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繋がりのあるお話

年上女子と年下男子のありがちなお話

作者: ぽてとこ

可愛い恋愛が書きたくて、書いてみました。

拙いお話ですが、お楽しみいただけたら嬉しいです。

初めて見たとき、後姿が綺麗だと思った。

姿勢の良い背中、きちんとまとめられた黒髪、その間にある、白くてすらっとした首筋。

その首筋に触れたいと思ったとき、中村純太なかむら じゅんたは、自分のその欲望に驚いた。

そんなこと、今まで誰にも思ったことなかったのに。

大体、急に触ったりしたらセクハラで訴えられる。会社もクビになるだろう。入社したばかりだというのに。

じっと見過ぎていたからだろうか。首筋の持ち主が純太の方を振り向いた。

その顔を見た途端に、純太の鼓動が大きく鳴った。

恋に落ちた瞬間を、自分でもはっきりと感じたのだった。



「ジュン、そろそろ客席の清掃始めてー」

「はーい」


とある9月の日曜日の午後、純太は、小さな劇場の、小さな小さなロビーにいた。大学の時の知人が劇団を主宰していて、その手伝いに駆り出されたのだ。社会人であるため、土日しか手伝うことはできない。貴重な休日であるが、特に予定もなく、無料で劇を観ることができるので気に入っていた。

客席に入ると、一人だけ客が残っていた。アンケートを書いていたり、友人同士話し込んでいたりすると、劇が終わっても客席に長くいる客がいる。しかし、清掃をしなくてはならないため、これ以降はロビーでお願いするのだ。


「すみませーん、客席の清掃をするので、ロビーに移動お願いできますか?」


残っていた客に向けて言うと、「あ、はいぃ・・・」というくぐもった声が聞こえてきた。

どうやら、感動して泣いていたらしいその人は、まだ鼻をすすりあげながら、何とか立ち上がった。


「す、すみまへん・・・」


と言ったその人の顔を、純太はよく知っていた。


「・・・志田さん?」

「・・・ふえ?え?中村君・・・?」


それは、純太が初めて会ったときからずっと焦がれている、志田夕子しだ ゆうこであった。

あまりに意外なところで出会ったため、お互いにポカンとしてしまう。


「お、ジュン、彼女か?」


という、他のスタッフの言葉に、純太は我に返った。


「違いますよ!会社の先輩です!」

「またまたぁ~」

「ほんとですって!」


ムキになる純太がおもしろいらしく、からかい続ける。そこに、新たな声が加わった。


「ジュンが彼女連れてきてるって?」

「テツさんまで、やめてくださいよぉ」


澤部哲也さわべ てつやである。劇団の主催者で、純太を引っ張りこんだ張本人。そして・・・


「ブ、ブラック・・・!?」


夕子の声がする。そう、哲也は今回の劇で、硬派な脇役の”ブラック”役を演じていたのだ。


「観ていただき、ありがとうございました。ジュンの会社の先輩ですって?この後飲み会なんですが、せっかくのご縁ですし、どうです?」


何を思ったのか、哲也はいきなり夕子を飲み会に誘い始めた。純太は気が気でない。


「て、テツさん、ちょっと・・・」

「私のような部外者が混じっていても、場がしらけるだけですから・・・」


夕子はやんわり断ろうとしているが、少し気になるのか、声に行きたそうな雰囲気がある。


「いやいや、私たちからすれば、観客の意見をじかに聞けるまたとないチャンスなんですよ。明日からの公演にすぐ生かせますし。助けると思って!ね?」


こういう時の哲也は言い回しがとてもうまい。相手が本気で断っていたら無理はしないが、そうでなければ相手が行きやすい理由や状況を見事に整えてくる。


「じゃあ、少しだけ・・・」


夕子の返事を聞き、純太も慌てて言う。


「お、俺も参加します!」

「あっれー、純太君は、明日の仕事に備えて早く帰って寝るんでしょぉ?」


厭味ったらしく哲也が言ってくる。そのつもりだった。なぜなら、この劇団の飲み会はひたすら長いのだ。そして、哲也は妙に純太に絡んでくる。しかし、夕子だけをそこに置いていくわけにはいかない。


「いいから俺も参加しますっ!」


ニヤニヤしている哲也の顔を見ないようにしつつ、他のスタッフに宣言し、さっさと客席を掃除する。夕子には、ロビーで待っててもらった。


清掃が終わって身支度をし、ロビーに行くと夕子がベンチに座っていた。

先ほどはゆっくり見る余裕がなかったが、夕子は会社ではなかなか見ない格好をしている。薄手のワンピースにカーディガンを羽織り、今日は珍しく髪を下ろしている。休日仕様なのだろうか。会社ではいつも、一つ結びにして大きなクリップで上げている。

今日は綺麗な首筋があまり見えなくて残念だが、哲也以下劇団スタッフたちに見せたくはないのでよかったのかもしれない。

ついついそんなことを考えていたら、夕子を凝視していたらしい。夕子が、純太の視線に気づいた。


「中村君?どうかしたの?」

「あっ、いえ、今日は髪を下ろしてるんだなって・・・」


ついつい考えていたことをそのまま言ってしまう。しまった、と思ったが、夕子は気にした様子はなかった。


「ああ、これ?いつもみたいに上げていると、背もたれに当たって、劇に集中できないから・・・」


確かに、背もたれに寄りかかるときは邪魔になってしまうのだろう。休日仕様というより、観劇仕様だったらしい。


「そういえば中村君、なんでここにいたの?・・・うちの会社、副業は禁止してるはずだけど」

「あ、バイトじゃないですよ!?ただのボランティアです!さっきの強引な人・・・澤部哲也っていうんですけど、あの人が大学のサークルの先輩で。暇なとき手伝えって、駆り出されたんです」

「ブラックが、大学の先輩?」


役名の方が、夕子にはしっくり来たらしい。そんな話をしていたら、ほかのメンバーも衣装やメイクから解放されて、普段着でやってきた。


「よぉし、ジュン、行くぞぉ!」


哲也が純太の肩に乗りかかるようにして、体重をかけてくる。


「テツさん、重い!重いって!」


そんな2人の様子を見て、他のスタッフは「まーたじゃれてるよ」「テツさんはジュンが大好きだねぇ」とつぶやくのだった。




一行が着いた先は夕方から飲める居酒屋の個室だった。飲み会参加者は、哲也含め劇団員が6名に、純太と夕子である。飲み物と料理を数品注文してから、哲也が言った。


「そういえば名前聞いてなかったね」

「あ、志田夕子と申します。中村君の会社の同僚です」

「ユウコさんって、どういう漢字なの?」

「夕焼けの夕と書きます」


(おいこらぁ!さらりと名前呼びなんかするんじゃないっ!)


純太はやきもきしているが、距離があって邪魔しに行けない。

居酒屋に着いて早々、夕子は一番奥の席、その隣に哲也が陣取り、純太は一番遠い席に追いやられた。何か陰謀を感じる配置だ。


「夕子さん、美人だねー。モテるでしょ?」

「そ、そんなことないですよ。私より、弟の方がずっと綺麗なので・・・」

「弟?妹じゃなくて?」

「はい、弟です。確か写真が・・・あ、あった」


志田さんには弟がいたのか、と純太は心にメモする。夕子はスマホを取り出し、操作している。


「これです」


スマホを受け取ってみた哲也が、「おぉっ!」と言ったのを見て、周りの劇団員も、「こっちにも見せろ!」と手を伸ばす。哲也はそちらにもスマホを向け・・・たにも関わらず、器用に純太にだけは画面を見せなかった。


(このぉ・・・テツさんのいじわる!)


心の中で悪態をつくが、哲也は気にせず、夕子や劇団員たちと話をしている。


「本当に、弟さん美人だねー」

「はい、自慢の弟です。ファンも多くって、『姫』って呼ばれています」

「あーそう呼ぶの分かるー」

「弟さん、いくつ?」

「今年から大学生です」

「モテて大変そうだねー」


と言っていたところに、飲み物とお通しが来た。乾杯をしてから、純太はふと気付く。


(あれ?志田さんがお酒飲むところって見たことないけど・・・飲めるのかな?)


会社の飲み会では、いつもウーロン茶を頼んでおり、上司に誘われてもきっぱり断っていた。しかし今日は、いつものノリで劇団員が「とりあえず生を人数分!」と頼んだため、夕子の前にも黄金色の液体が置かれている。


(大丈夫かな?)


純太は心配になる。いつもとは違う雰囲気だから、お酒を断りづらいのではないだろうか。

そっと夕子を見ると、いつもと同じ様子に見える。考え過ぎだったのかもしれない。


「そっかー。前の公演も観に来てくれてたんだー」

「今回はどうだった?感想聞かせてー」


今回の公演は、いわゆる戦隊ヒーロー物がモチーフの、笑って笑ってちょこっと泣けて最後はハッピーエンドで終わる劇だ。戦隊内の恋愛模様ありの、敵部隊の内部抗争ありの、戦闘シーンありの、でも基本はコメディテイスト。


「大笑いさせてもらいました。敵方がすごくいいキャラクターでしたね。怪人ツチノコモドキとか、動きだけで大爆笑でした」


怪人ツチノコモドキは、ツチノコっぽい格好のため、手足がない。体をくねらせるしかできないため、舞台に出るにしてもはけるにしても、いつも誰かの手を借りなくてはならない手のかかるやつなのだ。最後はヒーローたちも同情して、ツチノコモドキを運んでいた。


「あと、殺陣たてが迫力ありました!あんなに間近で戦闘シーンがあるとは思わなくって・・・。本当に目の前だったので、自分もその中にいるようでした」


使っていた劇場は、最前列の客席から舞台まで、1mもない。足を伸ばせば届く距離なのだ。高さも、20cmほどしか変わらない。気を付けないと、殺陣がお客さんに当たってしまうくらいなのだが、そこは猛練習をしたらしく、迫力は残しつつ安全な殺陣を繰り広げている。

それにしても、と純太は思う。夕子がこんなに喋るところは見たことがない。

会社ではいつも、必要最低限の言葉のみ、休憩中もほとんど話さない。飲み会中も、相槌を打つことはあっても自分からは話していなかったように思う。

劇が好きなのだろう。あとは、酒の力か。


「ラストも、ハッピーエンドで、よかったんですけど・・・けど・・・」


じわり、と夕子の目に涙がにじむ。


「ぶ、ブラックが・・・」

「ど、どうしたの夕子さん!?」


急な変化に周りは慌てる。今まで楽しく話していたというのに。


「ブラックがかわいそうで・・・」

「え」

「だってブラックはずっとずっとホワイトが好きで、でもホワイトとレッドが両思いだから諦めたわけじゃないですか?でもレッドったら、地球を救うためって言って、全然ホワイトのこと考えてないし、心配ばかりかけるし・・・ブラックの方が、ずっとずっとホワイトのこと思ってるのに、ブラックがかわいそうで・・・。しかも最後は、レッドとホワイトのために一肌脱ぐって・・・わ、私は、ブラックにも、し、幸せに、なってほしかっひゃのに・・・」


夕子は、最後の方は嗚咽混じりで、必死に言葉を絞り出していた。

ブラックを思って観たら、確かにハッピーエンドではないかもしれない。夕子が、観劇後に大泣きしていた理由がわかった。ブラックに感情移入し過ぎてしてしまったらしい。


「夕子さん、大丈夫。ブラックには、夕子さんみたいな人が、これからきっと現れるから。ね?だから泣かないで」


ブラック役の哲也にハンカチを差し出されながら言われ、「はい・・・」と夕子はそのハンカチを受け取る。

純太はそれを見て、歯噛みする。哲也がうらやましい、そして憎らしい!

その後も、今までの公演の話や、練習中の裏話、没になったネタなど、劇の話を中心に盛り上がった。純太は結局、一度も夕子のそばに行けないまま、哲也が夕子に手出しをしないように目を光らせ続けたのだった。


会計を済ませ、店の外に出ると、昼間とは違い少し涼しい風が吹いていた。秋が近づいているのを感じる。

見ると、夕子はかなり顔が赤い。足取りも少しふらふらしている気がする。


「志田さん、大丈夫ですか?」

「んー?だいじょぶだよー。これくらいー」


(全然大丈夫じゃない!)


いつもと全然違う話し方になっている。何もないところでこけそうになっている。完全に酔っ払いだ。


「夕子さん、大丈夫?家まで送ろうか?」


哲也の声を聞き、純太は慌てて割り込む。


「俺が、送りますから!」


睨むように哲也を見る。ここは引けない。

哲也はしばらく純太を見た後、にやりと笑い、「じゃあ任せた」と言った。


「送り狼になるなよージュンちゃん!」

「テツさんじゃあるまいし!なりませんよ!」


他のメンバーと別れ、純太は夕子と電車に乗る。

運良く、横並びに2つ席が空いていたので、2人は座る。静かなことが耐えられなくて、純太は夕子に話しかける。


「志田さん、弟さんいらっしゃったんですね」

「んー?そう。ハル君ね、可愛いのー。ずっとずっと、ハルは可愛いねって、みんなから言われてたー」


ハルというのが、弟の名前なのだろう。純太は、夕子の自慢するような言い方の裏に、少しの寂しさを感じた。


「志田さんだって、綺麗ですよ」


純太にしては思い切ったことを言ったつもりだったが、酔っぱらった夕子はふふ、と笑っただけだった。


「いーの。ハル君、可愛いから。私は引き立て役で」


決めつけるような言い方に、純太は悲しくなる。ずっとそうやって、自分の役割を言い聞かせてきたのだろうか。

話題を変えようと、別の話を振ってみる。


「志田さん、会社でももっと話したらいいんじゃないですか。今日みたいに」

「だって、みんながね。言うから」

「何を?」

「志田さんはクールだって。しゃべらなそうって。笑わなそうって。だから、そうした方がいいのかなって思って、そうしたの」

「そんな・・・自分らしくしていればいいと思いますよ」

「そうなんだけどね・・・。自信なくって」


夕子は、人付き合いがあまり得意な方ではない。どのように接したら相手を不快にさせないでいられるかばかり考え、結果、相手が思う自分のイメージを演じることにしていた。


(案外、不器用な人なのかも)


純太はそっと思う。それがちょっと可愛らしいとも。

夕子の家の最寄り駅に着いた。夕子は電車で少し酔ったのか、一人で歩くことが難しくなっていたので、純太は肩を貸して家まで送っていく。

オートロックを開け、マンションに入る。夕子の部屋の鍵を開ける。


「お、お邪魔します・・・」


まさか、夕子の部屋に入ることになろうとは。今朝までは思いもよらなかった状況に、心がついていかない。あちこち見たいのを抑えつつ、夕子をソファに座らせ、適当なコップに水を汲んで渡す。

夕子はぐびぐびと一気に飲んで、コップを置いた。


「もう何杯か飲むといいですよ。アルコールが早く抜けますから。それじゃ、俺はこれで」


これ以上ここにいると、だんだん理性が失われていきそうなので、早めに撤退しようとする。その純太のTシャツの裾を、夕子が引っ張った。


「・・・もう帰っちゃうの?」


赤く火照った頬、酔ってうるんだ瞳の夕子に上目遣いに言われ、純太の理性は音を立てて崩れる。


「と、とと戸締りには気を付けてくださいね!それじゃまた明日会社で!おやすみなさい!!」


崩れた理性をかき集め、純太は何とか部屋を脱出するのだった。




翌日。

ほとんど眠れなかった純太は、ふらふらしながら出社した。

夕子にどういう顔をして会えばいいか分からない。昨日の最後の言葉の意味は?いやそもそも意味なんてあったのか?

悶々としながら、自分のデスクに座る。夕子はすでに座っており、パソコンに向かっていた。


(あー今日も綺麗だなー)


睡眠不足の頭でぼうっと考える。すると、夕子がくるりと振り向いた。

純太はドキッとする。昨日の今日だ。どうしたらいいのだろう?


「おはようございます、中村君」

「え、あ、はい。おはようございます・・・」


にこりともしない、いつも通りの会社での夕子に、純太は拍子抜けする。


(そうだよな。ここ会社だもんな。・・・でも、昨日は、あんなこと言ったのに・・・)


夕子のことだ、公私の区別は付けているのだろう。しかし、昨夜のことを微塵も感じさせないとは、いったいどういうことだろうか。

・・・と、今朝とはまた違ったことで、純太は悶々とし始めるのだった。




昼休みになり、純太がいつも以上にぐったりしていると、こっそり夕子が来た。


「第2会議室にちょっと来て」


呼び出しである。何を言われるのかと、ドキドキして純太が行くと、夕子は純太を見て、開口一番言った。


「中村君、昨夜は何次会まで行ったの?」

「・・・え?」

「午前中ずっと、あくびばかりかみ殺して。休日の過ごし方に口出しするつもりはないけど、仕事に支障が出るようなことをしてはいけないと思うわ、社会人として」

「はぁ・・・」

「確かに、気心が知れた仲間といると楽しくてお酒は進むかもしれないけど・・・」


何かがおかしい。何かがずれている。だって俺はあなたと一緒に店を出たのに。そう思った純太は、慌ててその齟齬を突き止めようとする。


「あの、志田さん。昨日のこと、覚えてます?」

「覚えてます。劇を見に行ったら、あなたが手伝いしていて、劇団の皆さんと一緒に飲みに行って・・・ちょっと記憶がないけど、家のソファで寝ていたから自分で帰って来たのね、きっと」


(俺の記憶、飛んでる!)


純太が家まで送ったところだけ、見事に飛んでいる。だから話がかみ合わなかったらしい。夕子は、純太があの後も哲也たちと飲んでいたと思っているのだ。


「家までどう帰ったのか、覚えてないんですか?」

「・・・そこは覚えてないけど。ちゃんと帰っていたから大丈夫よ」


全然大丈夫じゃなかったのだが、それを言っても夕子は分からないだろう。


「あ、そうそう、澤部さんから、土曜日に稽古場に遊びに来ないかって連絡もらったんだけど、中村君も・・・」

「は?え?いつ連絡先交換したんですか?」

「え?昨日、居酒屋で・・・」


(いつのまに!?俺がトイレに行った時か?あの人本当に手が早い!)


かっと、純太の頭に血が上る。


「志田さん、テツさんはね、学生時代、女癖が悪いことで超有名だったんですよ。そんな誘われたからってのこのこ行っちゃだめです!」

「のこのこって・・・。だって澤部さんにはもう・・・」


夕子が何か言いかけるが、純太は聞いていられない。夕子の言葉をさえぎり、続ける。


「だっても何もないんです!あの人は3年間で13人もの女性をとっかえひっかえしてたんですよ?そんなやつ信じちゃダメです!」

「ちょっと、中村君・・・」

「志田さんみたいなタイプ、今まで身近にいなかったからちょっかい出したいだけなんですよ!」

「いいかげんにしなさい!」


夕子に一喝され、純太はびくっと体が竦む。こんなに怒っている夕子を見るのは初めてだ。


「私は、人のことを陰であれこれ言うのは嫌いです。・・・あと、体調を整えて仕事に臨むこと。以上」


それだけを言って、夕子は会議室を出ていってしまった。

残された純太は、むしゃくしゃした気持ちを抱えたまま、自分のデスクに戻るのだった。



その週は結局、夕子とは一言も話をしないまま過ごした。

そして土曜日の朝。純太はもやもやした気持ちを抱えたまま、部屋でごろごろしていた。

哲也が夕子を誘ったのは確か今日だったはずである。どうにかしたいのに、どうしていいか分からない。

頭を抱えて、ごろごろ転がる。


(どうなったっていいじゃないか、志田さんなんか・・・)


すでに、自分は呆れられてしまっただろうし。もう何の望みもないし。

それでも、目をつぶると浮かんでくるのは、いつもの仕事中の後ろ姿とこの間の家で見せた上目遣いの顔。


(あぁもうっ!)


哲也の毒牙から夕子を守る。それだけだ。


純太は急いで家を出る。いつも稽古場にしている場所なら分かる。

夕子に会って何を言うか、どうしたいのか、そう言ったことはいったん後回しにし、とにかく道のりを急いだ。





夕子が稽古場のイスに座っていると、哲也が、コップを2つ持って入ってきた。どうやら、麦茶か何か入れてあるらしい。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


コップを受け取り、一口飲む。


「それで、話って言うのはね」

「はい」

「夕子さん、俺と付き合わない?」

「・・・え?」


哲也の急な申し出に、夕子はぽかんとする。


「初めて見たときから、いいなって思ってたんだ。どう?」

「・・・そういった話なら、失礼します」


出ていこうと立ち上がるが、ドアの手前で、哲也に腕をつかまれ、ぐるりと回転させられる。

気が付くと、夕子はドアの横にある壁と哲也の間に挟まれているような状態だ。哲也の右手は夕子の左腕をつかみ、左手は夕子の顔の右側の壁に付けられる。いわゆる『壁ドン』状態だ。哲也の顔が、20cmと離れていないところにある。


「まあまあ。もう少しここにいたら、気が変わると思うよ?」


口調は柔らかいが、腕をつかむ力は強く、びくともしない。少しずつ、哲也の顔が近づいてくる。


「お邪魔します!」


バタンっという音とともに、ドアが開いた。純太である。走ってきたのか、汗を額に浮かべている。

哲也と夕子の状況を見て、純太は一瞬固まり、その直後、哲也の体をドンっと押した。


「テツさん!志田さんはダメです!」

「どうして?」

「ダメったらダメなんです!俺、志田さんのこと、ずっと好きだったんだから!」

「・・・だそうですよ、夕子さん」


哲也は夕子に向かってニッと笑いかけ、「練習に付き合っていただき、ありがとうございました」と言って扉に向かう。

出る前に、純太の首に腕を回してぐいっと純太を引き寄せ、哲也は囁いた。


「場所を提供してやるが、エロい事禁止な」

「なっ!」


ぱっと純太の首を離し、哲也は普段通りの声で言った。


「ジュン、俺たぶんもうすぐ結婚するから。んで、マイハニーがお前に会いたがってたから、今度ダブルデートしような。じゃあ夕子さん、またねー」


そしてドアをバタン、と閉めてしまった。


(・・・結婚?誰が?テツさんが?え?そしたらさっきのあれは何?え?志田さんと結婚するの?え?ええ?)


純太は混乱していた。事態が呑み込めない。


「あの、中村君・・・?」


遠慮がちにかけられた夕子の声に、純太はびくっとする。完全に自分の頭の中に入り込んでしまっていた。


「あ、あの、志田さん、さっきの・・・あの・・・哲也さんとは・・・」


先ほど見たものをどう言葉にしていいか分からず、純太の言葉は曖昧になってしまったが、夕子は意味を汲んでくれたらしい。


「あ、さっきの?澤部さんがね、今度の劇に壁ドンのシーンを入れたいけどイメージできないから、ちょっとやってみてほしいって言われて・・・」

「・・・・・・練習に、付き合ってあげたんですか・・・」


それにしたって、無防備すぎるんじゃないのかと、純太がじっとり思っていると、夕子に伝わってしまったらしい。


「だって、澤部さんにはお付き合いしている方がいるんだから、大丈夫でしょう?ご結婚なさるって聞いてたし」

「それ!そんなこと、俺初耳ですよ?」

「そうなの?初めて会った時に言われたけど・・・」


(わざとだ。絶っ対!)


哲也は全部分かってて、言わなかったに違いない。昔から、いつも純太は哲也に振り回されてばかりだ。

純太が哲也への怒りの炎を燃やしていると、ツンツン、と服の袖を引っ張られた。


「志田さん?」


見ると、夕子が下を向いて、小さな声で聞いてくる。


「・・・中村君、あの、さっきの、本当?」

「さっきの?」

「その・・・私のこと、好きだって・・・」


純太はそこでようやく、先ほど勢いだけで夕子への気持ちを自ら暴露してしまったことに気付いた。


「あの・・・えっと・・・」


5分前の勢いはどこへ行ったのか、純太はしどろもどろとしてしまう。

夕子は下を向いたまま、じっと待っている。そんな夕子を見て、純太は覚悟を決め、深呼吸を3回した。


「・・・志田さんが、好きです。初めて会った時から、ずっとずっと、好きでした」

「・・・・・・私の、どこが?」


ぽつり、と夕子が漏らす。


「最初は、外見からでした。後姿が綺麗だなって。でも、見ているうちに、さりげない気配りができる方なんだなって・・・。夏に、外回りの営業さんの机に、志田さんが熱中症予防の飴を置いてあげてたの、俺知ってます。おめでたになった方が冷房で体冷やし過ぎないよう、風向きとか温度とか調整したり。そういうところ、すごく素敵だなって思ってました」

「・・・・・・」

「俺、年下だし、頼りにならないし、ダメなところばっかだけど、その・・・」

「そんなことないよ」

「え?」

「中村君だけだったよ、私をかばってくれたの」


何のことかと純太がぽかんとしていると、夕子が純太の顔を見て、少し笑った。


「覚えてないかな?中村君たちの歓迎会。私、飲み会でいつも酔った課長に絡まれるの。その日も、課長が隣に来て、声をかけてきた」


純太は思い出した。あれは6月だっただろうか。

正式に配属が決まり、歓迎会が開かれた。新入社員の純太が酌をして回っていると、課長が夕子に絡んでいた。「女子社員は結婚やらおめでたやらで退社することが多いけど、志田さんはその心配なさそうだねー」と言い、がっはっはと笑っていたのだ。

それを聞き、純太はムカッとした。そこで、課長に言ってやったのだ。「課長、それ、セクハラですよ」と。


「いつものことだから、周りはみんな見ないふりだったし、私もいつも通り『そうですね』って流そうと思ってたの。でも、中村君が課長に言ってくれて、私、すごく嬉しかった。・・・あの後、大丈夫だった?課長に目を付けられたんじゃないかって・・・」

「そうならないように、たくさんお酒ついでおきました。そのあと、何も言われなかったし、たぶん課長は、あまり覚えてないかと」

「ほら、頼りになる」


そう言って、夕子はふふっと笑った。

そんな夕子を見たら、純太は自分の行動が止められなかった。夕子の華奢な背中に腕を回し、抱きしめる。


「志田さん、俺と、付き合ってください」


おずおずと、夕子の腕が純太の背中に回される。きゅっと、少しだけ力がこもる。


「・・・はい」


ばたーん!


「はいそろそろいいかなー!?」


ドアが開き、2人は慌てて離れる。哲也が急に入ってきたのだ。


「なっ!テツさん、帰ったんじゃ・・・」

「だぁってここの鍵持ってるの俺だしー?ちゃんと見届ける義務があるかなってー?」

「だからって急に入ってこなくても・・・」

「はいはいはーい、苦情は後日。続きはどこか別の場所にしてくださいねー。はい、鍵閉めますよーあと3秒!」


さーん、にー、と数え始める哲也を見て、2人は慌てて荷物をまとめて出ていくのだった。



「・・・まったく、テツさんには困ったもんです・・・」

「でも、おもしろい方よね」

「騙されちゃダメです、志田さん。あの人はすべての諸悪の根源です」


そう言うと、夕子はくすくす笑った。会社では見せないその表情に、純太はいちいちドキッとしてしまう。


「志田さん、その・・・」

「それ」

「え?」

「お付き合いするんだから、『志田さん』はやめない?」

「・・・・・・えっと、あの」

「うん」


純太はもっている勇気をすべて振り絞る。


「・・・・・・・・・ゆ、夕子さん」

「うん」


嬉しそうに、夕子は返事をする。それだけで、純太は幸せな気分になった。


「中村君のことは、ジュン君って呼んで、いいかな?」

「はい、もちろんです!志田さん」

「戻ってるよ、ジュン君」

「あ・・・つい・・・」


2人で笑い、そっと手を繋ぐ。少し肌寒くなっている中、繋いだ手の温かさが心地よい。


「送りますよ、夕子さん。こっちの駅の方が近いでしょう?」

「私、ジュン君に家の場所、話したことあったかな?」


(そうだ、夕子さんは覚えてないんだった・・・)


純太は少し笑い、道すがら夕子に話そうと考える。すでに部屋まで入ったことがあると言ったら、夕子はどんな顔をするだろうかと考えながら。

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