三十二 古戦場の火
そこには戦の気配が漂っていた。
その気配を発しているのは江戸の町。
さらにそこから限定された、非常に狭い空間。
つまりは……、葉介の家の中からである。
当の本人はそこにはいない。朝から頼まれ事で出かけている。
その戦場には三人の女がいる。正確には四人であるが、一人はこの不穏な空気に
は我関せずである。
何かをしているもの、何もせぬもの。ただ、お互いがお互いを横目で見つつ、そ
れぞれを牽制している。
均衡を破ったのは雛であった。
「あら、天狗さん。葉介さんはお出かけになっていますよ。特に用事がなければ、
お帰りになったらいかがでしょう。お忙しいでしょうし、来られたことはお伝えし
ておきますから」
雛は家の掃除をしながら、先制攻撃を仕掛ける。
「ふむ、葉介がおらぬのはつまらぬが……。しかし、わらわは葉介の妻にならねば
ならぬ身。普段の生活ぶりなど、なるべく知っておいたほうがいいからのう」
特に何をするわけでもなく、雛が渋々出した茶をすすりながら天狗が反撃する。
「な……!家事ならわたしがしますから結構です!そもそもあなた、さっきから何
もしてないじゃないですか。それに、葉介さんは優しいから、嫌なことでもすぐに
断れないんです。あなたが無理に押しかけて来て、ご迷惑してるんじゃないです
か?」
「確かに家事というのは、わらわにはわからぬ。遥か昔の記憶じゃ。だが、迷惑と
いうのはそなたの思い込みであろう。わらわの姿を見ると喜んでおるように見える
が。それに、そうであればそなたが勝手に上がりこんでしておることこそ、実は
迷惑しておるのではないか?」
「う……、そんなことは……」
「まあ、葉介が優しいというのには同意するがのう」
「そ、それはまあ……」
雛の戦意が少し下がる。しかし、仲良く茶を飲んでいるわけにはいかぬ。
矛先はもう一方へ向かう。
「それで、妹さんはなぜここにいるんです?」
隅っこの方で綺麗な姿勢で正座をしていた妹狐は、びくりと体を震わせながら答
える。
「こ、この家にこんなにあやかしが集まっているんだぞ!ぼ、僕はお役目として何
か起きないように見張っているだけだ」
「そ、そうですよね。お役目は大事ですものね……」
まあ、確かに正論であろう。それに先日の騒動で、攫われた葉介の捜索に力を貸
してもらったのだ。あまり無下にもできない。
「でも、大丈夫ですよ。他のお役目もお忙しいでしょうし、この家ばかりに構って
いるわけにはいかないでしょう?天狗さんもすぐお帰りになりますから。安心して
お帰りください」
「う……、あ……、それは……」
雛もお返しとばかりに正論を振りかざし反撃する。
「おや?わらわは帰らぬゆえ、狐御もいてかまわんぞ」
「っ……」
「せっかく土産に山の幸を持ってきたのじゃ。葉介に食わせてやりたくてな」
「おー!土産にゃ!食っていいいのかにゃ?」
「ああ、構わぬが、葉介の分は残しておくのじゃぞ。ああ、よければそなたらも
どうじゃ?」」
「やったにゃー!」
「ちょ……、りんちゃん!?」
こちら側の戦力と見なしていたりんは、簡単に篭絡されたようだ。
いつの世にも、戦に寝返りはつきものである。
「少し酸っぱいけどうまいにゃ」
楓の土産には栗や茸のほか、石榴やアケビなどのすぐ食えるものも入っており、
りんはめずらしい土産に夢中でかじりついている。
「あ、ありがとうございます。では、あとで料理に使わせていただきますね。葉介
さんは、わたしの作る料理が大好きみたいですから。いつもおいしいおいしいって
食べてくださいますし」
「ほう、そなたは料理がうまいのか?なら今度教えてもらおうか。何せこれから、
葉介にばかり作らせるわけにもいかぬし。ああ、あの時葉介に作ってもらった飯は
うまかったのう」
なかなかに手ごわい相手である。
「しかし、そなたも葉介と名前で呼び合う仲なのだのう」
「そ、そりゃあわたしたちは子供の頃からお互いを知っていますし、わたしが泣い
てる時にはいつも助けてくれたし、この前だってあやかしが、そ、その……、悪さ
をした時も、ずっと一緒にいてくれましたし、それにわたしのお願いを聞いてくれ
て、危険かもしれないあやかしを調べに行ってくれたり、それに、それに……」
雛は一気に捲くし立てる。
「なるほど。葉介はそなたを大切にしているのだな」
「は、はい!わかっていただけましたか?」
「ああ、なるほど。わらわにも遠い昔弟がおった。それは可愛かったし、大切にし
たものじゃ。つまりそなたは葉介の妹のようなものなのじゃな?葉介にとっての妹
なら、わらわの妹も同然じゃ。存分に可愛がるゆえ心配するな」
「くっ!」
年の功であろうか、相手は百戦錬磨のつわものである。
「しかし、幼きころから葉介を知っているのか……。それはちと羨ましいのう」
「そ、そうでしょう?わたしは子供の頃からの思い出がいっぱいあるし、今でも
葉介さんのお世話をしてるんです。わたしがいるから、今は葉介さんにお嫁さんは
必要ないんです!」
「ふむ、わらわにはそのような絆はないしのう」
「ぼ、僕だってあいつが赤ん坊の頃から知ってるぞ!お前が生まれる前からだか
ら、僕が一番知ってる時間が長いんじゃないか?」
「知っているのと実際に関わっているのは違いますよね?」
「う……、まあ……」
妹狐が横っ腹から突撃を仕掛けるが、簡単に弾き返される。
そのまま雛の勝利に終わるかと思われた戦いであったが、楓は攻撃を続ける。
「わらわたちは出会ってからの日が浅いゆえ、そのような思い出はない。あるのは
裸で抱き合い、同じ寝床で眠ったことくらいかのう」
「そ、それはあなたのせいで葉介さんが風邪をひいたからでしょう!それに何もな
かったって言ってましたし……。と、とにかく私は信じてます。葉介さんは嘘をつ
くような人じゃありませんから!」
反撃する雛に、楓はにやりと笑うと切り札を放つ。
「うむ、確かにそうじゃ。葉介は驚くほどに真面目で理性的だった。そのようなと
ころも可愛いのだがのう」
そう言うと楓は、一瞬少女のような表情を見せた。。
しかし、次の瞬間なんともいえぬ色気を醸し出した表情で二人を見た。
まるで、遊女が自分が寝取った男の妻を見るような勝ち誇った目で。そして、多分
に悪戯心を含んだ目で……。
「しかし、そうは言いながらも、あれのほうは正直じゃったぞ。かように元気な
ものは見たことがないくらいにな」
「あれ?」
「元気?」
雛と妹狐は顔を見合わせる。しばらくして、
「「……!!」」
お互いが理解をし、驚愕と恥ずかしさから真っ赤になる。
妹狐も年は経ているとはいえ、御使いとしてはまだまだ外見どおり年若い部類であ
る。
「いや、あれほど見事なものは見たことがない。それほどわらわが魅力的であった
のか……。おや、そなたらは見たことがないのか?
……ああ、まだ幼いそなたらには少々刺激の強い話であったのう」
楓の切り札で、戦況は一気に傾いたようだ。
「で、ででででも葉介さんはそんなこと一言も……」
「あ、あいつ……、ふ、不潔だ!」
「まあ、子供には刺激が強いので黙っておったのじゃろう。何せ抱き合って眠りな
がら、お互いの名を呼び合う仲じゃ。それに、あれだけわらわに欲情しておったの
じゃ。自分の子を産んでくれと言い出すのも時間の問題じゃろう」
雛と妹狐の胸元を一瞥すると、楓は再びにやりと笑った。確かに、そう来られて
は勝ち目がない。その時、
「ただいまー」
この家の主が帰ってきたようだ、だが、興奮した女達は気付かない。
「雛さん、いらしてるんですか?ちょうどよかった。土産があるんです」
葉介が襖を開ける。
そして、この戦の勝敗が決したかと思われたとき、妹狐が突如伝家の宝刀を引き
抜いた。
「ぼ、僕はあいつと口づけをしたことがあるから!!」
襖を開けたまま、何が起きているのかわからず立ち尽くす葉介。
しかし、妹狐が叫んだことの心当たりはある。おそらく、あのヒダル神騒動の時
のことであろう。
真っ赤になり興奮状態の妹狐と、青ざめた顔で葉介を見る雛と楓。
当の妹狐は、自分の言ったことの恥ずかしさに気付いたのであろう。真っ赤な顔
で周りを見渡し、あ……、うあ……、と言葉にならない呟きを発すると、一目散に
駆け出して行ってしまった。
「よ、葉介さん。やっぱり子供のほうが……」
「葉介……、そなた、わらわに手を出さぬと思うたら……、まさか、あのような
幼い……、しかも男のような姿の女子にしか欲情せぬのか?ま、まさか衆道の気
が……。い、いや、ではなぜ……あの時はあれほどまでにそそり立って……」
これまでの経緯はともかく、なにやら非常にまずい状況であることは理解した。
その後、必死になって言い訳……ではなく説明をする。隠していた部分を謝り、
不承不承ながらもなんとか納得してくれた二人が帰ったのは、それから一刻は過ぎ
た頃であった。
りんは葉介の土産を食いながら、なにやら縁側で木霊と話している。
「女はめんどくさいにゃー。皆いっしょにつがいになればいいのににゃー」
「おぬしもその女とやらなのじゃがのう……」
その後、疲れきった葉介が魂が抜けたようにふらふらと寝床に向かう姿は、木霊
曰く、さながら戦場跡に浮かび彷徨う鬼火のようであったという。




