二十一 狸再び
「なんにも起きないにゃー」
しばし佇んでいたが、子供があらわれる気配は無い。だんだんと闇が深くなり、
辺りが見づらくなってきた。
「りん、暗くなってきたし提灯を点けよう」
「なんにゃ?葉介はこれくらいで見えないのかにゃ?」
りんは不思議そうな顔をする。そうだ、あまりの人間くささに忘れそうになる
が、確かにこいつは猫なんだ。
あらためて頭上の耳や尻の尻尾を見つめてみる。
「なんにゃ?発情したのかにゃ?」
「ば、馬鹿!何てことをいうんだ!まったく……」
慌てて提灯に火を入れ、あたりがぼんやりと照らし出される。しかし子供の姿は
見当たらない。少し離れた場所に地蔵が一体立っているだけである。
「今日は出ないのかもな。仕方ない。りん、帰ろう。また明日にでも……」
と、そのときに、地蔵が揺れた気がした。
「ん?」
地蔵に向けて提灯をかざす。すると、そこにあったはずの地蔵は無く、話に聞い
たとおりの、小さな男の子が立っていた。
男の子は葉介たちの方に向かいまっすぐ歩いてくると、”にっ”と笑顔を浮かべ
両手を広げてとおせんぼをした。
「おーっ!出たにゃ!捕まえるにゃー」
いきなり飛び掛ろうとするりんを落ち着かせ、まずは話をしてみる。
「や、やあ、こんばんは。こんなところで何をしてるんだい?」
しかし、子供はにやにやとしたまま、何も答えず両手を広げている。
「ええと、君の名前は何て言うんだい?例えば猫又とか、そんな呼ばれ方があるん
じゃないのかい?」
葉介の問いにも子供は何も答えない。
「そうだな、例えば何か欲しい物があるとか、人間にこんなことをしてほしいと
か……」
「うにゃー!まどろっこしいにゃ!」
「こ、こら!りん、やめなさい!」
痺れを切らしたりんが子供に飛び掛る。
”ポン”
話に聞いていたとおり、子供の姿は二人となる。
「ああ、やっちゃったよ……」
「にゃはははは!すごいにゃ!増えてくにゃ!」
目の前で子供が分裂するように増えていくのがよほど面白かったのか、りんは
手当たり次第に子供を引っかき、数を増やしていく。
どんどん増えていくその数は、今や野原を覆いつくすほどになっている。その数
はもはや数え切れるものではなくなっている。
「お、おい!いい加減に……」
しかし、言葉を止めた葉介は、目の前の状況に変化があらわれたのに気付く。
確かにあやかしは無限とも思える勢いで増えていくのだが、それ以上の勢いでりん
は嬉々としてあやかしを追いかけているのである。
それはまるで、鼠を追いかける猫の本能のように。
やがて、あやかしにも変化があらわれた。今までは引っかかれるたびに音を立て
て増えていった子供が、引っかかれるたびに逆に音を立てて数を減らしている。
その数は見る見る減っていき、やがて数え切れる程度の数となった。
残った子供達は真っ赤な顔をし、息も絶え絶えで今にも倒れそうである
「なんにゃ?もう終わりにゃ?もっと追っかけっこしたかったにゃ」
反対にりんは、まだ遊び足りないようにけろっとしている。まったく、なんて
体力だ。
その時ふと、葉介の中に先日の記憶が蘇る。このあやかしが増えていく時の光景
は、どこかで見覚えがある。……そう、あののっぺらぼうに化けていた狸が正体を
あらわしたとき、煙球が爆ぜるような、こんなふうに正体をあらわしたはずだ!
それとともに、先ほどの木霊の言葉が思い出される。葉介は、いきなり口の中に
指を突っ込むと、唾をつけ眉に塗り始めた。
「な、何してるにゃ葉介。汚いにゃ!」
りんが引いているが、実物を見せたほうが早い。葉介はさらに口の中に指を突っ
込むと、りんの眉にも唾を塗り始めた。
「な、何するにゃ!汚いにゃー」
りんは葉介の顔を引っかこうとする。
「落ち着け!あのあやかしを良く見てみろ!」
「あ……!、あいつ、この前のちび狸にゃ!」
残っていた子供達はいつのまにか消えうせており、その後には一匹の、あの子狸
がいるだけであった。
後に木霊に聞いた話によると、あのあやかしは小僧狸といって、単に人の通行
を妨げ、化かすだけのあやかしらしい。もっとも、狸はいろんな性質をもっている
ため、あの子狸が小僧狸と言うわけではないようだが。
おそらくのっぺらぼうに化けた時のことが悔しかったのだろう。噂まで広めて
葉介たちを誘い出したのはいいが、まんまと返り討ちにされてしまったようであ
る。いや、あの時も決して悪気はなかったのだが……。またしても罪悪感に苛まれ
る葉介であった。
「それにしても、よう気付いたの」
「はい、木霊さんから正体があると言われ、先日の狸の化かし方とそっくりだと
気付いたのと、嘘臭い話をなんと言うかでわかったんです」
「ふむ、上出来じゃ」
「あの、いったいどういうことなんでしょうか?」
雛が口を挟む。
「うむ、世間では怪しげな話のことを”眉唾物”と言うであろう。あれはちゃんと
した根拠があってのことじゃ。古来より狐や狸に化かされそうになった時は、眉に
唾を塗ると真実が見えると言われておるのじゃ」
「そ、そうなんですね!それで葉介さんたちに狸さんの姿が見えたと……。さすが
葉介さん。頼りになります」
顔を赤らめ、潤んだ瞳で見つめられるとさすがに照れくさい。
「い、いえ。今回も木霊さんの助言があってのことですし……。それにあの子には
悪いことをしてしまった気も……」
「まあ気にすることは無い。あやつもそれが存在する理由じゃし、二度も失敗して
は、当分おとなしくしておるじゃろう」
あの泣きながら駆けていった子狸の姿を思い出す。確かに当分は人前に出たくな
いだろう。ともあれ、それからそこで人が化かされたという話はぴたりと止んだ。
ただしばらくの間、近所中で葉介は妖怪退治屋である、という噂が流れたのには
閉口したが……。




