第三幕 : 桜魔(おうま)
「その化物は、“桜魔”という名前」
それは、聞き覚えのある女子の声。数十分前にも聞いた、あの“おとなしい華ちゃん”の声、そのものだった。
「何故、こんな所に……」
振り替えると、数メートルしか離れていない所に“華ちゃん”こと“華江梨花”はいた。これ程近づかれていたにも関わらず、俺はその気配に気付けなかった。そして彼女の服装にも驚かされた。合コンの時は制服を着ていた筈が、今彼女は、何故か能装束(袴は大口)を身に纏っているのだ。
「近いうちにあなたが、桜魔と意図せず接触すると考えられた。だからあなたの行動を把握。そして今、桜魔の気配を感じ此処に来た。」
淡々とした調子でそう言うと、彼女は“脇差”を取り出した。訳の分からないことが起こり過ぎているため、何がおかしい事なのか、もう分からない。
「桜魔を見て」
彼女に言われて“桜魔”とやらの方を見ると、いつの間にか、木に埋まっているのは足首より下だけとなっていた。
ここまで来てようやく気付いたのだが、“桜魔”の身体は大きかった。おそらく2メートル以上はある。皮膚は赤黒く、手足は長い。また、大きく黄色い両眼は離れ、裂けたように広い口には鋭い牙がびっしりと並んでいた。姿形は醜いものであった。
「もう直、桜魔が完全に生まれる。だからそこから離れて。」
促される通り、離れようとした。しかし……
それ以上動けなくなってしまった。足元を見ると、大きな手に足を掴まれていたのだ。そして、
「うわぁっっっ!?」
俺は引きずられるようにして、桜魔の方へと引っ張られた。そして桜魔の口から、恐ろしい言葉を聞いた。
「殺ス、殺ス、殺ス……」
逃げようとして桜魔の顔や身体を蹴ったが、桜魔はまるで気にも止めなかった。“死”を確信し、それでも足掻きもがこうとする。自分がこんなにも“生”に執着していたことを、死に近付いて初めて知る。
まだ死にたくない。この瞬間、そう願った。
「あなたは死なせない」
その声とほぼ同時に、桜魔の激しい断末魔が耳を突いた。やがて俺の足を掴む桜魔の手が緩み、桜魔自身も頭から倒れた。見ると、倒れた桜魔の後ろに“華江梨花”が立って見下ろしていた。手には鞘から抜いた脇差が持たれている。その脇差の刃からは、赤黒い血液が滴っていた。
その血は、桜魔のものなのだろう。
「大丈夫?」
彼女から手を差し伸べられ、俺は我に返った。
今の“桜魔”とは何なんだ?何故襲われた?何でタイミングよく助けられた?そもそも目の前にいるのは何者なんだ?
「1度に幾つも聞かないで。答えられないから」
そう言われ、黙ることにした。しかし、まだ落ち着いた訳ではない。混乱、恐怖に俺の思考は占められているのだ。
「分かっているとは思うけど。LINEでメッセージを送っていたのは私。」
何よりもビックリした。目の前にいる女子はおとなしい娘だ。とても“LINEの華ちゃん”の様に顔文字を多用し、感情豊かに話せるとは思えない。
「どう思おうと、それが事実。」
「次に、私が何者なのか、に対する答え。私は華江梨花。“鬼”の一人。」
“鬼”。確か今朝のLINEでのやり取りでも登場した言葉だ。俺が鬼になったとかどうとか。鬼ってのは何なんだ?
「“鬼”とは“桜魔”に近い人間。即ち、“桜魔を狩る者”。」