二十九 尼天狗 その一
おだやかに晴れた日であった。だんだんと真夏の暑さも和らぎ、秋を感じさせる
心地い風が吹いている。
今日は朝から雛が家を訪れ、料理が終わると洗濯を済ませてくれていた。
さすがに全てを任せられるほどずうずうしくはないため、今は葉介が洗濯物を干
している。
「わたしがやりますから、休んでいていただいても……」
「ははは、いいんですよ。何から何までお世話になって、これくらいしないと罰が
当たりますから」
雛は恐縮しているが、さすがそこまでさせるわけにはいかない。りんは我関せ
ずと雛の差し入れの煮干をかじっているが……。
しかしいい天気だ。まさに雲一つなく、おだやかな風が気持ちいい、と思った
矢先、
「きゃあっ」
「うわっ」
ごおっという音と共に突風が吹いた。いくつかの洗濯物が地面に落ちてしまって
いる。
「あちゃー」
「あ、あの、わたし洗い直しますから」
「い、いやいいんですよ。砂を落とせば……」
そこで言葉が止まる。洗濯物を拾い上げ、顔を上げた先に女が立っている。
そこには先ほどまで、確かに誰もいなかったはずである。
「あ、あの、どちら様でしょうか?」
それには答えず、周りをぐるりと見渡した女は葉介に視線を止めると、
「ふむ、そなたが猫又の主か。なるほど、ちと線の細い頼りなさげな男だが……、
まあ顔は悪くないのう。なかなかに男前じゃ。それに面白い霊力を持っておる」
なにやら独り言をつぶやいている。
頭に尼のような頭巾を被っているが、尼ではなさそうだ。法衣ではなく桜模様の
小袖に、見事な赤色の袴を着ている。それに頭巾が膨らみ、隙間から美しい黒髪が
覗いている。剃髪しているわけでもなさそうだ。
年は葉介よりやや上であろうか、なにより……、頭巾で全体が見えぬとはいえ、
その顔は驚くほど美しかった。それを見ると、まだまだ兄狐が子供だと実感させら
れるほどに妖艶な女性である。
しかし、背中より伸びた二つの白い羽。その存在が、彼女が人ではないと確信さ
せる。
「尼天狗がこんな人里にいったいなんの用じゃ?」
さすがにこの状況は気になったのだろう。木霊が出てくる。
「尼天狗……。やはり天狗なのですか」
葉介が伝え聞く修験者然とした格好とは少し異なるが、天狗の話は有名である。
背に生えた羽根と、右手に持った八つ手の団扇、何より醸し出される気位の高さが
いかにも天狗であると感じさせる。
「それで、お前さんほどのあやかしが何をしに来たんじゃ?」
「なに。近頃巷で面白い噂を聞くじゃないか。なんでもあやかしを手なずけ、あま
つさえ退治して回ってる人間がいると。面白そうだしちょっと見にきただけじゃ」
盛大な誤解である。
「ち、違います。私達はあやかし退治などしていません。ま、まあ結果的にいくつ
かはそうなってしまっただけで……」
慌てて言い訳するが、女天狗はおかしそうに笑うと、
「ああ、別にあやかしの仕返しをしようとか、そんなことではない。わらわはそな
たがどんな男か見に来ただけじゃ。心配せずとも、見たら帰るつもりじゃ」
帰ってくれるという言葉に葉介は安堵する。天狗が何かしでかしたらというのも
心配であったが、それ以上に気になることがあったのである。
その気になることとは……、彼女の胸であった。
それは葉介の周りの女性、いや、自身が今までの人生で出会った女性の、どれを
も凌ぐ大きさであった。
そのおかげで、きちんと着物を着ているにも関わらず、胸の上部がこぼれて見え
かかっている。兄狐のようにわざとはだけさせているのではなく、まさに自然のま
までそんな状態あった。
おかげで葉介の視線はあちらこちらとさまよい、それを見つめる雛の視線がどん
どんと凍り付いて行くのを感じる。
早めに帰ってもらわないと、当分雛からの差し入れがなくなりそうである。
「そ、そうですか。名残惜しいですが。あ、よかったら昨日買ったものですが、
饅頭がありますのでよかったら土産にでも」
「にゃ!あれはあたしのにゃ!」
りんは怒るが、この際早く帰ってもらったほうがいい。饅頭を取りに家に入ろう
としたが、
「ふむ、帰るには帰るが、気が変わった」
「へ?」
「そなた、気に入ったぞ。連れて行くことにした。わらわと子を成すがよい」
天狗は、突然突拍子もないことを言い出した。
「ほう、お前さんよりどりみどりじゃのう。うらやましいことじゃ」
「ちょ、木霊さん!冗談言ってる場合じゃ」
「にゃ?」
「そ、そうですよ。連れていくなんて絶対にだめです!そ、それに……葉介さんは
わた……」
雛の言葉の途中で天狗が右手の団扇を振るうと、再び突風が起きる。その風がお
さまったあと、葉介と天狗の姿はどこにも見あたらなかった。




