十八 加牟波理入道
そろそろ日も暮れかける頃であったが、目の座った雛の様子に誰も逆らえず、
厠前に集合していた。
りんは熊吉の家に来るのを嫌がったが、雛から好きなだけ魚を食わせてやると
言われ、渋々ついてきた。
熊吉は渋ったが、今の雛に逆らうのは危険と判断したようだ。
なぜりんを連れてきたかといえば、雛が厠へ入るのを頑なに拒否したためだ。
本当に用を足す必要は無いとはいえ、やはり怖いのだろう。
しかし、男が入ったからといって、加牟波理入道が現れるとは限らない。
そこでりんに白羽の矢が立ったわけである。
「よし、始めるか。りん、頼むぞ」
「ごめんなさい、りんちゃん。私のわがままで巻き込んでしまって。こんなことし
か言えないけど、気を付けてね」
「かまわないにゃ。あたしもそのがんばれ入道を見てみたいから平気にゃ。あと、
約束はちゃんと守ってもらうからにゃ!」
りんはこの後のご馳走のことで頭が一杯のようだ。あやかしの名前もわかってい
ないようだが、それはまあいいだろう。
「おい、呪文を忘れてないだろうな」
「心配ないにゃ。任せておくにゃ!」
うーん……。本当に大丈夫か?
まあ、いざとなれば自分が飛び出して唱えればいいか。
熊吉は仕方なく頼んだとはいえ、やはりりんが家の中にいるので良い顔はしてい
ない。
「んじゃ、始めるにゃ」
言うが早いか、いきなり勢いよく着物を脱ぎ始める。
「な!?」
「ちょっ……、りん!何してんだ!」
「り、りんちゃん?だめよ!こんなところで脱いじゃだめ!」
雛と二人で取り押さえる。熊吉は少し顔を赤らめ、そっぽを向いている。
普段の態度の割りに、純真な男である。
「何って、厠だから用を足すにゃ」
「ば、馬鹿、振りをするだけでいいんだ。本当にするやつがあるか」
「なんにゃ。それでいいのかにゃ?」
何とかりんを納得させ、中に入らせる。万が一のために閂を掛けないようにさせ
て、木霊に教わった呪文を繰り返させる。
「大丈夫にゃ。あたしが退治してくるにゃ」
「いや、退治するんじゃない。追っ払うだけでいいんだ!」
やや不安は残るが、扉を閉める。
次に熊吉たちと二手に分かれる。
葉介は庭の格子窓が見える位置に隠れ、熊吉は扉の外で待機する。雛はとりあえ
ず熊吉のそばにいた方が安全だと考え、そちらで待機してもらおうとしたが、
「わ、私も正体が見たいので庭に行きます!」
という一声で、葉介と行動を共にすることとなった。まあ、単純に戦力
を考えれば、熊吉は一人で十分だろうし、こちらが正解だろう。
雛とともに、庭先の植え込みの間にしゃがみ込み、様子を伺う。
「ま、また来るんでしょうか?」
やはり怖いのだろう。雛はしゃがみこむ葉介の腕を掴み、ぴったりとくっついて
くる。
「わかりません。でも雛さんが怯えながら暮らしていくなんて、放っておくことは
できません」
「葉介さん……」
雛は顔を赤くし、俯いてしまった。おそらく覗かれたことを思い出し、恥ずかし
くなったのであろう。しかし、心なしか笑顔に見える気もする。
「それで、そいつはどんな奴だったんですか?」
思い出させるのは可哀想だが、もう少しあやかしの情報を確認しておいたほうが
いいだろう。
「は、はい。見た感じは中年の男性でしょうか。頭は禿げあがってて、太っただら
しない体付きでした。あ、あと蛸みたいに唇を突き出して、団子っ鼻をしていて、
それに何より、人を見る目つきが物凄くいやらしくて、気持ち悪かったんです」
「そ、そうですか…………」
いや、明らかにちょっと見ただけで消えていったあやかしを、そこまで詳細に観
察する暇はなかっただろう。
半分以上は雛の中の嫌悪感が作り上げた想像だろうが、いかに心に傷を受けたか
はわかった。
「それに、手つきもいやらしい感じで、隙間から……」
「しーっ!静かに」
その時、格子窓の付近に黒い靄がかかり、だんだんと煙があがってくる。それが
だんだんと形を作っていき、やがて人の形となった。
「なっ……」
空中に浮かび上がったそれは、まさに雛の言ったとおりのあやかしであった。
この子はどれだけの記憶力と観察眼があるのだろう……。
「ひっ……。あ、あれです。あのあやかしが覗いてたんです」
「りん!出たぞ!呪文を言うんだ!」
しかし、厠の中から聞こえてきた声は、
「にゃははははは!禿げ頭にゃ、がんばれ入道じゃなくて蛸入道にゃ!」
りんは、加牟波理入道を見て大笑いしている。
「お、おい、そんなことより早く呪文を……」
そんなこちらの心配をよそに、あろうことか、りんは格子に飛び付き、片手でぶ
ら下がると空いた片手を隙間から出して、入道の禿げ頭をぺしぺしと叩き始めた。
「ば、馬鹿!危険かも知れないんだぞ」
葉介が飛び出して呪文を唱えようとした時、
「はぁぁぁぁー」
加牟波理入道が突然悲しげなため息をついた。
「はぁ、まったく何と嘆かわしいことだ。しばらく出てこぬ間に、女子という
のはこうも変わってしまったものなのか?こんな慎みの無い女子の用足しを見ても
面白くもなんともない……。しかも何じゃ、その髪の色は!女子の髪といえば、
吸い込まれそうなほどの黒髪と相場は決まっておろうが。やはり、先ほど見た大和
撫子のような女子はそうそうおらんもんだのう」
りんに頭を叩かれながら、悲しげに愚痴を言った入道は、
「あの娘なら毎日でも見たかったが、興ざめじゃ。せっかく出てきたが、またしば
らくはおとなしくしておるか」
そう言うと、現れたときと同じように煙と共に消えていった。
騒ぎを聞き庭へ駆けつけた熊吉も呆然と見送っている。
「え、ええと、解決……ということでいいのかな?」
横にいる雛を見る。しかし、雛は真っ青な顔で壊れたように、
「がんばりにゅうどうほととぎす、がんばりにゅうどうほととぎす……」
と、ひたすらに繰り返していた……。
ちなみに、その後雛の前に加牟波理入道があらわれることは無かった。




