二 人生
「いや、私に取材が来るなどといつ以来のことでしょうか。なにせ体はそこそこ
元気なのですが、何十年も隠居生活を送っておりましたので、世間様は私などとう
の昔におっ死んだと思っているでしょうね」
そう言って老人はカラカラと乾いた笑い声をあげた。
確かにところどころ聞きづらい言葉はあるのかもしれないが、九十歳近い老人と
は思えないほど、言葉には力があった。
「とはいえ、私はなにも特別なことをしてきたわけじゃありません。ただ、あるが
ままのことを、あるがままに書き連ねてきただけなんです。その結果として、世間
様に様々な評価をしていただきました。別に私は特別な存在でもなく、特別な才能
を持っていたわけでもありません。」
そう言った後、老人はふっと自らの右隣をやさしげな目で見つめた。
その取材を担当していた女性記者は、老人がときおり見つめる先と、椅子の肘掛
けに置かれた右手が何かを優しく握るような仕草がなぜか気になったが、続く老人
の言葉に意識を戻した。
「ええ、私は妖怪文学の権威などと呼ばれていますが、買い被りですよ。私の書い
ているものは、ただの私小説……、『のん・ふぃくしょん』ですから……。
ああ、すみません。こんなことを言ってもよくわからないですよね」
老人は少し寂しげに笑った。
「ただね、妖怪、あやかし、モノノケと呼ばれるものは確かにいる………。いえ、
いたのですよ。徳川様のおおらかなご時勢には、人とあやかしは共存していたし、
今よりもずっと多くの人が彼らを見ることができました。何より皆、彼らの存在を
信じていました。私はただ彼らとの日々を書き留めただけなんですよ」
そう言うと老人は遠く、ここではないどこかを見つめていたが、ふと我にかえっ
たように、
「そういえばお嬢さん…、いえ、新聞記者の方にお嬢さんなどというのは失礼です
ね。ただ私も幸せなことに、曾孫にまで恵まれまして、あなたを見ていると娘や孫
たちが成人した頃を思い出しまして、なんとも懐かしい気持ちになりましてね」
そう言うと少し照れたように、しかし優しい目で記者を見つめた。
この取材を任されたのは、入社一年目の女性記者であった。正直に言ってしまえ
ば、新聞社からすれば。記事の空欄を埋めるための適当な取材対象であったし、あ
まり期待していない新人へ、とりあえず仕事を与えるという程度のものであった。
彼女自身も大昔の有名人などに興味はなかったし、もっと社会を揺るがす事件や
スクープ記事、とりわけ昨今世間を賑わせている”怪盗百面相”なる義賊の記事を
書くことに強い憧れを持っていた。
女だてらに、などと陰口を叩かれながらも努力し、地方紙とはいえ憧れの新聞記
者となったのだ。
しかし、どんなに崇高な目的を持って仕事をしようが、若い女であるということ
を理由に不快な思いをすることは多々あった。
記事が欲しければ。他社よりいい情報が欲しいんだろう?などと露骨な誘いをし
てくる者もいた。
が、この老人にはそういったいやらしさは微塵も感じられない。
もちろん年齢的にこの老人に何かができるとは思わない。しかし、たとえこの
老人が二十代であっても、そういったことはしないであろうという清廉さが感じら
れた。
鶴のように痩せて、頭髪はわずかに白いものが残る程度に禿げ上がっていたが、
子供のような無邪気さを感じさせる瞳は、彼女にとって自分が生まれる前に亡く
なった祖父はこのような人物であったのではないか、いや、このような人であって
ほしいとさえ思わせた。
「いや、すみません。いささか話があらぬ方向へ向いたようで」
そう言うと老人は再び語りはじめた。
「私もずいぶんと長く生きました。 徳川様のご時勢から、明治、大正と渡り歩き、
ついには昭和なんて時代も生きることになるなんて、あの頃は思いもしませんでし
た」
そう言うと傍らに置かれた茶に手を伸ばし、一口飲んだ。
「あのご一新から、いろんなことがいっぺんに変わりました。西洋の文明がたくさ
ん入ってきて、町には便利な自動車が走るようになりました。ガス灯どころか、今
では電気が通るようになって、夜でも明るく、治安も良くなりました」
「確かに戦争という悲惨な出来事もありましたが、幸いにも生きながらえることが
できました。それになにより、医学の進歩が大きかったでしょうね。西洋医学がな
ければ、私などとうの昔にこの世にいなかったでしょうから」
そう言って笑った後、老人は少し悲しそうな目をして、まるで無意識に独り言を
言うように呟いた。
「でも、私にとっては得たものよりも失ったものの方が多かった。あの子たちはみ
んな消えて、いなくなってしまった……」
ひとしきり老人の取材を終えた頃には、彼女は取材対象としてではなく、一人の
人間として老人に興味を持ち始めていた。
老人が専門とする妖怪についてのこと、老人が先につぶやいた言葉の意味……。
もちろん彼女とて、怪談や妖怪話の類は知っている。ただ、それは空想のお話で
あり、自然災害の擬人化や、子供のしつけや教育のための作り話であると理解して
いる。
ただ、この老人がただの妄想、空想壁の持ち主であったり、彼女をからかって楽
しんでいるようには思えない。
約束の時間を随分と越してしまうし、おそらく記事にはできない個人的な興味で
あることを謝罪し、よければ話を聞かせてほしいと伝えると、むしろ老人はうれし
そうに答えた。
「あなたのようなお若い方に、興味を持っていただけるのはうれしいものです。
私も久方ぶりに彼らのことを思い出すこともできました。つまらない、長い話で
すが、よければ聞いてやってください」
そう言うと老人は遠くを見ながら、おだやかな口調で語りはじめた。




