木陰に非難する。
この降り方ならば、少し待てば止むだろうと思い待つが、雨は弱まる気配を見せ
ない。もうすぐ夕暮れ時、逢魔時が迫ってきている。それまでには帰ったほうがい
いだろう。
季節は秋であり、ずいぶんと寒くなってきている。雨は冷たいし、ずぶ濡れにな
れば間違いなく風邪を引くだろう。
しかし、危険かもしれないあやかしと遭遇するよりはましか。
意を決して走り出そうとした葉介だったが、ふと前方から何かが近付いてくるの
が見えた。
雨でよく見えぬ視界の先、それは飛び跳ねるようにこちらへ向かってくる。
それはやがて、葉介に認識できるほどに近くなった。
「え!?」
近付いてくるのは傘であった。しかし、普通の傘と違うところは胴の部分に大き
な一つ目が付いている。そして、本来持ち手があるはずのところからは足が一本伸
びており、こちらに向かって跳ねるように歩いてくる。
逃げるべきか……。
逡巡している間に、傘は葉介の元にたどり着いた。
何が起こるのか……。
身構えたが、傘は葉介の前まで来るとぱたりと倒れ、ただの傘となった。
「これは……!?」
そしてそれは、見慣れた古びた傘であった。
その後、ところどころ破れ目から雨が漏れるが、傘のおかげでずぶ濡れになるこ
ともなく家に帰った。
翌日、雛にその不思議な体験を話す。
「あの、それって付喪神なんじゃないでしょうか?」
「まあ、考えられるとすればそれしか……。しかし、そんなに古い傘ではないはず
ですが……」
傘が年を経て、付喪神になったのだろうか?
ならば物が付喪神になるのは、以外に早い時間なのだろうか?
「確かにそれは付喪神じゃ。じゃがお前さん方は大きな勘違いをしとるぞい」
ふいに木霊の声が聞こえ、慌てて雛と縁側へ出てみる。
「確かに年月を経るというのは重要じゃ。しかしそれ以上に、人の思いが込められ
大切に使い続けられたということが重要なのじゃ。お前さんの両親しかり、そして
お前さんからもな」
「ご、ごめんなさい。きっとこの傘、わたしが言ったことのせいで、捨てられてし
まうと思ったんでは……」
「い、いえ。あれは雛さんのせいではありません。もともと襤褸だったし、そもそ
もあんな所に放っておいたのはりんのせいで……」
ふと、日常の騒がしさに忘れかけていた両親の姿を思い出す。
心配しなくても、りんがこの家に来てからは寂しいなんて思っている暇もありま
せん。
皆が集まり、毎日が騒がしく、毎日が忙しく、毎日が楽しいです。
だから、心配せずに見守っていてください。
この傘は、まだしばらくは使い続けようと思います。




