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大江戸銀鈴あやかし絵巻  作者: 徳井ヒロシ
3/55

三 野良猫

 その日はうだるような暑さであった。


 葉介は、依頼先の芝居小屋に頼まれた筋書きを渡し、家路を急いでいた。


 額に汗をしたたらせながら歩く姿は、年の頃なら二十歳ほど。背は周囲の人たち

から見ればやや高めであるが、痩身で色白の、どちらかというまでもなく優男であ

る。


 しかしながら、柔和な顔立ちには知性を感じさせ、町行く女性から目を向けられ

ることもしばしばであった。もっとも、本人にその自覚はまるでなかったが。


 葉介は外見からもわかるように、力仕事を生業とする男ではない。では何をして

いるかといえば、物書きである。


 幸いなことに、二親ともに教育に理解のある人物で、幼少時より読み書きや算術

を習うことができた。


 本人も体を動かすより机に向かうことが好きだったのであろう、今では生活の糧

に役立っている。


 とはいえ、本人が夢見るような物語を出版できるほどのこともなく、芝居の筋書

きや、読み売りからの依頼があれば駄文を書きちらし生活していた。


 そういえば、もう何年も前のことであろうか。葉介が少年の頃に黒船が来航して

以来、少しずつ町は変わっていた。


 侍たちには何やらきな臭い風が吹いており、時おり起きる事件のおかげで葉介の

仕事も少しばかり増えた。


 しかしながら、庶民の暮らしにはまだまだ大きな影響を及ぼしてはいなかった。


「しかし暑い……」


 汗がとまらない。こう暑くてはたまらない。


「いっそのこと氷でも食べていくか……」


 懐には先ほど芝居小屋から受け取った銭がある。


「いやいや、もったいない。帰って水でも浴びればなんとかなるだろう」


 葉介の両親はすでに他界している。


 そのため生活は楽ではないが、幸いなことに小さいながらも家を残してくれたた

め、今の稼ぎでもじゅうぶんに食っていける。


「それじゃあ、さっさと帰るとするか」


 ほどなく自宅近くの魚屋を通り過ぎる。


 この魚屋は葉介の幼馴染の熊吉(くまきち)という男が主である。幼馴染など

といえば聞こえは良いが、熊吉は葉介の二つ三つ上であり、餓鬼大将であった。


 その名のとおり熊のようにずんぐりした大きな体を持ち、気性も荒く、気の弱い

葉介少年は、幼少時はよくいじめられたものである。


 葉介はなるべく店主の目につかぬよう、そそくさと通り過ぎた。


 が、その時ふと小さな音が耳に入った。


…リン………チリン……


 はじめは空耳かとも思った。しかし、その鈴の音のような音は、途切れ途切れで

はあるが確かに路地のほうから聞こえてくる。興味をひかれた葉介は、音のするほ

うへ近づいていった。


いた!


 そこには銀色の毛並みの、まだ大人になっているとは言い切れない、一匹の猫が

横たわっていた。もちろん猫など珍しいものではない。


 ただ、見たこともないような美しい銀色の毛並みと、苦しげに体を動かすたびに

かすかに鳴る首元の鈴が気になり、葉介はしばらくの間その場を動くことができな

かった。


「なんでぇ、こんなとこでくたばられちゃぁ、たまったもんじゃねえぞ」


 突然の言葉に我に返り振り向くと、背後には熊吉が立っていた。


「ん?青瓢箪じゃぁねえか。なんだ、お!そいつついにくたばりやがったか?」


 青瓢箪とは葉介の昔からのあだ名である。まあ反論の余地もなく、多くの人が

納得してしまう言葉であると本人も自覚しているのだが……。


 嫌な男に見つかったな。とは思ったが、今は目の前の猫のほうが気になる。


「この猫は熊さんとこのですか?」

「けっ、とんでもねえ。こいつはただの野良だ。鈴はたぶん、この前おっ死んだ、

川向こうのばあさんがつけたんだろうよ。あのばばあ、そこらじゅうの野良に餌付

けしてやがったし。こいつも時おりうちの魚を狙いやがって。できれば俺がぶっ殺

してやりたかったところだがな」


 そうまくし立てると、熊吉は続けた。


「まあ、そんなところで死なれても商売の邪魔だ。川に捨ててくるからそこをどけ」

「え?いやいや、待ってください。まだ生きてるじゃないですか。それに看病すれ

ば元気になるかも……」

「あ?何言ってんだてめぇ。そいつはもうダメだ。それに俺がそんな盗っ人助ける

と思うか?」

「しかし……」

「しかしも糞もねえ!じゃあなんだ?おめぇが責任持って始末してこい。もし元気

になっても、俺んとこに近寄らせんじゃねえぞ。ま、死ぬのは時間の問題だし、そ

んなことにはならねえがな」


 結局熊吉の勢いに押されたのと、その猫がどうしても気になったこともあって、

葉介は猫を抱き抱え家に連れ帰った。

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