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大江戸銀鈴あやかし絵巻  作者: 徳井ヒロシ
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幕間 楓

あれは、いつの頃だったろう。


まだわたしが幼い頃、父も母も、弟もいて幸せだった。


けっして豊かな暮らしではなかったが、村全体がそんなものだったし気にはならな

かった。


父様も母様も優しかったし、四つ離れた弟は可愛かった。


家の手伝いの合間に、お澄ちゃん、お凛ちゃん。太郎ちゃんたちと遊ぶのは楽し

かった。


村のみんなは家族のようなものだったし、みんなが村の子供たちを、我が子のよう

に可愛がってくれた。


あの時までは……。


わたしが十になった頃、村を流行り病が襲った。


大人や、わたしくらいの年の子は大丈夫だったが、体の弱い、小さな子が病に罹っ

た。


それは、弟も例外ではなかった。


村でも幾人かの子が亡くなった。


弟も日に日に弱っていく。


そんな子供たちの面倒を見るために働き手が減り、当然のごとく稼げる銭も減って

いった。


そんなある日、家に見知らぬ男が来た。父様は難しい顔をし、母様は泣いていた。


そして、二人の前には見たことも無いほどたくさんの銭が置かれている。


見知らぬ男はわたしを舐めるように見ると、にやにやと笑っている。


わかっている。この前、お澄ちゃんが知らない男に連れて行かれた。


お澄ちゃんの父様も母様も、それを止めることはなかった。


ただ黙って、涙を流しながら連れて行かれるのを見ていた。


お澄ちゃんの家には、病気になってしまった弟と妹がいる。


わかっている。お澄ちゃんは売られていったんだ。


わかっている。わたしも売られていくんだ。


わかっている。それで弟の病が治るのならいい。


わかっている。それで父様と母様が無理して働かなくてすむならいい。


わかっている。わかっている。わかっている、わかっている……。


わかっている、でも……………………怖い!!怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!!


逃げ出したいくらい怖い!


でも、わたしが逃げたら弟は……、父様は、母様は……。



次の朝、昨日見た男がわたしを迎えに来た。


母様は昨晩、寝床でずっとわたしを抱きしめたまま泣いていた。


おかげで寝不足だ。


でも、わたしは泣かない。なぜなら、話を聞いた後、よく太郎ちゃんたちと遊んだ

裏山の隠れ家で、ずっと泣いたからだ。


一生分、泣いたからだ。


大丈夫。たくさん銭を稼いで戻ってくるから。そう言ってわたしは笑顔を作り、男

に連れられ村を出た。


道中、男はわたしに、おまえはこの年でもわかるほど大層な器量良しだ。すぐにで

も客が付く、などとよくわからないことを繰り返し言っていた。


そして、山道の途中に差し掛かった時だ、ふいに男が血走った目でわたしに向き直

ると、つぶやいた。


餓鬼のくせに、そんな色気を出してるおめぇが悪いんだぞ。本当は商品に手を付け

るなんて、あっちゃあならねえが……。


まあ、おめぇほどの色気なら、村で誰ぞと済ませちまってるって言っても通じるだ

ろう。


いずれはすることだ。早めに慣れておいたほうがいいぞ。


男はそう言いながら、わたしに覆いかぶさってきた。


なにが起きたのかわからない。しかし、本能的に恐怖を感じ、大声で叫び抵抗する

が、大人の力にかなうはずもない。


わたしは着物を剥ぎ取られ、おぼろげながらも自分が何をされるのかを知った。


もう泣かないと決めた瞳から、恐怖のあまり涙がこぼれる。


しかし……。


今さら人の営みに関わるつもりは無いが……、このような幼子相手に、無粋なもの

よのう。


突然頭上から声が聞こえた。


わたしに覆いかぶさっていた男は慌てて飛び起きた。


おかげでわたしも、その人を見ることができた。


何だろう?時々村に来る山伏みたいな格好をしている。でも少し変なのは、鼻が驚

くほどに高い。それに背中から出ているのは……、羽根……?


それはまるで、村の爺様が話してくれる、昔話の天狗のように……。


気付いた時には、男は地面に倒れていた。


うつぶせに倒れ、ぴくりとも動かない。


わたしは助かったんだと思った。


しかし、子供心にもわたしが売られなければ、大変な状況になることはわかってい

る。


混乱した頭と、拙い言葉で事情を説明する。


だが、山伏は落ち着いた様子だ。


なに、お主ともども崖から落ちて死んだということにすれば良い。そうだな、草鞋

もあったほうがいいだろ。


そう言うと、男を担ぎ上げ、わたしの着物と草鞋を持ったまま空へ浮かぶとどこか

へ飛んでいった。


人が飛ぶなんて初めて見た。ああ、この人はやっぱり天狗様なんだ。


男がその後どうなったかなど、気にしている余裕は無かった。


少しして、天狗様は戻ってきた。


さて、今ならお主を家に帰し、ひっそりと生きさせる手立てもあるが……。

どうする?


わたしの答えは決まっていた。


今家に戻っても、結局は同じことだろう。


いずれはわたしが戻ったことがわかり、みんなに迷惑をかけるかもしれない。


なにより……、空を飛ぶ天狗のように自由に生きたい!


わたしは天狗に連れられ、山奥で暮らした。


それから、どれだけの月日が経ったのかはわからない。


ただ、わたしが大人の姿に成長するほどの時は流れた。


そしてわたしは、厳しい修行の末…………、天狗になった。


それから何年経ったのかはわからない。父様も、母様も、弟の姿を見に行っても

いない。


心配でたまらなかったが、知るのが怖かったのかもしれない。


それ以上に、人でなくなった自分の姿を見せるのが怖かったのかもしれない。


ただ、無限とも思える年月が過ぎた。


天狗にふさわしく、威厳があるであろう振る舞いや言葉使いも身に付けた。


時には気に入った人間の男と一夜を共にした。


だが、人間は所詮人間である。


わたしは恐怖の対象か、欲望の対象と見られた。


それからは山奥にこもり、人の世の移ろいとは無縁の時を過ごした。



しばらくして人が捨てた寺を見つけ、何となく住み始めた頃である。


ある男の噂を聞いた。


陰陽師でもないのに、ありえぬことにあやかしと共生しているという。


興味本位で見に行った先で、葉介に出会った。


葉介を病にしてしまった時、遠い昔に忘れてしまった、弟のことを思い出した。


葉介の作った握り飯を食べたとき、遠い昔に食べた、母様の料理を思い出した。


葉介の優しさに触れ、遠い昔に頭を撫でてくれた、父様のことを思い出した。


葉介の瞳を見たとき、わたしが人間であったことを思い出した。


そう言えば、葉介のところの猫又は、(りん)って言うんだっけ?


字は違うけど、お凛ちゃんと一緒だ。


もう、遠い昔にみんな死んでしまったのだろう。


忘れていた過去が蘇る。


忘れていた人の感情が蘇る。


忘れていた涙が蘇る。


それとともに、あらたな感情が芽生える。



ああ、わたしは葉介が好きなんだ……。

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